眠り姫


 夜、女の部屋に訪れることなんて暫くなかった。彼女が、袂に訪れてから。
「お前、倫理的にオレのこと止めない?」
「どうしてとめる必要があるんだ?」
 切り替えされてルーベは困窮し、シャーリルはため息を付く。
「立場はお前の方が上なんだし。別に何するわけじゃないんだろ?」
「そりゃそうだけどさ」
 歯切れの悪い彼に、シャーリルは付き合いきれないという表情を隠そうともせず言う。
「行きたいならさっさと行って来い。今行かないと、お前夜明けまで悩み続けることになるぞ」
「……」
 背中を押されなければ躊躇するなら行かなければいい、と思いつつも彼は自室の扉を開けた。背後で、腹心が欠伸をする気配を感じながら。


 急に抱きしめたくなったから、抱きしめて。そのまま腕の中で眠ってしまった少女。
 異世界から導かれた覇業の鍵と、この寝顔を見て誰が信じるだろうか。少なくとも、今ルーベが見ている少女がそうであると彼は信じられない。
 強くなりたいと言う彼女に、強くなれると言いつつも、強くなんてならなくていいと心の中では思っていた。ただ大切に守りたいと思っているからこそ、彼女には何もさせたくない。
 頭の回転が悪くない彼女は状況をすれば分析し、次を予想して動くことができるだろう。そんなこと、簡単に想像がつく。それには当然危険が伴う。
 眠った少女の顔を見て、彼は苦笑する。
 あらゆる危険から遠ざけて、籠の中に彼女を閉じ込めておけば自分は安心するのかと言われれば否である。結局、どうすれば自分が納得行くのかわからないまま、彼は少女の肢体を持ち上げた。
 まさかこのまま長椅子で寝かせ続ける訳にもいかない。起こさないようにゆっくりと、彼女の身体を横抱きにする。
「ん……」
 小さくあがった声に、せっかく寝ている少女を起こしてしまったかと身を強張らせたが、再び規則正しい寝息を確認して彼も身体の力を抜く。
 四玉の王と関わった事で、彼女も色々焦ったのだろうと会話をして分かった。だからこそ、仕事を彼女に任せる決意をしたのだ。きっともう動き出し、加速したものをとめることなど誰にも出来ないと諦めがついたから。
 否、最初から無理だとは思っていた。彼がしていたことは悪あがきに他ならない。
 ゆっくりと、天蓋付きの寝台に彼女を寝かせる。白い敷布の上に彼女を横たわらせると、彼女の亜麻色の髪が広がる。眠っている彼女が気付かないように、そっと上に布をかける。小さな身じろぎはするものの彼女は目を覚ます気配はない。
 そっと彼女の白い肌に触れてみる。冷たいかと思った肌は暖かく、思わず安堵の息をつく。怪我をしているわけでもなく、体調を崩している訳でもないのに、どうして彼女をこんなに心配するのだろうかと自らの心に苦笑する。
 女性経験がないわけでもあるまいに、と苦笑いは尽きない。今まであった女性の中で最も愛しく思う少女に触れ、ルーベは自分でも気がつかない間に柔かく小さく唇に笑みを浮かべる。
 全ての辛さから彼女を守ることは不可能であることは承知しているが、少しでも彼女から危険や苦痛から遠ざけたいのだ。彼女の泣く姿は、見たくないのが彼の正直な気持ちである。
 気持ちよさそうに寝息を立てるカノンを見て、彼は見つめている自分の頬の緩みを感じた。一言で言えば、重傷である。
 
 自分のせいで死んでしまったパルティータのことを思い出す。淡い金色の長い髪を靡かせた、蒼眼の美しい女性のことを。彼女の笑顔は少し、カノンのそれと似ていた。
 彼女とは親友であった。だがそれは、腹心のシャーリルとも、袂を別れたエデルとも異なっていた。互いが互いを好きあっていた。だが、それだけだった。困った時には当然助け合い、笑い、泣き、怒り、季節を過ごしていた。頬や額にこそ口付けをしたことはあっても、それはあくまで親愛の証である。
 それ以上のことに及んだことも、及ぼうとしたこともない。
 
 ―――ルーベ様の奥方になるお方は、きっと素敵な方ね
 ―――だって、ルーベ様に愛される方なんですもの

 屈託なく笑って予見した親友を思い出して彼は呟いた。
「お前の言った通りだよ、パル。オレには、過ぎる子だ」
 眠り姫を前にしたルーベの呟きは、宙に霧散する。当然のように答えはない。しかし、彼はそれで良かった。
 彼は、身を屈めるようにしてカノンの顔を覗きこんだ。閉じられた双眸、長い睫、白い肌、桃色の唇、亜麻色の絹のような長い髪、僅かに鼻孔を掠める花のような甘い芳香。何かに酔ったように、狂わされたように、ルーベはそのまま彼女に唇を寄せようとした。
 そっと。気付かれないように。
 しかしその行為は寸での所で止まってしまう。
 バッと身を起こし、ルーベは顔をしかめた。片手で顔を覆ってため息を吐き出す。彼は、寝込みを襲うような真似をしようとした自分の浅ましさに対して怒りがこみ上げてきた。小さく胸を上下させ、心地よい眠りにつく少女に何をしようとしたのだと、自分に問い詰める。
 だが、安らかに眠っている愛しい少女を目の前にしているからこそ、どうしようもない感情に苛まれるのだ。
 どれだけ自分が愚かか、と思いながらも、ルーベは自分の感情に逆らうことができなかった。再びそっと少女の柔からな頬に触れる。カノンを起こさないように、花弁を散らしやすい繊細な花を扱うようにそっと。
 そしてそのまま、彼女のそこに口付けた。それは永遠に思えるほど長く、無意識に呼吸をする速さよりも短い時間だった。彼女の確かなぬくもりと甘い痺れに似た何かを自身の唇に感じたルーベは、ゆっくりとその身を起こした。

 結果的に寝込みを襲ってしまったルーベであったが、その胸中には罪悪感以上に何か温かいものが芽生えていたのだ。
 ゆっくりと、寝台から立ち上がる。
「……お休み、カノン」
 彼はそう呟くと、物音を立てないようにゆっくりと、静かに彼女の部屋から出て行った。
 夜明けまで、あと数時間。眠り姫は、まだ目を覚まさない。


闇鍋風味に100のお題 90.眠り姫より
BACK
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送