3.歯痒さを抱きながら

「今度は、一晩で二人も……!」
 この日も、自由都市内では不穏な空気が流れていた。毎朝、命のともし火が消えていく。それは誰だ? 自分か? そんな疑問が尽きず、彼らは眠れない夜を過ごしていた。用心をしているにもかかわらず、誰かが死んでいく現実に、誰もが恐怖していた。
 だが少なくともカルディナとテオドールは、恐怖よりも仲間を殺されたことに対する憤りのほうが遥かに強かった。
 カルディナの私室でテオドールが叫ぶ。机が壊れるほど強く拳をたたきつけた音が室内に響く。遅れて、彼の怒声さえも宙に響いた。
「ディナ、あいつらを帝都に追い返そうぜ! そうすれば、被害者は」
「いなくなる、とでも言うのか? らしくないぞ、テオ」
 熱を帯びているテオドールの声に対して、真逆の響きを奏でるカルディナの声に、彼も言葉を詰まらせる。
「だがあいつらは」
「騎士団長殿は、シャイナとジゼルが見張っていて鍛錬場にいたんだろう? 他の戦士も多く彼を見ている。第一位階の騎士殿方は談話室にいたと、カノンはお前が見ていた。違うか?」
「そうだが……っ」
 言葉を言うたびにカルディナの的確な言葉が彼から反撃の力を奪っていく。机の上に作られた拳がきつく強く握られ、怒りに震える。その手にそっと己の手を重ねながらカルディナはテオドールへ言った。
「悔しい気持ちはわかる。だが、見失わないでくれテオドール」
「ディナ……」
「お前の気持ちはわかっているつもりだ」
 二人の双眸が交わって、言葉で交わす以上に思いを伝え合う。誰よりも何よりも近くで過ごしていた二人だからこそ、言葉は必要以上にいらなかった。だからこそ、彼らの間で交錯する思い。それを感じたテオドールが全身から力を抜いて見せた。
「悪ぃ。先走った」
「いやいい。そうやって感情をお前が露にしてくれるから、私も冷静を装える」
 テオドールの様子に、カルディナも小さく笑みを作って見せた。しかしその笑顔は、誰の目から見ても翳りのあるそれだった。その表情を見た瞬間、普段剣にしか触れていない男の手が、総督という二文字を背負う女性の体を抱きしめた。
「……すまん。自分の不甲斐なさに吐き気がする」
「お前のせいじゃない」
「彼らのせいでもない」
 普段ならばその行為を厭うカルディナも、今はテオドールの温もりに体を預けた。これほど追い詰められた彼女も珍しい、とことの重さと彼女の心労を思いテオドールは抱きしめる腕の力を強めた。
「お前は優しすぎるんだ。ディナが苦しんでどうする」
「苦しむさ。次に誰が殺される? 私を狙うなら私一人を狙えばいい。罪のない仲間を殺されて苦しむなと言う方が無理だろう」
 その言葉を口にして、カルディナははっとした。顔を見なくても分かる。彼の表情が昏く歪んでいる。彼女はそっと彼の体に自分の腕を回した。
「すまない。口にしていい言葉ではなかった」
「いや、いい。オレの前でぐらい総督の仮面を外してくれ」
「それはただの甘えだ」
 この状況だけでも十分な甘えだと彼女は思う。総督、自由都市を任された存在としている自分が男の腕の中で守られていていいはずがないと、常々カルディナは思っていた。それでもテオドールの温もりに頼り、甘えてしまう自分に対して情けなささえ覚えていた。
 ……それを口にすれば彼が怒ることも知っているが、もはやこれは彼女の性分とさえいえるだろう。
「お前がそんな顔してたら、オレが親父殿にはった押されるだろう」
「父上なら……やりかねんな」
「ああ。親父殿の墓前で、オレはお前を守ると誓ってんだ。お前を苦しめるすべてから」
 テオドールの言葉を、素直に嬉しいと思ってしまうカルディナだったが、ここでそれをすべて受け入れてはいけない。
「だからって。彼らを追い返す理由にはならない」
 そっと彼から腕を離し、彼の厚い胸板を押しかえす。そして、顔を上げて彼の顔をみやった。
「ディナ!」
「冷静になれ!!」
 次の瞬間、カルディナの表情からは女としての彼女の表情が消え、ディジー・アレン総督の顔に変わっていた。同一人物であると信じられないほど、表情が異なる彼女にテオドールは知っているとはいえ、息を飲んだ。そのたびに思う、カルディナは彼にとって愛しい女であるが、膝をつき、忠誠を誓った仕えるべき主でもある。
「……どこかで我らを見ている道化を引きずり出さないことには、何も始まらないからな」
 凛々しい表情でそう呟いたカルディナに、テオドールも頷いた。闇に隠れている卑怯者を日の当たる場所へ引きずり出して、しかるべき制裁を。そう胸に誓っているのは何も二人だけではない。


