おかえり 1


 薄い絹を幾重にも重ねたクリーム色のドレスは、柔らかく彼女の体を包んでいた。肩甲骨の辺りまで伸びている髪は真紅の石で作られた花飾りがひとつつけられている。髪を丁寧に梳かし、身を包む衣服も華美過ぎず、大人し過ぎず、あくまで『品のよいお嬢様』を装ってある。
「そんな緊張しなくて大丈夫だって」
「で、ですが。これで断られてしまったら、私は……っ」
「そんなことないと思うけどな。先方、カノンの話したらすっげぇ喜んでたし」
 舗装されていない道を馬車に揺られて進んでいく。中には落ちつかなそうに手を組んだり離したりしているカノンと、その姿を笑いながら見ているルーべである。
 今日、二人はシェインディア家に挨拶をしにいくことになっていた。それは結婚の報告に行く、などという色めいたものではなく、養女にしてもらおうことを正式に願いに行くためのものであった。
 この世界に来たばかりのカノンには後ろ盾がない。一般の民が騎士団長であり、皇帝の弟という身分にあたる人間と婚姻関係を結ぶのは容易なことではない。その為、ある程度の後ろ盾をつけるべく、彼らが考えたのはカノンを有力な貴族の養女にしてしまおうということであった。
 そこで名前が上がったのは、皇室とも縁が深いシェインディア家であった。旧帝国時代から続く名家であり、遡ればこの家の主が、英雄帝の妃であり、二代皇帝の実母でもある。国の礎の一端を担ったこの家ならば、彼女の後ろ盾に相応しいとルーベたちは考えた。
 だが、皇室に縁があるということは、ルーベのみならずサンティエとも交流があるのだ。そこからカノンの情報が流れてしまったり、彼自身の身に何かあったら問題だろうと最初のうちはシャーリルも渋っていた。だが彼には『大丈夫である』という確固たる自信があるらしく、そうしている間に今日を迎えたのだった。

