おかえり 2


 彼女の目の前には、冷製のスープが鎮座していた。白いスープの上に、バジルのような緑がわずかに浮いていた。まるでヴィシソワーズのようだと頭の片隅で思いつつ、カノンは身を強ばらせていた。
「そんなに緊張しないでいいんだよ?好きな物を食べながら、談笑をしたいだけなのだから」
「は、はい」
 席順は、いわゆるお誕生日席にシュリューテが座り、その右側にルーベとカノン、左側にリィゲルとダーリエが座っている。リィゲルは先ほどは、正装に身を包みきる前にカノンの元へ来てしまったので、一度身支度を整えなおしてから現れた。
 頭の下の方で漆黒の髪を結わき、顔には先ほどはなかった単眼鏡(モノクル)をつけていた。それだけでも印象が大分変わってカノンには映っていた。三兄弟とも、揃いのように白いシャツに、黒いスラックスに、革靴を履いていた。ただし、リィゲルとダーリエは簡単にその上に、双眸と同じ色の上着を纏い、シュリューテは紺色の外套に近い物を羽織っている。
 見目麗しい男性に囲まれて、カノンは当然緊張を強いられていた。彼らは傍らに置かれたクリスタルグラスに注がれた果実酒に口をつけているが、カノンは侍女に取ってもらったパンを食べているが、味がしない。本来ならほのかな甘みが口内に広がっていくはずなのだが、緊張が味覚を麻痺させているのだろう。そんな様子を眺めていたリィゲルが紫紺の双眸を細めながら言った。
「リリィは食事している様も可愛いな」
「そ、そんなことありませんっ」
「いやいや。叶うなら妹ではなく、僕の花嫁としてシェインディアの姓を名乗ってもらいたいぐらいだよ」
 彼の言葉で食卓の空気か固まった。うっかりパンを喉に詰まらせたカノンが口元を押さえてせき込むのを、ルーベが背をさすって落ち着かせる。侍女が陶器にいれられた水を差しだしている間に、三兄弟はまるで三竦みのようになっていた。
「リィ兄上! お戯れもほどほどにしていただかないと!! 姉上が困ってしまわれます」
 一番下のダーリエが白磁器のような肌に朱を走らせながら、一番上の兄にくってかかる。しかし、リィゲルはどこ吹く風であった。
「何を言ってるんだ。戯れなんかじゃないさ。本気で娶りたいと思っているよ?」
「兄上、ご自分の年齢を鑑みて下さい」
「ハハッ、ルーベでいいなら僕でもいいだろう。それともあれか?シュシュは自分の方がふさわしいと思ってるのか?」
 そう言いつつも、彼女に悪戯に片目を閉じて微笑みかけるリィゲル。彼の行動が冗談だと分かりつつも、反応してしまうことにカノンは恥ずかしさを感じていた。
「お前ら、大概にしろよ。カノンを困らせてどうすんだ」
 声色はあくまで穏やかに喧噪としている三兄弟に言った。しかし声色とは裏腹に、彼の眼孔には人を射殺さんばかりの視線で三人を見据えているルーベに三人は息を飲む。彼の目に、ダーリエは言葉を失い、リィゲルは肩を竦め、シュリューテは一人柔らかな笑みを絶やさず頭を下げた。
「お気に障りましたら申し訳ありません」
「いや、別に何を言っていても構わないんだがな、カノンが可哀想だ」
 ようやく酸素をまともに吸えるようになったカノンはまだ頬を赤らめて居心地が悪そうにしている。その彼女に、申し訳なさそうにシュリューテが言葉を紡いだ。
「からかっていたわけではないんだ。私たちは妹が……ダリィは姉か、がずっと欲しいと思っていたのです。だから、貴女のような可愛らしい方が身内になってくれることが嬉しくて」
 シュリューテが柔らかく諭すように言葉を紡いでいるのを聴いたカノンは、恐る恐るというように彼に問いかけた。
「あ、あの」
「何ですか?」
「私を、その、シェインディア家の一員として認めて下さるのですか?」
 断られるかもしれないという思いが強かったカノンがそう聞くと、三兄弟は一瞬表情が抜け落ち、次の瞬間、大貴族の息子たちからぬ爆笑をした。それこそ酸欠に陥るのではないかというほど笑う彼らに、またカノンは当惑する。
「何を言ってるんだいリリィ! 反対なんてするわけないだろう。初めて姿を見た瞬間、リリィは僕の妹になるべき人物だと確信していたのだからっ!」
「そうですよ! ボク達、姉上のお話を聞いたときから、シェインディア家に来ていただく日を指折り待っていたんですよ? お話させていただいてますます当家にふさわしい方だと思いました!」
「仮に兄上やダーリエ、隠居した父母が反対したとしても、現当主は私ですからね。反対なんてさせませんよ」
 口々にそう言われると、カノンは恐縮やら嬉しいやら様々な感情に襲われ次の言葉が出てこなかった。
 そんなカノンの頭を優しくルーベが撫でた。彼女が視線を上げると、とても柔らかな笑みを浮かべた彼の視線と交わる。
「なっ? 言っただろう? 先方はカノンのこと、すげぇ気に入ってるって」
