4.悪夢の具現者

「あーあ!」
 草原に張られた天幕から、不釣合いな声が響き渡った。その空間だけ背の高い草が切り取られた空間に、同系色の天幕は異質な雰囲気を醸し出していた。
「あーあ!!」
 その中にいるのは二人。男女ともに一名ずつだ。一方は侍女服に手を加えた、扇情的な格好をした女性であり、彼女は至極不機嫌そうな面持ちであった。もう一方は痩躯の男性で、まるで死体のように布の引かれた床に伏して動かない。
 天幕の中には、簡易的な机が一つと、椅子が二脚。そしてまた簡易寝台が二つ、離れた所に設置せれていた。女性が使うであろう鏡台も用意されているがそれだけで、生活感を感じられる場所ではなかった。
「あーあ!!! って言ってるんだからちょっとは反応しなさいよォ!!」
 机が壊れない程度に抑えられた力で、彼女が勝手に用意したであろう木製の机を叩いた。これ以上の強さで叩けば壊れてしまうと言わんばかりの音が響き渡ったところで、天幕の床に伏しているスヴェンがけだるそうに答えた。
「え、それ俺にキレてたんすかぁ?」
「アンタ以外に誰がいるっていうの?!」
「えぇ? 姐さん面倒くせぇ」
「お黙り!」
「どっちっすか」
 長い前髪からのぞく赤褐色の双眸が、心底面倒くさいと物語る。喋ることすら億劫であるスヴェンはヴィオラに背を向ける形で寝返りを打った。
「総帥も総帥だわ! いつまでこォんな仕事させるのかしら」
「まぁ、それに関しては俺も同じっす。てきとーに殺すだけってつまんないっすねえ」
「ホントよォ! もう、あんまりにもつまらないからこの間殺した奴連れて帰ってきちゃったわよ!」
 キィキィと金切り声を上げるヴィオラに対して、上半身をゆるゆると起き上がらせたスヴェンは小首を傾げながら言う。
「……姐さん趣味変わった?」
 椅子に座り針と絃を持ち出し、片手には血の気の失せた元・人間が一体。しかしその容貌は常日頃ヴィオラが真っ赤な唇で嬉々として語る造形美からは遠くかけ離れた物体だった。
「ま・さ・か! 暇すぎて死にそうだから、お人形作りしてたの!」
 そうじゃなきゃこんなのわざわざ選ばないわァと言うヴィオラ。足を組んで白い太腿を露にさせながら言う。
「暇つぶし?」
「それぐらいしかすることないじゃなーい。太陽の下になんて出たくないでしょォ?」
「そりゃそーっすけど。太陽なんて浴びたら干からびちまう」
 彼らはもう年単位で太陽など拝んでいない。彼らは太陽を嫌い、太陽もまた彼らを厭うだろう。彼らが月の輝きさえも嫌う。星の瞬きさえも許容できない。ただ、光を嫌悪するのだ。だからこそ、この天幕の中にも照明らしい照明は何も用意されていない。夜中ともなれば、何も見えない無明の世界になるだろうに。
 しかし彼らにとっては、その闇こそが自分たちの心の平安だった。
「何か楽しいことないかしらねェ」
 離れた首を接合させるように針を動かすヴィオラの言葉に答えず、スヴェンが感情のこもってない声で言葉を紡いだ。
「俺、毎日総帥に連絡いれてるんすけど」
「あら、マメねェ」
「命令っすもん。じゃなきゃしませんよ、面倒くせぇ」
「あたしにそれをさせるようじゃ、総帥も駄目ね!」
 声を出してわざとらしくヴィオラが笑うと、美しい金色の髪が揺れた。その光景さえも同でもいいといわんばかりに見つめながら彼は血の気の失せた色をしている唇を動かした。
「人選っつー面じゃあの人間違わないでしょ。適材適所でしたっけー?」
「だったらあたしたちがここにいる意味はなァに?」
「総帥に聞いてくださいよ。俺は所詮奴隷っすよ」
「そうだったわね。忘れてたわ」
「そもそも姐さん俺に興味もないでしょーが」
「そうよォ。だってアナタ全然あたしの好みじゃないんだもの」
 赤い爪が元・人間の肌を撫でる。毒々しい色をした爪は、その指はまるで別の生き物が死体にうごめいているようにスヴェンは感じていた。しかしそれを気持ち悪いとは思わなかった。嫌悪はまるでない、いつもの彼女だと思うだけで、それ以上の感情はなかった。
 どちらかといえば、今彼は彼女のご機嫌を撮ることが自分の仕事であると正確に判断している。彼女の機嫌を損ねる面倒くささと、彼女との会話の面倒くささを天秤にかけてみろ、と前に飼い主が言った言葉を彼は思い出す。
 飼い主はいい死に方をしない人間だが、時折まともなことを言う。そう彼は認識していた。本当は喋ることもかったるくて仕方がない彼であるが、有り難い飼い主の言葉に従って会話を続けようと試みてみた。
「前から聞いてみたかったんすけど、姐さんの好みってどんなんなんすか? 『鍵』みたいなの?」
「んー。女の子だったら『鍵』みたいな子も好きよォ。女の子は可愛くなくちゃ、生きてる意味なんてないわ。団長みたいな男前も大好きィ。屈服させてやりたくなるわねェ。ゾクゾクしちゃう」
「はぁ」
「聞いといて何よ! 失礼しちゃうわ」
「だって俺も姐さんにさしてそこまで興味ねーし」
「こォんないい女捕まえて興味ないとか言い切るアナタの将来がシンパイよ」
「大丈夫っすよ。どぉせ長く生きる予定はねぇですし」
「生きられそうにもないわよねェ、確かに」
 どうやら眼前の女性の機嫌を保つことには成功したらしいが、面倒くささがピークを迎えようとしていてスヴェンはきもそぞろになってきた。
「あたしは気が済むまで生きるつもりだけど」
「姐さんが生きてることが、世界にとって害悪っすよね」
「言ってくれるわねェ、坊やのくせにっ!」
「いやぁ、姐さんに絶賛されると照れますわー」
「誰が! 何時! 坊やのことを褒めたってゆうの?! もォやんなるわーっ!」
 折角の努力を無駄に帰すように金切り声を上げ始めたヴィオラを見やってスヴェンは思った。この人に対して同行するだけ時間の無駄だ、と。そもそもこんなに長い時間を他人と過ごしたことが彼にはなかった。
 彼の記憶は冷たく悪臭のする石畳の牢屋で、這い蹲って水を啜り、ネズミと僅かな食料を奪い合った日々。人との接し方など元々知らないのだ。知らないことを知りたいとは思わなかった。自分の世界には必要がないからだ。
 だから彼女の機嫌を取る必要もない。喚きたければ喚けばいいと思う。結局結論に達した所で、彼はまた気だるげに床に体を倒した。地面から伝わってくる冷たさに酷く安心する。人の温もりではなく、死んだ人間の冷たさに安堵する。
 しかしそれが当たり前の彼にとっては、それが異常なことである理由が分からず、異常だという感覚を持つ必要さえないものだった。

