剣の望む世界は

 体格に恵まれ、まだ成長途中のその身体は戦士としての夢を見るには十分なものだった。大概、戦いに身を置く者に対して、顔は二の次、三の次と言ったところにあるが、彼の場合まだ幼さが残るそれではあるが、あと数年もすれば夜会で女性が淡い吐息をこぼしながら、熱の篭った視線を送ることは間違いない容貌だった。
 彼は貴族に生まれていた。その家からは数多く、武門に秀でた者が生まれている。彼もその一人だった。当然のように幼い頃から身体を鍛え、十四になる年に士官学校へと入学した。
士官学校は基本的に全寮制であり、そこで規律をいやと言うほど叩き込まれる。それは貴族の御曹司であろうが平民であろうが関係ない。彼らが帰宅できるのは年に指を折って、片手で数えられる程度だった。
 多くの学生たちは、自分たちを迎え入れてくれる家に帰れることを表情に出さずとも喜んでいるのだが、ティトリー・ルトルアはその日が近づくと自然に溜息が増えてくるのであった。

「くぉらっ! この放蕩息子っ、いい加減観念しろっ!!」
「うるっせークソ親父! 顔みりゃやれ身を固めろ、見合いしろって!! それしか言えねぇのかよ、この耄碌爺!」
 ルトルア家では、長子であるティトリーが十八の歳をまたいだ辺りから、父親が結婚しろと五月蝿く騒ぐようになった。昨今のクランフェルツ大陸統一という動きの激化で、若者も多く戦場に駆り立てられている。勝てば官軍とはよく言ったもので、戦争とは地位を築き上げる為の手段と見るものも多い。
そのため、貴族の男子も多く軍属になっていた。
 ルトルア家は貴族。特に武門に秀でた人間を輩出する名家と呼ばれていた。しかし、それも先代までのこと。現当主であるティトリーの父はその手の腕についてはからきしといっても過言ではない。そのため、戦果によって今日まで家を繋いできたといっても過言ではないルトルア家はじわじわと、真綿で首を絞められるようにゆっくりと衰退の道を歩もうとしていた。
 そのせいなのだろうか、ティトリーの父親としては、士官学校を卒業したらもうさっさと息子にどこかの有力貴族と結婚してもらい、ルトルアの地位を確固たるものにしたいのだ。幸運にも、この家に嫁いできた妻は国で噂になるほどの美女で、彼女の血を色濃く継いだティトリーは父親の目から見ても美形だった。
 口の悪さを除けば、顔良し、頭良し、運動神経良し、おまけをつけるなら将来性もある。良い所尽くめといっても過言ではない優良株だ。故に父親は一生懸命自分のところよりも良い家柄のお嬢様に息子の肖像画を見せ、結婚させようと画策しているのだが、当の本人は至って乗り気ではない。むしろそれを全力で嫌がっていた。
 ルトルアの屋敷では、最近この話題が耐えない。父の部屋に呼ばれれば必ずといっていいほどこの話題で揉めるので、いい加減ティトリーも飽き飽きしていた。
「親父とお袋は恋愛結婚だったんだろ?」
「ああ、そうだ」
「だったらオレも自分の伴侶ぐらい自分で探すっつーの」
 若き少年の高らかな宣言を聞いた父親は盛大な溜め息をついた。こうなってしまったらティトリーに何を言っても通用しないことを彼は知っていた。
「私はだなぁ、お前の将来を真剣に憂いているからこそこうやってだなぁ」
 それでもなお食い下がる父親の言葉にティトリーは、赤茶の髪をかき回し、父親に気づかれない程度に溜息をついた。本来ならば、確かにいち早くある程度の身分の女性と婚姻を交わし、ルトルア家をより発展させつつ、ここまで自分を育ててくれた父と母には楽に生活してもらいたいと思ってはいる。
 だが、問題がひとつあった。
 この年頃だというのに、ティトリーは女に興味がない。それは性的嗜好が男にしか向けられないというのではなくて、ただ単に興味がないのだ。ティトリーは今年で士官学校を卒業することになっていた。
 士官学校の就学年齢は、一応十四、五歳頃。義務教育を終えていることが条件である。多少、この年齢より少しなら早くても遅くても入学可能であるのだが、ほとんどの場合、それは認められていない。例外は常に、貴族たちの良いように使われている。
 在学期間は四年間。ティトリーも義務教育期間内に課程を終え、十四歳から士官学校生として通い今年卒業を迎える。そのまま学校に残って勉強するつもりはさらさらなく、軍曹として分隊長からの新しい日が始まるはずである。
 しかし、それを家族が快しと思っていないのも知っていた。
