01.見つけた“一”


 
あなたが十の月日を重ねるまでに
 千と一の“鬼”と出会い、千の“鬼”を滅しなさい

 それは彼女が祖母の口から紡がれた言葉だった。まだ何も知らなかった彼女ははただ頷いたことしか覚えていない。母と呼べる人が身近にいない幼い子どもにとって、自らを育ててくれる祖母と呼ぶ人の言葉は絶対なものだった。
 祖母の発した言葉の意味など、彼女は理解できなかった。……言葉を言葉として理解することの出来ないほど、まだ幼かった頃より繰り返された言葉を実行に移す頃には、“鬼”という存在が、『悪』であることを理解していた。
 ただ、祖母の紡いだ『一』の答えは見つけられないまま。
 ひたすらに、“鬼”という絶対悪を滅ぼし続けて、気がつけば明日、少女は十という齢を重ねる。


 今宵は新月、星さえも瞬くのを止めた様な深淵の闇が世界を覆う。しかしそれは、現代社会において何の恐怖も与えない。人は真夜中の太陽を手に入れているからだ。
 草木も眠る丑三つ時、人はとうに夢幻世界へと誘われ、しばしすべてのしがらみから開放されている頃である。
 そんな時刻、薄暗い公園に一人の少女が立っていた。肩よりも長く伸びている黒曜石の如く黒い髪と瞳を持つ少女は明らかにまだ十にも満ちていない容貌である。
 その十にも満たないであろう幼子の纏う白い着物に点々と、緋色の花が咲き誇っていた。この公園に人がいて、少女の姿を見れば怪訝な顔をするかもしれない。
 ……けれどこの空間には彼女と、もうひとつの陰しか存在しえなかった。そして、少女の着物に映える赤にも気づく者はいないだろう。彼女の着物の赤は、人のそれではない。
 それは、“鬼”の血だった。常人の目には決して映らない赤を、少女が浴びているのは、彼女が今まさに“鬼”を狩っている最中だからである。
 常人には決して見えない緋色の花を着物に咲かせ、手から滴り落ちる液体に眉を潜めることもせず、ただ幼い少女は地に伏し、彼女を見上げる“モノ”を無表情に見つめていた。
 彼女の……、少女の名は奏(かなで)と言う。彼女は、平安の世から続く『討伐士』の家系の、しかも直系に名を連ねていた。その『討伐士』とは『検非違使(けびいし)』とはまた違う、都守りの要を担った一族の末裔である。
 彼女たちはこの世に存在してはいけないもの、無念を怨念に変えて、現世に留まり人に害なす存在となってしまった通称“鬼”と称されるものどもを滅する力を有していた。
 平安の世、魑魅魍魎たちが都人を苦しめていた。それは絢爛豪華な世界の完全な闇だった。日に日に強大になっていく人ならざるモノは、人々を蝕み続けた。
 その闇を打ち払った存在こそ、奏の祖に当たる人物だった。「鬼を討伐する者」として奏の祖は、自らを『伐鬼』と名乗り、鬼を討伐する者を日本中から募い、『伐鬼』としての人材を育成した。
 ……一度鬼に落ちたものは、輪廻転生の輪には戻れない。と奏の祖は言った。故に、『伐鬼』である彼女達は元人であろうが、鬼を滅する。文字通り、跡形もなく。
 人がいれば“鬼”が生まれる。『伐鬼』と言う存在は都の守り手、引いては国の守り手と重宝され、時の天皇より「神宮寺(じんぐうじ)」の姓を下賜され、家屋敷から生活の全てを保障された。
 “鬼”を『悪』とし、正義の名の下に『伐鬼』は力を奮った。いつの世も、華やかな歴史の裏で生まれた悪を消す為、暗躍をし続けた。それは、千年経ち、元号を幾度となく改め、平成と名を変えた今でも変わらない。
 『伐鬼』は老若男女構わずになれるものである。ただし、“鬼”を滅する力は個人による。『伐鬼』はこれを『破の力』と呼んでいる。この力は、直接“鬼”の身体を破壊する事が出来る力と言われている。誰もが身体に秘めているこの力をどれほど解放できるかが『伐鬼』の力を決めるのである。
 『破の力』が弱い人間は、戦闘において補助具として『札』を使うこともある。『札』の力だけでは“鬼”を滅することは難しい。だが、武器に『札』をつけて攻撃する事で、“鬼”を滅することも出来るといわれている。
 “鬼”の急所は頭。心臓は元より、頭を潰せば、砂になって消えるといわれている。最初からそこに何も存在していなかったように、魂が砕け散り砂になる。
 奏は、その光景を幾度となくその双眸に映してきた。醜い“鬼”が砂へと姿を変え、その砂が照明を反射してキラキラと光る。その情景を彼女は少なからず気に入っていた。

