5.血の流れる意味

「今すぐ、騎士団長ルーベ・フィルディロット・ライザード以下、彼と同行している帝都人をすべての解放を要求する。それが受け入れられない場合は、自由都市の宣戦布告と判断し、実力行使も辞さない」
 このような文章が、自由都市に舞い込んでくるとはルーベもカノンも、いや、今自由都市にいる帝国人は夢にも思っていなかった。一同は一室に集まり、深い深い溜息をつく。特に、血縁者であるルーベの頭痛は他社の非ではないらしく、長椅子に腰掛けた彼は両手を組み、その手に額をつけた体制で普段の彼らしからぬ溜息をついていた。
 その様を、隣に座るカノンは柳眉を八の字にした状態で見つめることしかが出来なかった。
「あの馬鹿皇子は一体何を考えてやがんだぁ?!」
「口が過ぎますよ、ヴァイエル。確かにどこがとは言いません、少々可哀相な方だとは思ってましたが。まさかここまでとは」
「君もなかなか言うねぇ、フェイル」
「事実だろう」
「異論はない」
 第一位階の騎士たちも、言葉を精一杯取り繕ってもこの程度の言葉しか出てこない。それだけ、第一皇位継承者であり、ルーベの甥であるクラウディオの行為が斜め上のものであったことを示している。
 彼は何をどう勘違いをして、ルーベが自由都市に滞在していることを、軟禁と取れたのだろうか。確かに、カノンも一度膝を合わせて話してもいいかもしれないと思うほど、彼の行動は他人の理解できる範疇を超えている。
「どうしましょうルーベ様。わ、私がディオ様に……」
 ばっと立ち上がり、扉へ向かって身を翻そうとしたカノンの手を、ルーベが掴んで止めさせる。
「駄目だ。色々、もう遅い。先にアイツに気がついていたらそれもできただろうがな」
 考えてみれば当たり前のことであり、普段のカノンであればそんな動きさえしない。いてもたってもいられない状況が、彼女さえも混乱させていることを周囲も改めて認識した。彼らを突いて出てくるものは、溜息ばかりである。
「何でこんな盛大な誤解をなさったんですかね?」
「盛大な誤解と言う名のディオの正義だろう。ディオの思ってることが奴の真実だ。それが間違っているなら……本物にしちまえば良いって輩も側にいるし」
 ルーベの言葉に、その場にいる人間は同じ人物を思い描く。腰よりも長い淡く光る白銀の髪に、深緑の双眸。その双眸はただ一人の少年を見つめて、真っ直ぐにけれど歪んでいる。
「クレイア、様」
 ポツリと呟かれた彼の名前に、壁を蹴りつけたのはヴァイエルだった。
「くそっ! 一連のあれはクレイアの仕業なのかよ!! よりによってあんな厄介な奴が」
「それは違いますよ、ヴァイエル。この件で彼は殺しはしてない」
 ジェルドがきっぱりとそう言い切ると、ルーベもその言葉に頷いた。
「むしろこれから厄介なのは……」
 その言葉と同時に、ノックもなしに扉が開け放たれた。そこから、なだれ込むように剣を持った男たちが入り込んできた。そして、部屋の中の四方を取り囲み、帝都から来た人間を包囲する。
 一人として逃がすことはしない。抵抗すれば命はない。そう、彼らはその眼光と鋭い刃で物語っていた。
「騎士団長殿、説明願おうかっ」
 最後に入ってきたのはテオドールだった。上下黒の装いで、体の急所の部分には、鋼で作られた防具も身につけており、その姿は戦場を駆ける戦士以外の何者でもない。事態は一足飛びにそこまで行ってしまったのかと、カノンは胸が痛くなった。
 そのカノンを背に隠すように身を乗り出したルーベは真顔で言葉を発した。
「来ると思ったぜ」
「ディナは今取り込み中だからな。オレじゃ役不足、何て言わせねぇぜ」
「ああ、言うつもりもない」
 こともあろうに、第二皇位継承件を有し、帝国騎士団の長に座るルーベに向かって剣を向けるテオドールに他の騎士たちも途端に殺気立つ。それを察した自由都市の戦士たちも剣を握り返す。
 何かきっかけがあればこの部屋が血の海に沈むこともたやすい。そんな空気が室内を包み込んでいた。
「オレたちは言い訳を聞いてやるほど心が広くないんでな」
「知っている」
