1.馴れ初め話


「一度休憩いたしましょう。もうかれこれ二時間は話通しですし。わたくし、お茶を淹れて参りますわ」
 彼女がそういうと、張り詰めていた空気が和らいだ。

 ここはクランフェルツ大陸最大の国家ガイアルディア。そのガイアルディアの城内に存在する王子の執務室である。
 王子であるルリアランス・フォーラル・ファン・ガイアルディアが使う大きな机と、客人が座る用にあつらえられている四人がけの机と椅子。
 それ以外は本を収納する棚と彼の処理しなければならない書類の束が鎮座している。その為一般的に装飾品といわれるものは何もない、味気もそっけもない部屋になっていた。
 しかし、その部屋に存在する人間は、部屋の内装とは対照的に華やかな容姿を持った者たちだった。

「お前ってほんっとーに、味方だと便利だよなぁ」
 カチャカチャと陶器のぶつかる音が優しく響く部屋に心地よい低い声が発せられた。
「そう? でもこれぐらいやっとかないと。次の戦いは王子も出陣するんだから」
「まぁな〜」
 能天気な二人の会話を聞いたルリアランスは頭を抱えた。
 最初に声を出した男性 名をティトリー・ルトルアという。若干二十二歳という年齢でクランフェルツ大陸最強とも誉れ高い近衛兵団の隊長と言う地位に上り詰めた若き名将である。いたずらに伸ばされた赤茶の髪を後ろで軽く結い、人懐こい笑顔を浮かべる彼はまだ十代といっても通じそうな若々しさがあった。
 その彼に答えた声は女性のもの。涼やかな声をもって答えたのはこれもまたクランフェルツ大陸で最も優れた頭脳を持つと誉れ高い、大陸随一の軍師アイネルト・ルサフォーネ。
 まだ二十歳に満たない少女は頭上たかく結んだ艶やかな髪を梳きながら、コロコロと笑った。その表情はやはり幼さが残っている。しかし、その知能はは大陸史上類を見ない程半端ない。ガイアルディアの発展は、彼女抜きに語れる物ではなかった。
「軍師様の立案した作戦ははいつも完璧ですもの、よっぽどルリィが馬鹿な行動を取らなければ怪我一つせず武勲が立てられますわ」
 最初に席を立った人物も手に盆を持ち、戻ってくる。花が綻ぶように笑った少女の名はジュリエッタ・ソープワーク・フォン・ガイアルディア。
ガイアルディア王国の筆頭貴族の中でも一番の地位に位置するソープワーク家の一人娘である。ジュリエッタの父親とルリアランスの父親は兄弟である。彼女は最も王の血に近い貴族だった。ルリアランスとジュリエッタは従兄妹同士であり、幼い頃から兄妹のような関係だった二人はお互いを的確に評価出来る関係にある。一見すると兄弟のように二人は瓜二つでだった。
 ジュリエッタは豪奢な金髪を腰まで伸ばし、毛先はくるくると巻かれている。薄桃色の肌、荒れのない薔薇のように美しい唇、すっと通った鼻筋に、しなやかで女性らしい身体つき。彼女の動作はどれをとっても優雅としか表現できない。
 机の上に四人分の陶器を並べると、琥珀色の液体をゆっくりとそれに注ぎ込んだ。

「……いつも思うんだけど、どうして僕が出陣する戦いはこうも何度も入念に作戦練ってるんだ?」
 彼女が茶を淹れる動作を見つめながら、ルリアランスは小首を傾げる。ジュリエッタと同じ肩口まで伸ばされた絹のようなさらさらとした金髪が揺れる。
 真剣に悩み、眉間に軽くしわを寄せている王子の顔をみて、他の三人ははとが豆鉄砲を食らったような表情で固まってしまった。
「確かに僕は戦場で剣を振るうよりも机にかじりついて書類を整理している方が自分でも向いていると思う。だけど、いつもの作戦よりも入念じゃ、軍師もお前も大変だろう?」
 王族が戦場において足手まといになる例は数知れない。普段王宮内で安穏と過ごしている王族はまず戦闘中使い物にはならない。
 しかし、王族は無駄に武勲を立てたがる傾向がある。彼等を立てつつ、戦闘で勝利するというのは戦闘の玄人である兵団の人間にとっては至難の業である。
 故に入念な作戦を立て、何度も打ち合わせをして、戦場では常に彼の周りに兵をつけ……そこまでしても怪我をするものは問答無用で怪我をするのだが……。
「剣術はティトから習っているからそうそう使えないものじゃないと思うし、これが初陣ってわけでもないからそこまでしなくても大丈夫……って何その目つき」
 三者三様の何ともいえない視線に気が付いたルリアランスはますますわからない、といった表情で三人を見つめた。
「貴方って救いようがないくらいお馬鹿ですわね」
「……君だけには言われたくないんだけど? ジュジュ」
「あら? どうして?」
 カチャっと小さな音をたてて、真っ白な琥珀色の液体の入った器を彼の前に置いた。
今まさに従兄妹喧嘩が始まりそうなとき、ティトリーが二人の会話に割ってはいる。
「はいはい。くだらねぇ事で喧嘩始めようとすんなって。だいたいジュリィ、王子のコレは今に始まったことじゃねぇから」
一々言い合いをするだけ時間の無駄 と言外に彼は言った。それに同意しているアイネルトもタイミングよく言葉を続ける。
「そうそう。だから早く私、お茶飲みたいな〜」
「はい! 軍師様、今すぐに」
 満面笑みを浮かべ、彼女はすぐにアイネルト用に丁寧にお茶を淹れた。その差別っぷりには目を見張るものがある。
 現在ジュリエッタの身分は筆頭貴族の一人娘、ではなく、軍務に携わる軍師の補佐官という所にある。元々軍師に一目ぼれをしてこの場所に身を置く彼女にとって、彼女の世界は軍師アイネルト中心といっても過言ではない。
 ジュリエッタを沈めるには軍師を差し出せば解決する、というのは軍全体に浸透している方法であった。彼女の背後に深紅の薔薇が乱舞しそうな勢いでアイネルトの側にいる彼女の表情は恋する乙女そのままである。