 その『伐鬼』の頂点に立つ一族が神宮寺家である。『伐鬼』の創設者にして、歴代の『伐鬼』でも最強と誉れ高い人物の再来と言われている奏は、じっと“鬼”を見つめていた。
 神宮寺の直系に生まれた子どもにだけ、果たさなければならない条件があった。それは十の歳をまたぐまでに、千と一の“鬼”と出会い、千の“鬼”を滅す。それが出来なければ次期頭首として認められないのだ。
 今、自分が見下ろしているのが千と一鬼目の“鬼”であることを彼女は理解していた。脳裏に反芻させる祖母の言葉に対して彼女は思う。千の鬼を滅する事は、何もせずとも出来る、と。彼女にはその確信があった。問題は残りの一である。
「殺せ。これ以上私はどうすることも出来ん。長きに渡り現世に留まり続けた。未練は無い」
 そういったのは、地に倒れ伏す“鬼”だった。年齢で言えば二十台半ば程度の、砂色の髪に海より深い藍色の双眸を持つ鬼。とても綺麗な鬼だと、この時奏は思った。
 今日この鬼を殺せば、千と一鬼目、この“鬼”は最後の一鬼である。この“鬼”を滅すれば、晴れて彼女は伐鬼として一族に認められる。しかしなぜだろうか、今までできた事が、彼女に出来なかった。
 彼とは戦ったのだ。全力で。今まで千の“鬼”を滅してきた奏だったが、その“鬼”の中で彼は最も強かった。一撃、二撃と打ち込んでもまるで滅する気配がない。恐らく彼は長きに渡り現世に留まり続けた“鬼”なのだろうと、奏は直感した。
 現世に長く留まった“鬼”であればあるほど、人の魂を喰らい、怨念を取り込み強くなると祖母からも、母からも、彼女は聞いていた。それに伴い、人として『理性』というものを失い、より危険な“鬼”へとなってしまうと。

 しかし目の前にいる“鬼”はどうだろうか? 幼い奏は思う。
 今まで滅してきた“鬼”とはまるで違うように思えて仕方がなかった。

 手合いが二桁を越えた頃、ようやく“鬼”のほうが『殺せ』と言ってきた。
 それも奏は不思議だった。今まで対峙してきた“鬼”は滅されるのを極端に嫌がった。命乞いを始める“鬼”も居た。
 今、奏の眼前で殺せと言う“鬼”は一体なんなのか。幼すぎる奏にはわからなかったが、唯一つわかったことは、もう自分には、この“鬼”を滅するつもりはない、ということだけだった。