 ……世間をみればこの乱世に女に現を抜かしている暇など、本当はない。町民が徴兵され戦火に借り出され、いつ死ぬかも分らないところで国の為と戦っている。それなのに自分はどうなのか。己の身を顧みてティトリーは思う。
「いい加減になさいませ、あなた、ティト。外まで聞こえていてよ?」
 キィと小さな音を立てて、装飾の施されている木製の扉が開いた。
「フィルシア!」
「……母上」
 そこに立っていたのは品の良い貴婦人。茶色の髪を纏め上げ、黒紅色の、ティトリーと同じ瞳を持つ女性は優しい笑みを浮かべながら室内に入ってきた。
「あなた、もうお止めになったら? ティトだってもう子供じゃないんだから自分の考えだって持っています。親に強制されなければ何も出来ない王族の子よりもはるかに立派ですよ?」
「しかしだな、フィルシア」
「ティト、もう行ってもいいわよ。父上とは私が話をつけておきますから」
 やんわりとした口調で彼に言うと、これ幸いと言わんばかりに両親に一礼するとさっさと部屋を後にした。部屋に残された父の叫び声と、それを嗜める母の声は、彼が自室に駆け込む頃にはもう微塵も聞こえてこなくなった。
「……いい加減にしてくれ」
 バタンと勢い良く自室の扉を閉めると、ティトリーはそれに寄りかかってずるずると地面に座り込んだ。
「お兄様も大変ですわね」
「兄上、大丈夫ですか?」
「……お前ら、聞いてたのか?」
「そりゃぁ聞こえてしまいますわ。あれだけ毎日、あれだけ大きな声で騒げば」
 そう言って現われた少女は笑い、少年は心配そうに首を傾げる。座り込んだティトリーと同じように座り込んだ二人の頭を、彼は苦笑しながら撫でた。
「久しぶりにお兄様がお家に帰っていらしたのに、お父様ったら同じ言葉ばかり繰り返して……」
 頬に手を当ててため息を付く少女は、彼の血の繋がった妹である。明るい茶色の髪を手入れの行き届いた背中の真中まで伸ばしてあり、にティトリーと同じ色の瞳を持つ少女の名は、リリア・ルトルアと言う。今年で十六を数える彼女にこそ嫁入り先を探してやれと、兄である彼は常に思っていた。
 まだまだ幼さの残る風貌ではあるものの、もうニ年もすれば町行く男の視線を独占出来る美女になる片鱗を垣間見せる妹に、彼は苦笑する。
「ま、気持ちがわからねぇわけでもねぇからな」
「でも、兄上はまだ結婚するおつもりなんてないのでしょう?」
「お前もしばらく見ねぇ間に一端の口叩くようになったな、ジェレミィ」
「レミィだってもう六歳になりますのよ。お兄様」
「そっかぁ、オレが士官学校に入ったとき、お前二歳だったもんな」
 リリアに後ろから抱きしめられるようにちょこんと座っていた、くりくりとした焦げ茶色の大きな瞳を持ち、ティトリーと同じ赤茶けた髪を肩口まで伸ばしている少年は今年六歳になる彼の弟。ジェレミィ・ルトルアである。
 久々に家に帰って来た兄の腕に引き寄せられ、持ち上げられた少年は嬉しそうに笑った。ぎゅっと弟を抱きしめると、再び妹と向き合う。
「で、お兄様はどうなさいますの?」
「何が?」
「軍にお残りになるのですか? それとも、家督をお継ぎになるんですか?」
 十六になった妹は、すでに物事の分別がつく。真っ直ぐ投げられた確信をつく言葉に、彼は再び苦笑する。答えずに、腕の中で弟と戯れると、容赦ない妹の言葉が早次に投げつけられた。
「もう、お心が決まっていらっしゃるんでしょう?」
「まぁ……な」
苦笑いの表情を崩さす、弟と戯れていると、達者な口を利くようになった妹は、彼の想像の斜め上を行く言葉を発した。
「お兄様の人生ですし。お兄様のお好きになさってよろしいのではなのじゃないですか?」
 彼女の言葉に、彼は言葉をなくした。彼女は当たり前の言葉を口にしただけのはずなのだが、彼にとってそのことばは十分驚きに足りる言葉だった。
「兄上、兄上!」
 腕に抱いていた弟が半ば呆然としているティトリーに声をかける。
「……なんだ、ジェレミィ?」
「兄上はお好きになさってください。ぼくが家をまもります!」
 真っ直ぐな視線で弟はそう言う。たった六歳の弟は本当に一端の口を叩くようになっていた。
「でも、お前だってしたいことがあるだろう?」
「ぼくは兄上のようにつよくなれません。ですから、兄上が軍務におつきになるのでしたら、ぼくがいます。何の心配もしないで任におつきください」
「勿論、お兄様を追い出そうとしているわけじゃございませんわよ」