 一方で、カノンたちも悪意のある視線に曝され、決して良い気分で毎日を過ごしてはいなかった。身の安全は保障されているに近しいものの、それでも犯人だと陰口を叩かれて良い気分はしない。
「おい、聴いたかよ。夜俺らが寝てる間に、俺らが自分の分身を作って人を殺してるんだってよ!」
 今日の昼食は一緒に取ろうとルーベが提案すると、帝都から着た人間は一も二もなく頷いた。食堂や町へ行って食事をしようものなら悪意にさらされるのは目に見えている。誰かとともにいればそれだけでも自分の潔白は保障されるのであれば話に乗らない人間がいようはずもない。
 ヴァイエルは大きな骨付き肉に齧り付きながらそういった。
「実際、そんなことが本当に可能なのはレイター級の魔力を持っていなければ可能ではないでしょうね。例えば団長とか」
「おいおい、それでオレを犯人扱いか?」
 昼間から流石に、という理由で酒こそでないものの、男たちの胃を満足させるには十分な良の料理を机の上に並べて談笑をしながら舌鼓を打つ。
「いいえ。寝台で精神力をお使いになられているんです、他に集中出来る通りがありませんでしょう。団長の線はないかと」
「お前らな」
 苦々しい溜息をつきながら言葉を発したルーベに、二人の騎士は両手を上げ最初から戦う意思がないことを現す。
「冗談です。敵に殺されるならいざ知らず、団長に殺されたくありません」
 ジェルドとフェイルの言葉に、室内には笑いが溢れた。いつも通りの風景過ぎて、カノンはその空間で押し黙ってしまっている。監視役の人々の射抜くような視線から庇うようにルーベが彼女の隣に座り、彼女も話題の真ん中にいられる場所にいるのに。
 彼女は一人取り残された場所にいるかのようだった。小さくパンに近しいものをちぎりながら口へ運んでいると、目の前に骨付き肉が山のように盛られた小皿が差し出された。
「お嬢ちゃんも食わねぇと持たないだろ?! そんな小鳥の餌みたいな量じゃ駄目だ!」
「女性に対してそんな下品なものの誘い方では駄目だよヴァイエル。カノン様、果実などいかがですか? 甘いものを口にすれば心も落ち着きますよ」
 そういって今度はジェルドが小皿に可愛らしく果実を盛り付けてカノンに差し出した。
「二人とも、カノン様がお困りでしょう? ねえ、無理に食べる必要はありませんよ? 食事は好きなものを好きなだけ食べればいいものなんですから」
「その食べ方をしているのは君だけだよフェイル」
「いや、俺も割りと好きなもん好きなだけ食ってるぜ」
 何本目かも分からない香ばしく焼かれた骨付き肉を齧り付くヴァイエルに、手を拭う布巾を渡しながらジェルドは眉間に皺を寄せつつ言う。
「あなたは奥方様が栄養状態をきっちり管理してくださっているから生きていられるんですよ」
「ジェルドは大げさなんですよ。好きなものを好きなだけ食べるのが人間が幸せに生きていく一つの方法だと思うけどね」
「だからといって、砂糖菓子ばかり食べていたら体が甘くなって使い物にならなくなるんじゃないか、といつも言っているだろう?」
 怪訝そうな顔をしながらジェルドはフェイルにそういった。言われた本人の手の中には、粉と砂糖と卵と乳を混ぜて焼いた様々な形をした砂糖菓子があった。そう指摘を受けながらも彼はそれを次々と口に放り込み、あっという間に食べてしまう。
 あまりにも幸せそうな表情でそれを食べるので、見ている側は唖然とそれを見守るしかない。
「それで私の体に差し支えがありませんから問題ありませんね。体も甘くなんてありませんよ、味見でもしますか?」
 一拍の間ののち、ジェルドは辟易とした顔で両手を上げ、彼に対して降参の意を表明した。
「男を味見したって気持ち悪いだけでしょう。謹んで遠慮します」
「ええ、私も言ってて心底気持ち悪かったです。冗談でも口にしていいものではありませんでした。反省します」
「これを教訓にしてくれればいいよ。お互いに、気分を害しただけで誰も得をしない会話だったな」
 げんなりとした表情で、長いすに体重を預ける二人は、まるで第一位階の騎士とは思えない態度と表情だった。それは肉を咥えて笑うヴァイエルにも同じことが言える。あまりにも、な状況にカノンは耐え切れず噴出してしまった。
 クスクスと大きな声は立てずに笑うカノンに、周囲の男たちは表情を緩めた。
「やっぱりお前が笑っていてくれないと、な」
「え?」
「お嬢様の笑顔が、我らの活力になるのですから」
「紅一点の表情が曇っていたら、我々も気がめいってしまいます。笑ってください、カノン様」
「そうだぜ。団長の独り占めってのも面白くねぇしなぁ」
