おかえり 4

 ダーリエが侍従を呼んで、すぐに茶の用意を整えさせた。少しの果物と菓子、そして茶器が用意される。茶は自分で淹れるとカノンが言うと、侍従は素直に下がっていった。
「姉上の手を煩わせなくとも……」
「お茶を淹れるのも好きなの。ダリィは私の淹れたお茶では嫌?」
「とんでもない!」
 実際、カノンの手で淹れられた茶は、ほろりと心を溶かすような温かさと甘さがあり、ダーリエは絶賛しながら飲んでいた。先ほどの顔合わせの時には大人たちに遠慮していた、ということがよく分かるほど彼は笑いながらよく言葉を発していた。
 二人が歓談して暫く経った頃、ダーリエの視線が急に鋭くなった。柳眉を顰め、口つけていた陶器の器を机に置いた。
「ダリィ? どうしたの?」
「……お静かに」
 カノンの身体を庇うように彼女の横に移動した彼は、腰につけていた自らの剣の柄を握り締め周囲を窺う。次の瞬間、彼は机の上に置いてあった茶器を勢いよく窓辺の方向へと投げつけた。
 ……ガシャン、と陶器で作られた茶器が床に衝突し砕け散り、床には茶が零れていくはずだった。しかし彼女の目に飛び込んできたのは全く違う情景だった。茶器は地面に落ちることなく、宙にに浮いたままくるくると回転している。それは奇妙な構図だった。
「誰だ?!」
「気配で気づくとは、さすがシェインディア家の者、と言うべきか?」
 幾重にも声が重なったような音が二人の聴覚に響いた。
「何者だっ! 姿を現せ!!」
 舌打ちをしながら、茶器が浮いている方向に向かってダーリエが叫ぶと、そこから陽炎のようにゆらゆらと何かが浮かんできた。漆黒のローブを身に纏った、辛うじて見える姿は口元だけの人間が、一人。そして二人、三人と出現してくる。
 同じ背格好の人間が、突如五人も現れたことで、ダーリエもカノンも息を飲む。漆黒のローブを身に纏ったものたちは、同時にどこからか取り出した白刃の剣を構えた。
「私怨はないが、国のために死んでいただく」
「皇帝の手の者か?! 姉上には指一本触れさせないっ!」
 ダーリエも己の剣を抜刀し、カノンを背に庇いながら五人に相対する。その様を見た一人が嘲笑うかのように鼻を鳴らした。
「死に急ぎたいというのなら、それもよかろう!」
 言葉を発しきらないうちに、その一人はダーリエに切りかかって来た。彼は、カノンを突き飛ばすように身体を押すと、少しでも彼女から距離をとれるように前へ走りこみ、男と剣をあわせた。鈍い金属音が室内に響き渡る。力は拮抗してるのか、剣を合わせたまま両者はにらみ合った状態になった。
 先に力を抜いたのはダーリエだった。紫水晶のような双眸を光らせ、体勢の僅かに崩れた男に向かって横凪の一撃を放つが、羽のようにふわりと宙に舞い、男はそれを避けた。男は、漆黒の一団の側に着地する。
「いい筋をしてるなァ、ガキ」
 ニヤニヤと笑いながらそう言う男に、ダーリエが激昂する。
「貴様、僕を舐めているのか?!」
 今の一撃の打ち合いで、二人の実力差は歴然だった。ダーリエとて愚かではない。己と相手の力量は正確に読み取る事が出来たのだ。
 眉間に皺を寄せながら言葉を発しているダーリエに向かって、また別の一人が口を開く。
「あまり大口を叩かぬ方が良いぞ」
「何だと!!」
「弱き犬ほどよく吼える、と言う」
「貴様っ」
「待ってダリィ! 落ち着いて!!」
 突き飛ばされたカノンが後ろからダーリエを抱きとめるようにしがみ付きながら、彼の肩越しに侵入者に問いかけた。
「あなたたちの狙いは私?」
「ああ。貴様の命を貰い受けに来た」
 切っ先は真っ直ぐにカノンを指している。五本の剣に狙われている事実が彼女の心臓を冷やす。思わず自分より年下の少年の衣服を掴む手に力が入ってしまうほど。
「姉上、下がってください」
 それを感じ取ったダーリエが、真っ直ぐに前を向いたまま言葉を発した。
「……いいえ」
「姉上!」
 僅かに声を荒げた弟の耳に、カノンは唇を寄せ「聞いて」と呟いた。
「ダリィ、あなたが部屋から出て」
「なっ!?」
 ダーリエは思わず、といった勢いでカノンのほうを向いた。彼女は唇に人差し指当てて小さな声で言葉を続ける。
「静かに聴いてて。私たち二人ではどうすることも出来ないわ」
「……僕一人でも、姉上一人を逃がす事ぐらい出来ます」
「駄目よ。二人で無事に逃げなくては」
「でしたら、姉上が兄上たちを呼びに……!」