 ルーベは氷のように冷たいテオドールの声と視線を平然と受け流す。
「どういうつもりだ」
「……」
「だんまりかよ。都合の悪いことは話せねぇってか?!」
「言い訳は聞く気がないんだろう?」
「言い方を代えてやる。言い分を聞いてやるっつってんだよ」
 テオドールの刃の切っ先が、またルーベの喉元へと近づいた。そのせいで騎士たちが抜刀しそうになり、カノンの体が椅子から浮く。それを彼は片手で制し黒紅色の双眸は真っ直ぐに若い戦士を捉えながら言葉を口にする。
「ディオが……、皇太子が言っていることはオレたちも知らなかったことだ。向こうはこっちで何が起こってるか把握してるみたいだが、オレたちの中に内通者はいない」
「根拠がねぇ」
「全くだな。だがこれがオレたちの言い分だ」
 ルーベが言葉を発さなくなると、室内には沈黙が降り注ぐ。その沈黙の長さは、針の筵のような空気の中では永く永く感じるものであるが、渦中のテオドールには瞬きをするよりも短い時間だっただろう。
 彼の怒りの沸点に到達するのに、そう長い時間は掛からなかった。テオドールは鋭い目つきをさらに鋭くさせ、濃茶色の瞳からは鈍い光を放つ。
「それで俺たちに納得しろと? ああそうですかって? ふざけんな、そんなことできると思ってんのか?!」
「思うわけないだろう。もしオレとお前が逆の立場だったら、そんな言い訳で納得するわけがない。勿論、今いったことを言い分としても認めないだろうな」
 テオドールは剣をもっていない方の手で、ルーベの胸倉を掴み引き寄せた。されるがままになっている彼を周囲も、カノンも何も言えずにただ見守ることしか出来ない。
「だったらもっとマシな物言いしろや、騎士団長様」
「これ以上も以下もない。これが事実なんだ、仕方ないだろう」
「ふざけ……っ」
 振りかぶられた剣を持つ手に、カノンや騎士たちは反応し体を動かした。勿論、それを止めようと自由都市の戦士たちも己の持つ剣を振るう。カノンの体がルーベに触れたその瞬間、もう一人の人物が室内に現れる。
「そこでお前が拳を振り下ろした所で、状況が変わるのか、テオ」
 彼の剣を持った拳がルーベに振り下ろされる寸前で、室内に響き渡った声の持ち主は、この自由都市の主であるカルディナのものだった。
「退け、テオドール」
 総督の言葉に、彼は素直に従った。剣を持って駆けることを許されない将であるカルディナは、男の戦士たちとはことなり、白を基調とした装いをしていた。白地に赤い刺繍が施されている衣装は彼女の存在を一層際立たせる。
 ただし、彼女の眼光にはテオドールよりも一層の鋭さがあり、その声は僅かな温もりも感じさせないものであった。カノンは、まるで別人と対峙しているかのような錯覚を覚える。
「騎士団長殿」
「すまない、迷惑をかける」
「全くだ。こちらとて謂れの無い罪を着せられては面白くはない」
 長い髪を僅かに靡かせて彼女は先ほどテオドールが立っていた場所へ立ち、ルーベを見下ろす。
「しかも皇太子殿下の直々のお目見えとあれば、周囲も黙っていないだろう。あの騎士たちは団長殿の?」
「第一位階持ちの騎士がいたようには思えない。恐らく、軍務省の総帥が動かしているんだろうな。歴代騎士団長は軍務省と折り合いが悪い。オレが育てた連中で参加してる輩は少ないんじゃないか」
「では、騎士団長殿が手塩にかけて育てた第一位階の騎士殿でなければ、こちらも相応の対応をしても良い、と解釈しても?」
 凍てついていた部屋の空気が、さらに下がったような錯覚に誰もが陥る。彼女の言葉そのまま自由都市の人間の意志に直結する。
「カルディナ……」
 今まで表情が動かなかったルーベの顔が、歪んだ。
「すまない。騎士団長殿。我々とて無防備でここで待っているわけにはいかないのでね。戦争をするならば、それなりの対応をせざるを得ない」
「戦争、か」
「戦争だろう。我々の自由と名誉と誇りを賭けた」
「そうか」