 奏は無表情のままに言葉を紡いだ。心のままの疑問を真直ぐに、“鬼”に問うてみた。今まで“鬼”に何かを問うこと以前に、話そうとも思ったことが無い。内心の動揺を悟られないように、彼女は冷静を装い淡々と地に伏す“鬼”に問うた。
「あなたが初めて。何で命乞いをしないの?」
「する必要などないからだ」
「なぜ?」
 簡潔な答えに納得が出来ない奏では問いを繰り返す。しかしそれ以上に、“鬼”とは思えないほど何とも言えない響きを持つ彼の声をもっと聞いてみたかったのかもしれない。
 奏は彼との間合いを一歩一歩縮めて、倒れ伏す“鬼”に近づいた。
「あなたのような“鬼”と出会うのは九百九十九の“鬼”を滅してきて初めてだよ。今まで言葉を交わそうと思ったことも一度として思ったこと無いもん。不思議……」
 すっと奏は膝を折り、その“鬼”との距離をまた縮める。ただ無表情で、彼女はそう告げた。こんなに近づけば、もしかしたら最期の力を込めた攻撃を直撃してしまうかもしれない。その危険性が脳裏を掠めるが、不思議と心は穏やかで。ここでこの“鬼”に殺されても構わない、と少しでも思ってしまう自分に奏はおどろしていた。
「……我を地に倒した伐鬼は貴様が初めてだ」
「そうなの?」
「ああ、伐鬼を半死半生に追い込んだことはあるが、その逆はない」
 “鬼”の言葉に嘘はない。奏は直感でそう思った。実際、奏も初めてだった。普段は触れるだけで滅せるものが大抵だった。“鬼”を消すには頭を貫けと言われた奏であったが、力の弱い“鬼”は奏の『破の力』に触れただけで、その存在を消されてしまっていた。
 しかし眼前の“鬼”はそうはならなかった。彼は“鬼”の中でも相当の実力を持つものだと、一度相対すればだれでもわかるだろう。
 刹那の沈黙。そして奏は理解した。
「あなた、滅される事を望んでいるの?」
 思いも寄らない彼女の言葉に、“鬼”は目を見開いた。
「なぜ、貴様はそう思う」
「伐鬼を半死半生にまで追い込めるあなたを滅することなんて、そうそう出来ない。でも私ぐらいの半人前があなたをここまで追い詰められるとしたら、あなたが手加減をしている以外にない。そうじゃない?」
「………」
「現世に留まる事にさえ疲れたのね」
 そう言った奏はその赤い体液に濡れた手で、そっと彼の顔に触れた。血の通っていないはずの彼の身体は仄かに温かいように思える。
「悲しそうな目をしてるのね。怒り・憎しみ・嫉み……大体の“鬼”の瞳はその感情に彩られていたのに、あなたは違う」
 海よりも深い悲しみに彩られている、綺麗な綺麗な鬼。生きる事に疲れ、絶望し、そして“鬼”になったとしか思えない。こんな瞳を持つものが、鬼に堕ちるはずがない。奏はそうとしか思えなかった。
「ねぇあなた、名前は?」
「名など捨てた」
「嘘。“鬼”にだって名はある。それが生前のものか、“鬼”の名なのかはわからないけど、千の“鬼”は皆持っていたわ。ねぇ名前は?」
 “鬼”の名を聞いてどうなるものでもないだろうというような表情を浮かべた彼だが、あまりにも真直ぐに見つめられ、ついに溜め息をつきながらこう答えた。
「我に名などない。人から呼ばれた覚えもない」
「……そうなの?」
「ああ。だが一つ。都の人間だけではない、民も皆、我をこう呼んでいた」
「何て?」
 奏はただ彼の名を待った。
「帝」
 それはこの日本において最高の地位を持つものが呼ばれる総称にして、それは現代の日本において呼ばれることがありえないかつての最高権力者の呼び名だった。
「……帝、というのね」
「そうだ」
 これで気が済んだだろう。さっさと殺せ。なぜか奏の耳にはそう聞こえたように感じた。
「……帝」
「何だ?」
「“鬼”は輪廻転生の輪に入れないことを知ってる?」
「……ああ」
 “鬼”……帝は、そういうと自嘲のように口元を笑わせた。
「……帝」
「今度は何だ、幼い伐鬼よ」
「!」
 そう答えた帝の表情は、決してさっきまでの無愛想で無表情のものではなく、まるで幼子を慈しむような柔らかな表情だった。それには今まで以上に奏は驚いた。