「それも駄目。あの人たちの狙いは私なんだから。私が注意をひきつけるから、その間に、お願い」
「姉上……っ」
「それぐらいなら、私だって大丈夫よ。この部屋は広いし、何より、魔術で攻撃されるのなら私に分があるわ」
 そんなもの、あるわけがない。そもそも魔術が効かないということだってまだ信じきれてない話である。そして、何より相手が剣を持っている、ということは自分に魔術が通じない、ということを知っている人間である可能性は高い。
 しかし、現段階でそれを知っているのは三人。兄たちを含めれば六人。皇帝は疑わしきは罰せよという精神の持ち主だったら、今すぐに自分を殺しに来るだろうけれども。と彼女は思う。
 人を殺す為の刃が照明に当たってギラリと光る。鏡のように磨かれたそれには、家具が映し出されていた。白刃が己の血で染まる瞬間を想像すると、彼女は思わず生唾を飲み込む。
 だが、彼女にはこの状況が不自然すぎて仕方がなかった。ダーリエを逃がしたいのは確かだった。狙いが自分であるならば、ダーリエは関係ない。自分ひとりでも僅かな時間であれば致命傷は追わずに逃げる事も出来るだろう。その間に戦える人を呼んできて欲しいという願いは嘘じゃない。
 けれど今のカノンは恐怖で頭が麻痺をしてしまっているかのような考えが浮かんでしまったのだ。そして、それが恐らく現状の真実であるということを確信してしまった。言葉を紡ぎながら導き出した答え。これはきっと、ある種の「試験」だということ。
「……つかぬ事をお聞きしますが」
 そう考えに至った瞬間、カノンの身体から強張りが消えた。及び腰だった彼女はすっと姿勢を正し、五人の侵入者に向かって言った。
「シャーリル様ですよね?」
 その言葉にダーリエが絶句する。そんな様子に構わず、カノンは淡々と言葉を紡いだ。
「おかしいと思ったんです。シェインディア家に侵入者なんて。確かに鉄壁の王城であろうと、隙のひとつやふたつありますからね。侵入者が入ってきてもおかしくはありません。ですが、今日この時機に侵入者が来るのは不自然です」
 カノンはダーリエよりも一歩前に出た。
「私に魔力は通じない。だから、剣を持っていらっしゃった。ダリィに攻撃したのは、私がこの子に対してどのような行動をとるか見るため。そうではありませんか?」
 彼女がそういいきると、室内から第三者が発しているとしか考えられない拍手が響いた。
「さぁすがはリリィだ。いい目を持ってる」
 室内の扉が開かれていた。入り口付近の壁に背を預け、高らかに拍手をしていたのはリィゲルだった。
「弟を助ける為にその身が傷つく事も厭わない強さ、見せてもらったよ」
 扉の影からシュリューテの姿も現れ、ダーリエは目を白黒させていた。最後に姿を現したのは、この世界で彼女を拾った人物だった。彼はばつの悪そうな顔をしながらカノンに近づいていき、言葉を発した。
「……悪いなカノン、試すようなことをして」
「いいえ」
 少し、いえだいぶ、驚きましたけれどとカノンは困ったように笑いながら言った。
「シャルもご苦労だったな」
 ルーベのその言葉と同時に、四体の人間が消え、一人が残った。
「別に。お前の頼みだ」
 バサリとフードを取ると、その下には見慣れない銀髪の男の顔があったが、それもすぐにシャーリルのものに戻る。
「カノン、ダーリエ様、お怪我は?」
「ありません」
「ない……けど!! 兄上!! 何を考えていらっしゃるんですか?!」
「何って?」
「僕はともかく姉上が怪我を負ってしまったらどうするおつもりだったんですか?!」
 いまだ片手に剣を握ったままの状態でダーリエは兄二人に噛み付いた。当然といえば当然だろう。悪戯にしては心臓に悪いものだった。だがしかし、これはカノンの考え至った「試験」であることに間違いはなかったようで、シュリューテが弟に言い聞かせるように言葉を発した。
「ダリィ。シェインディアの名を受ける者が、半端者であってはいけないのだよ」
「姉上を半端者であると……?!」
「そうじゃない。ただ、その可能性は否定は出来なかったはず。我々は彼女の事を何も知らなさ過ぎる」
 それは正論だ、とカノンは思う。いきなり見も知らずの女を養女に迎えることを了承する、など都合が良すぎると思ってもいいぐらいだ。
「これでリリィがお前を盾に逃げるようだったら、シェインディアの名を受ける人間には相応しくない。その程度の人間だということが分かったな」