「そういえば、どうして隊長は軍属になったんですの?」
 ふと茶を音も立てず、優雅にすすっていたジュリエッタは、決して良くない行儀で茶をすすっているティトリーに聞いた。
「ん〜?」
「ルトルア家だって貴族でしょう? でしたら家督を大人しくお継ぎになって、どこか有名どころの御家と婚姻を結べば一生遊んで暮らすことが出来たでしょうに」
 ジュリエッタが不思議そうにそういうと、黒紅色のティトリーの瞳は細められふっと笑った。わずかに見える瞳には、優しい光が宿っている。
「じゃぁジュリィは何で、筆頭貴族って地位にある家を捨てて、ここでオレ達と茶ぁしばいてんだ?」
「軍師様のお側にいるためですわ」
 何を当然な事をと言わんばかりのジュリエッタの即答にくすっと笑いながらティトリーは言葉を続けた。
「それと一緒。その証拠に、オレ、実は近衛兵団辞めて、ティトの護衛官になりてーんだもん」
 一度椀から口を離して、一言だけそういうと、ティトリーは再び音を立てて茶をすすった。それを聞いたジュリエッタは嬉しそうに笑う。
「ルリィは幸せものですわ。こんな素敵な方が側にいてくださるんですもの」
 うっとりと胸の前で手を組んで、いとおしそうに彼女は呟いた。
「……だってそれはティトの仕事だろ? ティトが望んで付いてる訳でもなし……」
 一拍間を置いてから呟かれたルリアランスの声はどこか寂しげな響きがあった。しかしその音が彼の唇から楽器のように美しく発音される理由が三人はわからなかった。
「あの〜、王子?」
「何? 軍師」
「……もしかして、私たちがここに今集まっているのは仕事でしょうがなく……って思っていらっしゃいます?」
 アイネルトが恐る恐る、彼の顔を覗きこむように対面に座る彼の表情を伺った。一瞬きょとんとした表情を浮かべたルリアランスだったがすぐに答える。
「違うのか?」
 ルリアランスの言葉に、三人は盛大な溜め息をついた。そして間髪いれずジュリエッタの渾身の突込みが彼女の口から発せられた。
「この大陸一の愚か者!」
「はぁ!? 大陸一って……むしろジュジュにだけは言われたくない」
「言われたくないと思っていても事実ルリィは愚か者なんですもの、しょうがないですわ」
「意味わかんないから」
「わたくしには貴方の思考回路が理解できません。隊長がお気の毒……」
 わざとらしく服の袖で目元を拭うような動作をするジュリエッタを軽く睨みながら、ルリアランスは本当に理解できないと眉間にしわをよせる。
「まーまー」
 苦笑しながら仲裁するティトリーの表情は、切羽詰ったものではなく、目の前で小動物がじゃれあっているのを微笑ましく眺めている感があった。恐らく、小動物が一生懸命生きている姿を眺めて得る『和み』に近いのだろう。
「王子。お前さっきっから眉間にしわ寄せっぱなし。元に戻らなくなるぞ、せっかく綺麗な顔してんのに」
 そういうと彼は大きな手をスッとルリアランスの眉間にもっていってそのしわを伸ばした。
 が、彼の手は他でもない王子に阻まれる。伸ばされたてを軽く叩くまぬけな音が響く。
「何するんだ」
「こっちの台詞だ」
「オレはお前の顔にしわがつかないように守ろうとだな……」
「……馴れ馴れしい」
「うっわひどっ!」
「……お前いい加減僕に敬語を使え?」
 白い目を向けられたティトリーはますますひどいとおおげさなまでな反応を彼に示した。さらにそれを王子はうざったそうに邪険に扱う。
 その姿を見ていたアイネルトとジュリエッタはひそひそと囁きあった。
「あんなに仲がいいのにね。どーして王子は隊長の好意に気が付かないんだろうね」
「人の好意に鈍感なのですわ。昔から」
「……王族の典型みたいだね、ソレ」
 アイネルトは苦笑しながら二人のやり取りに視線を戻した。アイネルトが軍師として城に入ったときには、もうすでに二人はこの状態だった。
 では、二人はいつここまで仲良くなったのだろうか。思えば彼女はルリアランスやティトリーの過去を今まで聞いたこともなかった。彼女は常々聞こうと思っていて聞きそびれていたのだ。もしかして、絶好の好機なのかもしれない。そう思ったアイネルトの思いを察したジュリエッタがまた唇を動かした。
「隊長と出会ってから、ルリィの性格が大人しくなったのは事実ですわね」
「え?」
 一瞬心が読まれたのかと思ったアイネルトはすっとんきょうな声を上げてジュリエッタを見つめた。彼女は満面の笑みを浮かべて彼女と向き合った。
「軍師様のお考えでしたら、戦略以外のことぐらい察する事が出来なければ補佐官とは言えませんわ」
 嬉しそうに微笑むジュリエッタの純粋さがアイネルトに眩しかった。
「つーか二人とも、会話丸聞こえ」
「「え?」」
 ジュリエッタとアイネルトが同時に声を発すると、ルリアランスとティトリーがさっきまでの会話を終え、二人をじっと見つめていた。
「……ばれてないつもりだったのか?」
 心底聞こえているはずがないのに という表情をしている二人に王子は冷たく言った。
「声潜めてたのにねー」
「そうですわよねー」
 女二人に不審そうな視線を向けるルリアランスをなだめながら、ティトリーは唸り声を上げる。それを間近で聞いた王子はふと視線を上げて彼を見つめた。
「ん? どうした」
 彼がルリアランスに向ける視線は常に、優しげなものであった。
「……別に」
 聞きたいことや言いたいことを素直に言えない王子は、ぷいっとそのまま顔を彼から背けてしまう。そんな動作にさえ愛嬌を見出せてしまうティトリーは自分に苦笑した。
「しゃぁねぇな。ジュリィ、アル、それに王子。」
 ティトリーは椅子に座りなおしてニッと口の端を上げた。