  あなたが十の月日を重ねるまでに
  千と一の“鬼”と出会い、千の“鬼”を滅しなさい

 祖母の口から紡がれた言葉が脳裏を反芻する。彼女は最後に何と言ったか。

  そして見極めなさい。一を。その処遇を。

 彼女は意味がわからなかった。千を滅し、一の処遇という祖母の言葉の意味を。千と一を滅せば良いと、奏はずっと思っていた。しかし今なら分かる。
「帝、もう全てに飽きてしまったの?」
「いや、我は全てを諦めた」
「……そう」
 小さく奏が答えると、静かに帝は目を閉じた。最期の時を悟ったらしい彼は、静かにそれを甘受しようとしたのだ。
 だが、いつまで経ってもそれは訪れない。ただ、何かを身体に感じた。それは死への衝撃ではない事だけは確かだった。
「……伐鬼?」
「伐鬼じゃない。わたしの名前は奏。神宮寺奏(じんぐうじ かなで)」
「……神宮寺……」
 帝は何か神聖な言葉を紡ぐようにその苗字を己の唇に乗せた。
「そう、神宮寺奏。帝、わたし、あなたのことは滅せない」
 ゆっくりと花弁のような唇で告げる奏の言葉に、帝は内心意外さを覚えた。しかしそれを言葉にすることはしない。
「そうか」
「うん、ごめんね。滅しようと思ってたの。千と一鬼目のあなたを。そうすればすむと思った。だけど……」
「だけど?」
 最後の一言を奏は深呼吸を一度してから彼に告げた。
「あなたを私のものにする」
 その言葉を、帝は意外なほど冷静に受け止めた。
「私を貴様のモノに? 鬼退治の手伝いでもさせるつもりか?」
「……そういうことになるのかな? でも、わたしあなたをこのまま滅する事も、放っておくことも出来ないと思ったの。だから、あなたを私のものにする」
 奏は一生懸命言葉を紡いだ。それは帝にも伝わっていた。
「悲しい目をしてるあなたの側にいたい。あなたに側にいてほしい」
 伐鬼として、おかしいとはわかっている。けれども、幼い彼女は惹かれてしまったのだ、全てを諦めてしまった悲しい双眸を持つ“鬼”に。それが“鬼”の常套手段だとしても、それに自分が騙され殺されたとしても、奏は恐らく本望と思って死ぬだろう。
 その決意彩る瞳で見られた帝は、今度は自嘲とは違う、明らかにおかしそうに口元をゆがめた。
「面白い童だな、お前は」
「……返事は?」
 精一杯の言葉をはぐらかされた奏の瞳には、心なしか涙が溜まっているように見えた。断られたらこの伐鬼はどうするのだろうかと、一瞬、帝の脳裏にそんなことが過ぎった。だが実行には決して移すつもりはなかった。
 先程まで対峙していた伐鬼ではなく、等身大の十に満たない幼子の小さな頭を、帝はそっと撫でる。
「帝?」
「我を殺せる実力を持つお前の言葉を聞いてやろう。今この時を以て、我はお前のモノだ」
 遠い過去、人に仕えられた覚えが彼にはあるが、人に仕えた覚えが、彼にはない。
「ホント?」
「ああ。お前にこの身の全てを預ける。殺生与奪、全てな」
 帝がそう告げると、奏は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、帝。うれしい」
 無邪気に笑う彼女を見つめ、帝は思った。一度は諦めたこの世の全てを彼女に預けてようと。彼女と同じ気配がするこの幼い伐鬼の傍らにあろうと。
「よろしくね、帝」
「ああ、よろしく頼む、我が主」
「よっし! それじゃぁまず怪我の治療からね! ごめんね、痛かったでしょう?」
 そういうが早いか、奏は帝の傷の手当てを始めた。

 今宵は新月、星さえも瞬くのを止めた様な深淵の闇が世界を覆う頃、また一つの悲劇が始まろうとしていた。


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