「わかってるよ」
 ティトリーは腕の中の弟の頭と、妹の頭を両手で撫でる。撫でられた妹弟は嬉しそうに目を細める。
「お兄様」
「何?」
「あたくし、夢がありますの」
「夢?」
「ええ、争いのなくなったこの国で、お兄様のお嫁さんと一緒に午後のお茶を楽しみたいです。あたくしはレミィが家督を立派に継ぐような人間なるまでどこにも嫁ぐつもりはありませんからね。そしてレミィが立派な紳士になったとき、あたくしはお嫁に参ります。それがあたくしが描いた夢ですの」
 それはそれで大いに問題がある、と言うことを彼は辛うじて飲み込んだ。
「だからお兄様。あたくしなんて世間知らずの小娘がお兄様に意見するなんて、十全でないことぐらい重々承知で申し上げます。統一王朝を作るお手伝いをなさってきてくださいませ」
「リリィ」
 彼女は満面と笑う。
「あたくし、今が幸せですの。でも、いくら今の時間が止まって欲しいと望んでも、時間は残酷で、砂が手から零れ落ちるように決して止まってはくれません。ですから私は未来を望むんです。今も、未来も楽しみたい。ずっと幸せでいたいですからです」
 彼女は歌うように言葉を紡ぎ上げる。
「ですが、あたくしは力がありません。だからお兄様にお願いするんです。お兄様、平和な世界を作ってくださいませ。お強いお兄様でしたら、戦場で武勲を立てることも可能でしょうが、レミィは無理です。あたくしはレミィが徴兵される世界なんて堪えられません」
 弱者の切なる言葉、と少女は語った。
「力なき者の戯言だと、お思いになりますか?」
「思うわけ無いだろう」
間髪をいれず答えた兄に対して、少女は満足そうに頷いて、さらに言葉を続けた。
「あたくしにも、レミィにも出来ないことが出来るなんて素晴らしいことですわ。あたくしも、この子も、お兄様がお兄様であることを誇りに思います」
 ねぇと兄の腕に抱えられている弟に姉は目配せをすると、首がもげるのではないかと言う速さで少年は頷く。
 こんな所でも、背中を押されてしまった感じがして、ティトリーは彼等に気付かれないようにため息を付く。もうこの時すでに、彼の心の中で一つの答えが導き出されていた。


 数日後、ティトリーはまた父親の自室に呼ばれた。今度はどこの令嬢だろうか? そんなげんなりとした思考が彼の脳裏を駆け巡る。だがしかし、今日はどこの女性を見せられても、自分の意志をはっきりと伝えようと彼は固く決意していた。
 見慣れた木製の扉をコンコンと二回ほど扉を叩いてから、彼は自らが訪れた事を告げた。
「お入りなさい」
 意外にも中から来た返事の声は母親の声だった。父親と母親の連合軍だと、交わすのは少し至難の業だなと真剣に思いながら、少し気が重くなったティトリーはゆっくりと扉を開いた。
 そこにいたのは他でもない自分と同じ赤茶の髪を持つ父と、自分と同じ黒紅色の瞳を持つ母の姿だった。心なしか表情が硬い。扉を閉めるときに生まれたささやかな音さえ、いつもはうるさいこの部屋に響いてティトリーは話題が笑い事ではすまない状態のものだと直感した。
「……とうとう自己破産か?」
「たわけた事を抜かすな馬鹿息子!!」
 真剣な面持ちで言ったティトリーに向って、父親は手近にあった墨壷を息子に投げつけた。相当な速さを持って投げられたそれを、軽く彼は避けてしまい、墨壷は扉に激突して硝子の破片と黒い液体を撒き散らし地面に散る。
「あらあら、後で片付けさせないと。あなた、いきなりそんなことをしてどうしますか」
 おっとりとした口調で、一向に動じることなく母親が言うと、正気に返った父親が盛大な溜め息をついた。
「違うんだ?」
「違うわっ!!」
 米神に指を当てて、頭痛をやり過ごしているかのような動きをしてみせた父親は、腹の底から息をついたように溜息を出して言葉を紡いだ。
「お前、……少尉候補者なんだってな」
「……」
話す必要がなかった、というよりも、話す機会を逸してしまい離す事が出来なかった話題を持ち出され、ティトリーは沈黙する。彼は士官学校でも、同輩の人間の中で突出して腕がよかった。
直接戦場に出た経験はまだ一度だったが、その時すでに、人の命も奪っている。嫌悪感があったことは間違いなく、それが何に対してかはわからなかった。ただ自分の瞳に映る同輩たちが人を殺した衝撃で精神を病んでしまったり、その場で倒れこんでしまったりしている姿を見ていた。