「リィ兄上……! ですが、力も武器もない女性が、男であり武器も力もある僕がお守りするのは当然のはず!」
「確かにお前の言うことも間違っていない。それはそうあるべきだ。だがな、そんな程度の女なら、世の中に五万といる。それこそ、吐いて捨てるほど」
 辛辣な長兄の言葉に、末弟はただただ絶句する。
「そんな女をわざわざシェインディアに迎え入れる必要はない」
 リィゲルの双眸が鋭く光ると、今度こそ、ダーリエは黙り込んでしまう。
「けれど、カノンはそうではなかった。貴女は弟を守ろうとしてくださった。あの状況で、ダリィだけは逃がそうとしていたね」
 ダーリエの肩に手を置きながら、シュリューテは言った。
「自分の身分に甘えない心の強さが彼女にはある」
「いえ、私は何も……」
 シュリューテは柔らかく笑ってカノンに言った。
「その優しさは尊いものだ。戦いには決して向かないその優しさこそ、ルーベ様に必要なものかもしれませんね」
「え?」
 彼女がきょとんとした表情になると、ルーベは溜息をつきながらシェインディアの兄弟たちに問いかけた。
「で、結局お前らが仕向けた試験とやらに、カノンは合格なのか?」
「合格に決まってるだろう? シェインディアの姓を名乗るに相応しい女だ、カノンは。カノンはオレたちの妹、ダリィの姉だ」
 先ほどまで氷のような冷たい表情をしていたリィーゲルであるが、今は満面の笑みを浮かべそう言い放つ。
「試すようなまねをしてすまなかったな、カノン」
 リィーゲルの言葉に、カノンは首を横に振る。
「それほどのことだということは、今の私にも理解できます」
「カノンは聡明な子だ。ああ、今はその程度の理解でいい」
 彼は優しく彼女の頭を撫でた。シュリューテもまた、柔らかく彼女を見つめている。言葉だけの歓迎ではなく、心からの受け入れてもらえたことを、カノンは本当に喜ばしく思った。
 その様子を見守っていたルーベがひと段落ついた所で声をかけた。
「なら、この話はこれで終いだな。カノンを連れて帰るぞ」
「おい、それはないだろうルーベ! カノンだって疲れてるんだ、それこそ家で休んでいったほうがいい」
「こんなことされた場所で大人しく寝られるか。また後日でいいだろう」
 ルーベとリィーゲルは無言でにらみ合った。カノンとしたは、出来ればルーベの屋敷に戻りたいという気持ちはあった。確かに、こんなことがあった場所でゆっくり休めるかと言われたらそこまで太い神経を彼女はしていない。
 だからといって、自分から言い出しては失礼な気もして彼女が困っていると、助け舟を出したのはシュリューテだった。
「行っておいでなさい、カノン」
「……よろしいのですか?」
「ルーベ様の仰る事にも一理あります。少しでも、慣れた環境の方が今はカノンにとってはいいはず」
「だがな、シュシュ……」
「聞き分けてください。子どもじゃあるまいし」
 次兄にぴしゃりと言われては、長兄として口を噤むしかない。彼の言っている事は正しく正論でもある。シュリューテはカノンに近づくと、そっと彼女の頬に手を添えた。
「カノン」
「はい」
「ここはキミの家だ。いつでも帰っておいで」
 耳に心地よい高さの声で、シュリューテは言った。
「キミがただいまといえば、おかえりと私たちは迎えるよ。ここはキミの場所だからね。それを覚えて」
「……はい」
 彼の言葉に、カノンは涙をこぼしそうになった。何も知らない、誰も知らない場所で。親切にされているとはいえ、心細くないといえば嘘になる。けれど、突然現れた自分を『家族』と受け入れてくれようとしている人たちの温もりは素直に心地よい。
「ありがとうございます、……お兄様」
 少しだけ、照れながらカノンはシュリューテを兄と呼んだ。すると彼も、いっそう柔らかく笑って見せた。
「カノン、オレのことも兄と呼んでくれるんだろう?」
「喜んで呼ばせて頂きます。リィゲルお兄様」
「……。妹に兄と呼ばれるのはまたひとしおだなあ、シュシュ」
「私も兄上と同じ気持ちを噛み締めておりましたよ」
「お前ら、大概にしろよ?」
 真顔で大いに感動している二人の兄弟に、そうルーベが言うのを、カノンは笑って見つめていた。その様子を見つめながら思う。私は何て運のいい人間なのだろう、と。



BACKMENU
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送