 口々にそういわれ、自分でも顔の強張りを自覚していただけにカノンは顔を赤らめる。恥じることのほどではないとはいえ、ほかの事へ気を張り詰めさせなければならない人たちの胸中を煩わせてしまったことに変わりはない。申し訳なさが胸に広がろうとしている時、ルーベが彼女の頭を軽く叩いた。
 気にするな、と言外に語る瞳を見て、カノンは力を抜いた。
「妻帯者が何てことを言うんですか。奥様に告げ口しますよ」
「なぁに、アイツはそんなことを気にするはず……」
「そうですね。あることないことないことないことを織り交ぜてお伝えしても、才女であるあなたの奥方は動じもなさらないでしょう」
「あることが一つしかねぇっていうのはどういう了見だ、ジェルド……!」
「それはもう、私の娯楽のため?」
「ジェルド、そういう話なら私も一枚噛みますよ」
「話が分かる親友で助かるよ、フェイル。ではそういうことでヴァイエル、我らの娯楽のために」
「夫婦間に波風立てられるのか? 冗談じゃねぇ!」
 三人のやり取りに、今度はルーベもカノンも声を立てて笑った。信じられないぐらい、穏やかな時間だった。
「お前ら、第一位階の騎士の私闘は禁じてるはずだぞ」
「私闘ではなく、決闘ということでいかがでしょうか?」
「よし、じゃあ用意された骨付き肉をどちらが多く食うかで勝敗を決めろ」
 机の上に並べられた食欲をそそる料理を顎で指し示しながら、人の悪い笑みを浮かべるルーベにフェイルが不公平だ、とわざとらしく声を荒げた。
「団長、それは我らに不利なのでは?」
「二対一だ。対等の条件じゃないんだ、いけるだろう。カノン、号令をかけてやれ」
「はい! それでは……」
  カノンは胸の前で手を重ねた。
「もう始めるんですか?!」
「親友、すまない。私は力になれなくて」
「最初から戦いを放棄するとは何事だ!」
 心底すまなさそうな顔をするフェイルに、ジェルドは容赦なく怒鳴って見せるものの、深緋色の瞳を曇らすだけで指一本動かそうとはしない。
「始めてください!」
「カノン様?!」
「うぉぉぉぉ!!」
 パン、と小気味良い良い拍子を皮切りにヴァイエルが餓えた狼のように肉を齧り付いた。その勢いは、本物の狼であるリュミエールが呆然と見詰めるほどのものだった。次々に肉を剥がされた骨が皿の上に積まれていく情景に、フェイルはヴァイエルを指差してルーベに抗議する。
「これじゃあ勝てる戦いも勝てないじゃないですか!!」
「大丈夫だジェルド、自分の力と可能性を信じれば乗り越えられる」
「君は君でもっともらしいことを言って言い逃れしてるんじゃありませんよ!!」
 悪態をつき、始まる前から勝負が決している戦いであっても、第一位階の騎士の誇りがそうさせるのか、ジェルドも目の前の肉を食らい始めた。いっそフェイルよりもリュミエールを助っ人として仲間に引き入れた方が良い勝負になったのではないかと言うほど、両者の力の差は歴然である。
 その様子を小さく笑いながら見つめているカノンの頭上から、ルーベの声が降ってくる。
「大丈夫だ」
 その声に反応するように顔を上げると、ルーベは無益でくだらない戦いを見やったまま言葉を紡いだ。
「オレたちがオレたちである限り。大丈夫だ、誰もいなくならないから」
 それはカノンの心の闇を溶かすには十分な言葉だった。小さな不安は沁みのように広がり、彼女の心を飲み込もうとしていた。心のない言葉を投げつけられれば、どんなに強靭な精神力を持っていても、多少は傷を負う。
 カノンのような人間であれば、その傷も深かろう。そうルーベは間違っていない思いを抱いていた。体を守ることが出来ても、心を完全に守ることは出来ない。だったら、せめてその傷の手当てをしてやりたい。少なくとも彼はそう思っていた。
 その意図は、カノンにも正確に伝わっていた。
「……はい。ありがとうございます、ルーベ様」
「礼を言われることなんてしてないよ」
「はい。でも、言わせておいてください」
「……わかった」
 結局の所、とカノンは思う。自分は誰かに、彼に守られていなければこの世界で存在できないのだ、と。それを歯痒く思いながら、それでも自分が出来ることを探すことなんて、今に始まったことではない。
 せめて、彼らの足手まといにならないように。せめて、自分といる瞬間、彼らが、彼が心穏やかでいられるならば。カノンはそれだけでも、自分がここに座って笑っていてもいいと思える程度には心の余裕を取り戻しつつあった。


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