だからこそ、自分の異常性が際立って見えた。先輩の兵士に「人を殺す才能がある」と褒め言葉なのか嫌味なのか判別しにくい言葉を貰っても、別に心は動かされなかった。ただこの時彼が静かに思ったことは、安寧とした生活より、死と隣り合わせの場所に居た方が自分には合っているという漠然とした確信だった。
だからこそ、家族が望む暖かな場所は必要なかった。理屈では分かる諸々のことが、今はわからない。わかろうという努力もしていない。ただ、今のどこか壊れたような、どこか欠けたような自分が役に立つ場所があるならば、そこへ行きたい。ただ純粋にそう思っているのだ。
「親父……」
 ティトリーは罰の悪そうな表情をする。
「この時期に出る話だ。もうほぼ確定なんだろう?」
「……ああ」
「やはりな」
 通常士官学校卒業生は、軍曹として分隊を率いることになる。だが、その上お目付け役月ではあるが、少尉という地位を得て卒業できる者もいるのだ。それには付属として『貴族』という印籠がなければいけないのだが、それに関してティトリーは全く問題はない。
 彼の祖父は現在、軍に剣術指南役で勤めている。母親の家系もまた、剣術一家の家系で、その血を色濃く継いでいるティトリーの腕前は相当なものであり、この評価は妥当といってもいいぐらいだ。
 しかし、時期が時期である。命の保障の無い世界に足を踏み入れる事を、諸手を上げて喜ぶ親がどこにいるだろうか。
「この人が、あなたの結婚を急がせようとしたのはね、理由があったの」
「ルトルアの地位を磐石なものしするためなのではなくて?」
「ええ」
 真剣な表情の母は紅を引かなくても薔薇のように美しい色をしている唇を動かした。
「貴族の当主というのは、兵に徴収されることがないということはわかる?」
「はい」
 お家断絶という事態は国としても避けたいのだろうか、当主がどれほど若くとも、兵として徴収される事はない。
「父上は、馬鹿だから素直にそれが言えなかったのよ。だからあなたに何も言わず理由も言わず必死で結婚しろと言っていたの」
「一言言ってくだされば」
「あなた、素直に父上がそういったら結婚した? 自分の意にそぐわない相手とでも?」
 母の鋭い眼光がティトリーを射抜く。彼は思わずたじろいでしまう。
「ティトリー、親と言うのは馬鹿な生き物なのよ。出来る事ならば、戦火を駆け抜けて欲しくはない。大切な、大切な息子ですもの」
 そっと彫刻のような手を彼に伸ばし、彼の頬をそっと撫でた。
「でもね、それは親の勝手なの。あなたはあなたの道を、行きたい道を歩みなさい。後悔をしないように……」
「母上……」
「それは私だけではないわ、父上の願いでもあるの」
「父上、母上、オレ……」
 ティトリーの瞳に迷いはなかった。ただその母親譲りの瞳は真直ぐに未来を見つめている。
「……持っていけ、馬鹿息子。」
 スッと机の下に隠してあったらしい柄に入った剣が、二本、彼に投げつけられた。格段装飾は施されていない。何の変哲もない普通の剣かと思い、ティトリーがとりあえず一振り、スッと刀身を抜くとそこに出てきた刃を見て、目を丸くした。
「親父……これ……」
「持ってけ」
 父親はそれしか言わない。素人が見ても一目で名刀と分る剣は、恐らく刀匠が生涯で生み出した代物だろう。
「それは、私の父が……あなたのおじい様が打った一振りよ」
 ティトリーが生まれる前、戦闘中に散った彼の祖父。彼は戦士であると同時に大陸屈指の刀鍛冶だった。
「おじい様が戦闘に出る前に打った最後の一振りを、父上に託したの」
 それがこの剣、と母親は穏やかな瞳でそれを見つめた。
「オレは義父上の一振りを使う機会がなくてな。どんな名刀も使ってやらなければ錆び朽ち、死ぬ。お前が使って生き返らせてやれ」
 相変わらずぶっきらぼうに言う父親は、ティトリーと同じ赤茶色の髪を掻きながら言ってのけた。
「親父……」
 ギュっと剣の柄を握り締めた。
「自分の行きたい道におい来なさい」
 母親はすっと扉の向こうを指し示した。ティトリーは扉に向かっていき、扉を開けようとした。しかし、その前にゆっくりと振り返った。
 そして両親に向かって頭を下げた。これから先どうなるかわからないが、両親には恩がある。死ぬことは、最大の親不孝であることだけを胸に刻み、彼は未来へと歩みだした。


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