 双方がにらみ合う。どちらの言葉も真実であるが故に、どちらを責めることも出来ない。一番いいのは、クラウディオを止めることであるが、現状では無理である。ならば、戦いは避けられない。ただそれだけのことだという彼らに対して、それを止める言葉を持っていないカノンは現状を静観することしか出来ない。
「そのくだらない戦争のとばっちりを食らうことになるとは思わなかったと思ってな」
「下らない?! てめぇ、どの面下げて……」
「くだらないだろう。双方の話し合いもままならないまま、お互いの主張を胸のうちに秘めたまま人を殺めあうなど」
「綺麗事抜かしてんじゃねえぞ?! てめぇらが先にオレたちの仲間を殺したんだろう?! あまつ、この言われようじゃあこっちがキレても文句は言われねぇだろうが!」
 テオドールが烈火のごとく怒りを露わにし、口角唾を飛ばしながら叫ぶ。
「アンタだって言ったよなぁ? オレとお前が逆の状況だったら同じだって!」
「ああ」
「それじゃあ」
「だがオレとお前とでは、立場が違う。世界の見方も違ってくるな」
 ルーベから紡がれた言葉は、カルディナにも負けないほどの冷たい温度の言葉だった。普段のルーベから想像も出来ないような冷たい声で紡がれた言葉に、カノンの背筋もゾクリとする。
「怒鳴って解決するならそれでいい。だが、もう今はそんな場合じゃないだろう」
 真正面からこそ見えないものの、ルーベの表情はきっと暗く重いものだろうとカノンは感じていた。背中越しでもそれを感じて、少しだけ身震いを起こす。近くにいるのに、遠くにいる人のようだと感じたあと、元々自分と彼は近い存在ではなかったことを思い返す。それが、そんな状況ではないことを理解しながらも彼女の心に暗い影を落としたもの事実。
「騎士団長殿の言うとおりだな」
「ディナ」
「テオ、冷静になれ」
 自由都市を率いる女戦士はまた言葉を紡ぐ。
「こちらとしても無益な戦いをして、同胞の命を散らしたりしたくはない。出来うる限り対話で対応していきたいとは思っている。だが、それが無理な場合は……」
 一呼吸置いて、彼女は宣言をした。
「私は手段を選ばない」
「それがいいだろう。国の主として正しい判断だ」
「刃がご自身に向けられているというのに、冷静な方だ」
 ルーベが冷静に言葉を返すと、カルディナはクスリと笑いながら彼を見やる。
「今喚いたところでどうしようもないだろう。オレを、オレたちを殺せば、劣勢になるのはお前たちのほうだ。帝国が全力で自由都市を潰しに掛かる」
「それでも。帝国に隷属するのであれば、我らは死を厭わない」
「それが例え犬死でも、か?」
 その言葉に対してカルディナは何も答えなかった。答えないまま、彼女は踵を返した。今はこれ以上言葉を交わす必要もないと彼女の背中は物語る。彼女に続いてテオドールが、そして彼の部下たちが部屋を後にしていく。
 ひとまず、これで幕引きだと誰もが思った次の瞬間、彼女は立ち上がり駆け出していた。
「ディナ……っ!」
 もう既に廊下を歩み進んでいるカルディナを追いかけ、カノンは部屋を出て黒の集団の先頭を歩くカルディナを呼んだ。程なく、彼らの歩みが止まった。しかし、彼女がカノンの前に現れることはなかった。
 カノンが思っているよりも遠くから、カルディナが彼女に答える。
「お前は、お前とは友好関係を築けると思っていたよ。歴史が描いた通り、お前ともまた良い友になれるだろうと。けれど、今生ではそうは行かないらしいな」
 そんなことない、と叫ぶよりも先に彼女の言葉がカノンの胸に刺さった。
「お前は、この国を救う来訪者なのかもしれない。けれど、私にとって今お前は……厄災を運ぶ、滅びの使者のようだ」
 カルディナの言葉に、カノンは何も言えずに棒立ちになってしまった。
「私も出来た人間ではないんだ。すまないが、当分顔は見たくない」
そういうと、黒の一団はまた歩き出した。嘘のような言葉彼女はただただ立ち尽くすしかない。表情も見えないまま、言葉の刃だけを残して去っていく、心が通えたと思えた存在は、あまりにも遠いところに行ってしまったようだった。

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