1.仮面の下に

 窓から入ってくるそよ風が頬を撫で、亜麻色の髪揺らす。足元にいる狼も目を閉じおとなしく時間を過ごしていた。ひんやりとした空気は、自分の体に「しっかりしろ」と激を飛ばしているかのようだった。実際、しっかりしなければならないことを、カノンも自覚していたし、そのように振舞っているつもりだった。
 カノンは窓際にある椅子に座り、空を眺めていた。風に揺らされて枝が踊る様をみる振りをして、思案する。
ディジー・アレン内で殺人が起きてから三日、そう、カノンたちに監視がついてからも三日たった今日。再び領内で犠牲者が出た。今度殺されたのは、カノンが着替えの際などについていた女戦士だった。カノンの二倍と言ってもいいほどの体躯の持ち主で、浅黒く日に焼けた肌を持つ女性だった。纏う雰囲気こそ、初めて出会ったときに圧倒されはしたものの、会話をすれば悪い人間ではないのはすぐに分かった。
 彼女も、一方的にカノンたちを敵視する視線から、少し柔らかなものに変化してきた矢先。彼女もまた、寝台の中で息を引き取っていた。争った形跡はなく、彼女は首が切断され、寝台を真っ赤に染め上げていたという。
枕には寝ているような頭部が、その下に切り離された首から下の胴体があったらしい。見た者の目には、彼女が眠っているままの姿に見えたかもしれない。最も、それは部屋にむせ返るような血の匂いが充満していなければの話だったが。
 その話を聞いて、カノンは素直にショックを受けた。まだ、彼女は死んだ人間をしっかりと見たことはなかった。お葬式で見る寿命を迎えた人と、殺された人とは天と地ほどの差があるだろうと彼女は思う。
 カノンがその光景を見てしまえば、脳裏に記憶され消えることはない。時折過去の記憶がフラッシュバックするように思い出されてしまうことを考えると避けて通りたいところではあるが……。
「テオ様」
 彼女は、入り口付近で座り込んで自分を見張っている男に声をかけた。
「彼女に、会わせてもらえませんか?」
「はぁ?!」
「花を手向けたいのです」
 椅子に座って、空を見上げていたカノンがそういうと、テオドールは苦虫を噛み潰したような顔をしてみせた。その表情は「どの面下げてそんなことを言うのか」というものだった。あいにく、カノンは窓の外を見つめ、テオドールに背を向けているため彼女の表情も彼から見えない。
 全てが終わるまでは、決して泣かない。そう、カノンは決めていた。だから、彼女が死んだことを今朝告げられても、そうですか、としか答えなかった。答えられなかったのだ。それを理解しているのは、ルーベと、他の騎士たちだけだろう。
 ディジー・アレンの人間たちは自分のことを、冷たい人間だと思っているだろうことは、安易に想像がついた。それでも、この仮面を取るわけにはいかなかった。戦うことが出来ない自分が出来ることをしなければならないことを、彼女は知っている。けれども、これは……。
 彼女は膝の上においてある手を握り締めた。手が白くなるほどきつく握り締めても尚、自分の心のわだかまりは消えない。それでも他人に悟られてはいけないと強く思い、テオドールに気づかれないよう息をついた。心が悲鳴を上げていることに気づかない振りをして、彼女はゆっくりと立ち上がる。愛狼が心配そうに鼻を鳴らす声を聞き、カノンはそっと彼の頭を撫でた。


「カノン、どうしてお前がここに」
「花を贈りたいと思いまして。テオ様に連れてきて頂きました」
 寝台の上に死んだ体を置き去りには出来ず、安置所を設けて彼らをそこへ移動させているとテオドールが苦々しく説明を彼女にした。そこに、先日死んだ彼と、今日死んでしまった彼女がいる、と。
 花を手向けたいという気持ちに偽りはなかったが、それ以上に、彼女はルーベが話してくれない現場のことをもう少し知っておきたいと思ったのだった。それをよしと思っていない彼は、当然ほとんど表情には出さないものの、良い顔をしなかった。ただこの場で咎めるようなことはしない。ただそれだけという雰囲気である。
「カノン様のお心遣いには感服しますが、このような場所に女性は相応しくありませんよ」
 ルーベの気持ちを代弁するかのようにジェルドが僅かに眉を顰めてそういうと、真横にいたジェイルとヴァイエルがそれを嗜める。