「キミたち……」
 気配に気づいていたものの、彼も彼女も、来訪者に対して指一本動かさなかった。陽炎のように揺らめき、姿を現した客人に対して、動じることなくヴィオラは言った。
「あらァ、アナタお『月』様じゃない。スヴェン、遊んでもらったら?」
「そりゃー魅力的な誘惑ですけど、今遊んじまったら、極上の『月』を食えないじゃないですか。それは嫌なんで我慢しときます」
 それもまた、本音である。スヴェンの目的は最上級の『月』。『月』を屠るために面倒で仕方ないことにまで加担しているのだ。こんなつまらないことのせいで、後々の楽しみを棒に振る気持ちは毛頭なかった。
「で、お『月』様がこんな日陰者になんの御用かしらァ?」
 妖艶に歪んだ唇から紡ぎだされる音に、彼 ―――クレイア――― は眉間に皺を寄せた。国を守るレイターとして、彼らのような闇に頼ることを、彼は快く思うことはどうしても出来ない。それでも彼らの力を使わなければ、完遂しえないこともある。
 本体自体は、まだこの自由都市にはやってきていない。あくまで意識体だけを飛ばしてきているのだ。月明かりに照らされる朧のような彼の気持ちは、淡く発光する自身の姿とは裏腹に、暗かった。煮え湯を飲む気持ちでクレイアは彼らに問いかける。
「……内部の様子はどうだ?」
「どうもこうも、団長たちと自由都市の間にはふかーくてはてしなーい溝が出来てます。総帥のご命令どおりやってますわ」
「そうか」
「向こうは向こうで俺たちに気づいてるみたいっすけど、まあ尻尾を掴ませるまねはまだして無いから安心してください」
「……そうか」
 単調な質問に単調な答え。それ以外に音はなく、生き物の気配もない。ここは現実なのだろうか、幻のクレイアさえそう思っていたところに、クスリと小さく鈴が鳴るような音が妙に響いた。
「帝国の闇がそんなにお嫌い?」
 紫紺色の双眸が妖しげに輝く。その双眸だけが光を宿しているような、不気味な雰囲気を醸し出している様に、クレイアは柳眉を顰める。
「このような役割も、なければ国は回らないからな」
「否定はしないのね。あたし、正直な人って好きよォ」
 クスクスと押さえきれないといったようにヴィオラが笑った。それは悪意を持った笑いではなく、人への侮蔑を込めた嘲笑だった。
「厳密に言えば、皇子サマにこォんな裏舞台を見せたくないってことでしょぉ? 大事なだーいじな皇子サマですものね」
 クラウディオを暗に名指しされたことで、クレイアの纏う雰囲気も瞬時に変わる。烏ごときが、彼の存在さえを口にするものおこがましいと言わんばかりに。その連中に力添えを請うているのは自分だというのに、その矛盾の中にさえ怒りを覚える。
 それほどまでに、クレイアにとってクラウディオはすべてなのだ。
「何が言いたい?」
「別に? 次の世代の皇帝陛下には、次の世代のあたしたちが仕えるだけの話し。だってあたしたちには今しかない。未来がないんだから」
「そーそー。どうせ俺たちは帝国の影でしかないんすから」
 ゼンマイの切れたカラクリ人形のように床に伏すスヴェンと、自身さえ造り物のようなヴィオラ。彼らが今、自由都市と帝国人の間にわだかまりを作っている張本人であり、この悪夢の具現者だった。


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