 それはそれは嬉しそうに
 それはそれは楽しそうに

「話してやるよ。聞きたいんだろ? オレがどうして軍属になったか、どうして王子の側にいるか、どうして護衛官なんてなりたいのか」
「別に聞かなくても……」
 いい、とルリアランスが言い切る前に、ジュリエッタが椅子から立ち上がらん勢いでまくしたてる。
「わたくしは聞きたいですわっ! どうして隊長のような方がこんな我儘ルリィの側にいて下さるのか」
「私も結構気になるな〜。初めて会ったときから二人はこんな感じだったの?」
 興味津々と言わんばかりのジュリエッタとアイネルトを前にして、ティトリーは笑った。過去のあの日を思い出してただ……―――。
「王子、お前もちゃんと聞いてくれよ」
「聞いてやらんこともない」
 腕と脚を組んで、偉そうに椅子に腰掛ける、まだ十八の少年は自分より年の上の相手に速く言えと言わんばかりに視線で急かす。

「(全く素直じゃねぇな、この王子様)」
 ティトリーは笑った。そう、初めて会ったときにはなかった感情を持って、今彼は王子に接している。
「オレと王子の馴れ初めはだなぁ」
 まずティトリーの第一声で、偉そうに座っていたルリアランスがずり落ちる。茶をすすっていたアイネルトも気管支へ勢い良く紅茶を流し込みゲホゲホと咳き込んだ。
「まぁ軍師様! 大丈夫ですか!?」
「おいおい王子。何やってんだよ」
 ジュリエッタと、発言した当の本人は一向に動じることなく、全身で動揺を映し出した二人の背中にそれぞれ手を沿え、擦る。
「お前が妙なこと言うからだろ!!」
「馴れ初めって……言葉が違う!!」
「そうか?」
「違いますの?」
 目に涙まで貯めてそう叫ぶ二人であったが、明らかに見解の相違が生まれた空間から、一瞬音と言う音が消えうせた気がした。それをあえて黙殺し、ティトリーはごほんとわざとらしく咳払いしたあと、ゆっくりと語り始めた。





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