 高い天井の採光窓から光が降りしきる、玄関に一歩足を踏み入れると、そこはまたカノンにとって異世界が広がっていた。絵物語の世界観にいまだついていくことが出来ずにいる彼女にとって、適当に侍従と話をしているルーベさえも別世界の人間に見えていた。
 鏡のように磨かれた石畳に一歩を踏み出せば、踵の音が軽やかに響き渡る。口をやや開けた状態で辺りを見回していると、誰かが小走りでやってくる音が聞こえてきていた。音の出所に視線を向けると、音の正体は簡単に姿を現した。
「……っ!」
「え?」
 漆黒の髪を緩やかに結ってある男性。真っ白なシャツに黒いスラックスを履いていて、装いはどこかまだ身支度の途中のような雰囲気を醸し出しているのだが、その彼は階段を駆け下りてくる勢いそのままに、カノンに突進し、彼女の細い身体を抱きしめた。
 効果音が付くのであれば、ぎゅーっ、と言ったところだろうか。カノンは悲鳴を上げることも忘れ、その男の腕の中で硬直し、彼のされるがままになってしまった。
「君がルーベの言っていたリリィだねっ! 聞きしに勝る愛らしさだ!!」
「えっ?」
「ああ、突然の事で驚いてしまってるようだね、可愛いリリィ。僕はリィゲル・フォール・シェインディア。リリィの一番上の兄にあたる。これからよろしくやっていこうじゃないか!」
「ええ?」
 抱きしめられた状態から解放されると、今度は両手を握られ、鼻先が触れてしまいそうなほど近くで言葉を紡がれ、紫紺の双眸で覗き込まれた彼女はまともな受け答えが出来なくなってしまう。
「ああ、リリィ。恐がらないで。君が恐れることなんて、僕は何もしな……痛っ」
 彼が捲くし立てるように言葉を紡いでいくのを遮るように、彼の後頭部に人の形を模した、彼女にはブロンズ像の類に見える彫刻が命中した。鈍い音と同時に、彼は悲鳴を上げることも出来ずにカノンを解放し、その場に崩れた。
「既に恐がられてるって言うことに早く気づいてください。それともあれですか? 騎士団長様を目の前にして、白昼堂々婦女暴行ですか? 止めてくださいよ、リィゲル兄上。シェインディア家の名前に傷がつきます」
「〜〜〜っ! 上等じゃないか、シュシュッ!! お兄様の脳天にこんなものを投げつける何て、殺すつもりかっ!!」
「今のはリィ兄上がいけませんよ。シュリ兄上が正しいですよ」
「ダリッ! 何てことを言うんだ! 僕はお前をそんな様に育てた覚えはないぞっ!!」
「育てられた覚えもありません」
 目の前で繰り広げられる小芝居めいた会話は何だろう、とカノンは呆然と立ち尽くしていた。どう反応をすればいいのかもわからず、適切な言葉も浮かんでこず、どうすることも出来ずにいると、口元に手を当て、肩を震わせているルーベが目に入った。
「ルーベ様ぁ……」
「……っ。わ、悪い悪いっ。お前ら、兄弟仲がいいのは結構だがな、カノンが困ってるだろう?」
 情けない声で彼女が助けを求めると、クツクツと笑いながらルーベが彼女の元へ歩み寄った。すると、下に座り込み、俄かに目尻に涙を溜めていたリィゲルと名乗った男が立ち上がった。
「ああ、ルーベ。久しぶり。……騎士団長様とお呼びしたほうがよろしいか?」
「止めてくれ、気持ち悪い。今さらだろう、リィ」
 ルーベがリィゲルに手を差し出すと、彼は素直にその手を取って立ち上がった。紫紺色の双眸が嬉しそうに微笑む。
「こいつは、シェインディア家の長男で……」
「妾腹の子どもなので、この家の家督は継げませんが。改めて、初めまして。リィゲル・フォール・シェインディア。ルーベとは気心の知れた仲だと思ってください。お見知りおきを」
 先ほどとは打って変わって、恭しく頭を下げるリィゲルに、まるで石化から解放されたようにカノンが勢い良く頭を下げた。
「は、初めまして! カノン……、カノン・サクラギと申します」
「そんなに肩の力を入れなくても平気だよ、カノン。頭を上げて」
 耳に染み入るように紡がれた、リィゲルとは異なる声に促されるように、ゆっくりと顔を上げると、そこにはもう二人人間が増えていた。
「兄が失礼したね、初めまして。シュリューテ・キース・シェインディアです。正妻の息子です」
 先ほどリィゲルが妾腹、と言ったのでわざとらしく正妻の子と言葉を添える。美しい、癖のない金色の髪を緋色の紐で高く結ってあり、肌はまるで真珠のような輝きを持ち、双眸は柔らかな碧玉色。美しい言葉を紡ぎ上げる唇は珊瑚色であり、一見するとまるで女性のような物腰の、先ほどリィゲルに銅像を投げつけた男性が微笑みながらカノンの手を取り、口付けた。
 ルーベの男性的な容貌でもなく、シャーリルのような中性的な容貌でもなく、とても女性的な容貌をもつ美形に口付けられた彼女は、再び身体を強張らせた。
「よっぽどお前のほうがカノンを恐がらせている気がするが?」
「慣れてないのでしょう? 仕方ありませんよ。でも、これぐらい慣れなくては駄目だよ、カノン。これからこれぐらいのことをされる機会は増えるのだからね」
「は、はい……」
 カノンが蚊の泣くような声でそう呟くと、もう一人の男性が少し頬を膨らませて二人に抗議した。
「リィ兄上、シュリ兄上。二人ばかりで姉上を独占しないでくださいよ」
 男性、と表現するには少し幼さを残した人物は、シュリューテよりも一歩前に出て、彼女に頭を下げた。
「初めまして、カノン姉上。僕はダーリエ・レヴィ・シェインディアです」
 花が綻ぶような笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ彼は、リィゲルと同じ紫紺色の双眸をしているが、少しだけ波打つシュリューテより少し濃い金色の髪。しかし、三人に共通して浮かんでいる笑みはどこか似ていて、三人が確かに兄弟であることを示していた。
「上の僕が二十四歳、下の弟が二十三歳、一番下が十六歳。現皇帝の唯一の子、現在第一皇位継承者と、ダリは同じ歳なんだ」
 リィゲルがダーリエの頭を撫でていると、それを嫌そうな顔で払いのける。
「兄上、子ども扱いするのをやめてくださいっ!」
「ハッハッハ、可愛らしい姉上が出来たら格好をつけているな」
 嫌がるダーリエの姿を見て笑うリィゲルを放っておいて、シュリューテが先ほどと変わらない笑みを浮かべて言葉を紡いだ。
「騒がしくて申し訳ありません、ルーベ様」
「いや、皆息災で結構なことだ。むしろ、突然の申し出を快諾してくれたこと、感謝している」
「いえいえ。シェインディア家とライザード家の仲じゃありませんか。お気になさらないで下さい」
 シュリューテとルーベは穏やかに会話を交わし、リィゲルとダーリエは賑やかに口げんかを楽しんでいる。この空間でカノンは一体どうすればいいのかと真剣に悩みつつ、彼らの会話が一段楽するのを待っていた。


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