 いささか、ルーベがこの三兄弟に何を話したのか気になるカノンであったが、彼が悪口を言ったとは思えない。そして、言われているような気配を三人からも感じられなかった。受け入れてもらえることの喜びは、ゆるゆると、しかし確実に彼女の胸に広がっていく。
「……嬉しいですっ」
 喜びと共に言葉が溢れると、ルーベはもう一度彼女の頭を撫でる。
「良かったな」
 そう、ルーベとカノンが微笑みあっていると、三人がおもしろくなさそうな表情になった。
「ルーベ様、妹の婚約者と言えども、兄弟の前で見せつけられるのは気分はよくありませんよ?」
「別にこっちがごねてもいいんだぞ、ルーベ。可愛い妹を幸せに出来る男は別にお前じゃなくともいいんだからな」
 年長の者は言葉を口にするが、この場で一番の年少者のダーリエはじっとルーベを見つめるしかない。
「典礼省にまだ申し出もしてないのに、気が早いな」
「最初から決まっていたような話ではありませんか。貴方から色々聞いて本人に会って、断る理由が見つかりませんでした」
 シュリューテは穏やかに笑いながら言った。
「改めて、彼女を我がシェインディア家に迎え入れます」
「無理な願いを聞き入れて頂けたことを感謝する。シェインディア卿」
「礼には及びませんよ。むしろこちらが礼を言いたいぐらいなのですから」
 二人の会話がすむと、リィゲルが柏手を打った。
「話がまとまった所で、せっかく用意させた料理が冷めてしまう」
「そうですね。姉上のためにこしらえさせたんですから! 食後には菓子もありますし。姉上は何がお好みですか?」
 先ほどまで口を挟むことができなかったダーリエが嬉々としてカノンに話しかけながら、会食は穏やかに進んでいった。
「そういえば……」
「何だい、リリィ? 聞きたいことがあるなら、遠慮なく言ってごらん。最初が肝心だからね」
 和やかに進む食事の中で、ふと疑問に思っていたが聞きそびれていたことをカノンは思い出したのだ。彼女はリィゲルに問いかけた。
「先ほどから、私のことを“リリィ”って呼ばれていますよね?」
「ああ。不快だったかい?」
「いいえ! 違います」
 カノンはふるふると首を横に振ると、リィゲルは紫紺の目を細めて、食事の手を休めていった。
「僕の母親と、シュシュとダリの母君がね、とても好きな花なのだよ」
 リリィと聞いて、百合を思い出したカノンだったが、この世界では、鈴蘭に似た花だという。その言葉に、シュリューテも、相槌を打った。
「そういえば、そんなことを言っていましたね。どちらかが先に女の子を産んだら、その花の名前をつけると」
「ああ。君にはカノンと言う名があるのは知っている。だけど僕はあえて、可愛い人と。リリィと呼びたいから呼んでいるわけだ」
 そう言うと、彼はグラスに入っていた果実酒を煽る。
「嫌ならば、嫌といってくれてかまわないよ?」
「いいえ! そんなことないんです。ただ、響きがあまりに可愛らしいので、私に合わないというか……」
 花の名前で呼ばれるなど、昨今海外映画でも見られない事態に途惑いながらカノンが言葉を紡ぐと、リィゲルは蕩けるような笑顔で言った。
「カノンは十分に可愛らしい! だから、リリィと呼ばれても何ら問題がないんだよ。わかるかい?」
「え……」
「三人ともそう思うだろう? 清楚で愛らしい花のようなカノンの愛称に、これ以上相応しい名はないだろう?」
 高らかにそう謳うリィゲルに、小動物のように頷くダーリエと、穏やかに同意するシュリューテ。しかし、ルーベは同意はするも、完全に頷いたわけではなかった。その反応が納得しなかったリィゲルは、単眼鏡を照明で光らせて、食卓に行儀悪く身を乗り出しルーベを睨んだ。
「何か。騎士団長様はうちの妹は愛らしくないとでも言いたいのか?」
「酔っ払ってるのか、お前は」
 ルーベは苦笑しながら肩を竦めて見せた。
「確かに、カノンは可愛いし、花の名前も似合うと思う。だけど、彼女の名前には既に花の意味が入っているんだ」
「花の意味?」
 怪訝そうに眉を顰めるリィゲルに向かって、ルーベは続けた。
「花の音、でカノンと、彼女の国では言うそうだ。花のように愛らしくて、音のように美しい。彼女を表すのに、これ以上適切な響きはないとオレは思っているからな」
 さらりとそういわれると、リィゲルは黙ってしまった。リィゲル以上に、カノンが言葉を失う。これから先、とんでもない不幸が待っているんじゃないかと勘ぐりたくなるぐらいの幸せを今彼女は味わっていると感じていた。
 両頬が熱くて仕方がなかった。カノンは自分の名前を、このように褒められたことは初めてではないが、こんなに体の内側が熱くなったのは、初めてだった。
 今までで一番、頬が赤くなってしまったカノンの様子に、対面に座っていたダーリエが気付き、小さな騒ぎが起こってしまうのはこれから数十秒先の出来事である。


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