「この場合、カノン様のお心を尊重するべきだろう。お優しい方だ。死を穢れと思い、近づきもしない、不浄のものとさえみる貴婦人たちとは全く異なられる」
「あんまり過保護になりすぎんのも、よくねぇぜ」
 形勢不利とみたジェルドはわざとらしく肩をすかしてみせた。二輪の花をもったカノンは小さく二人に微笑むと寝台を覗き込むために歩みを進める。すると、そこにはあるはずの存在がなかった。
「……ルーベ様。これは」
「ああ、目を離した隙に、なくなっちまったんだ。死体が」
「なっ?!」
 淡々と真実を告げるルーベに対して、声を荒げたのはテオドールだった。石で作られた低い台は、大人の男性が一人横たわれるぐらいの大きさをしている。それが何個も並べられたこの部屋は、争いや何かでなくなった人たちの一時置き場になっていたことは明白だった。
 その部屋に、あるべき存在がない。それは異様なことだった。ルーベも、カルディナも険しい表情をしている。どうして死体がなくなったのか、誰が持ち出したのか。まるで検討もつかないからだ。
 不気味で薄気味悪く、そして後味の悪い感覚に、室内はしんと静まり返る。状況が全く分からない。という現状が恐ろしい。見えないところで何かが動いていることが、こんなにも不快なのかとカノンは改めて思った。見えない何かがこの領土内にたちこめてを蹂躙している不安感、まるで真綿で首を絞められているような息苦しさは不快以外表現しようのない感覚である。
 けれど。彼女は手に持っていた花を抱え直した。そして、その遺体が安置されていたであろう場所に、膝を着き花を添えた。勿論、テオドールに許可をもらって得た花だ。誰に咎められるものではない。白く可憐な花は、穢れをまるで知らない。そしてこれから先も穢れを寄せ付けさせない強さを感じられた。
 死者へ手向ける花に、この世界では何が相応しいかカノンは分からなかったが、目が合ったこの純白の花こそ死者へ相応しいそれと思ったのだった。今は存在しない二つの遺体へ花を手向け、両手を合わせる。その行動に、カノンは心を込めた。
絶対に犯人を見つけてみせると心に誓い、犯人を裁くことを改めて決意する。自分にその力がなくとも、ルーベが力を貸してくれる。だからもう暫く待って欲しいと、言葉には出さず心で誓う。
 その仕種は、暗澹としていた雰囲気の室内に光を招いたと言っても過言ではない。部屋の高い位置にある窓から、光が降り注いでいる。その光がちょうどカノンを照らし出していた。まるで巫女が四玉の王へ祈りを捧ぐ儀式のように、洗礼された空間になっていることに、彼らは気づく。
 たった数十秒のことなのに、彼らにはその時間が数分、あるいは十数分のような錯覚に襲われる。現実と夢幻の境を彷徨った感覚に襲われていた彼らであるが、カノンが立ち上がり、彼らと視線があった瞬間、その場は現実へと引き戻された。
「どうかされましたか?」
「いや」
 ルーベが柔らかな笑みを浮かべてカノンを見やる。状況は緊迫としたもので、予断を許さない状態なのにまるで嘘のような笑みを浮かべる騎士団長に、騎士たちは小さく息をついた。不快だ、とか、不謹慎だ、という溜息ではなく、このような状況下でも普段と変わらない自分たちの統率者に安堵した息だった。
 カルディナも自分の体が予想以上に強張っていたことに気づき、苦笑いを禁じえない。室内の張り詰めた緊張が解け、それぞれが息をつく。そう、ここで立ち止まっている時間はない。動かなければならない、知らなければならないことは山とあるのだ。
 目下、次に何をしなければいけないのか。彼らはそれを考えなければならない。
「カノン」
「何?」
「お前、馬には乗れるか?」
 カルディナが唐突に質問した言葉に、カノンは一瞬固まった。確かに乗馬の練習はしたこともあるが、とても大人しい馬に乗せてもらったことがある程度である。しかも、周囲にはミディや他の騎士、つまり馬の扱いに長けた人間が多く存在していたから実現しえたものである。一人で乗ることは、ある意味自殺行為とも言えよう。
「一人で乗れる自信はないの。乗ったことはあるけど、大人しくて頭のいい馬だったから」
「そうか。では私の馬を貸してやる。頭も良くて、大人しい馬だ。少し出かけないか? 日がな部屋にいると、気も滅入るだろう?」
 両腕を組んで悪戯を仕掛けた子の表情をして言うカルディナに、カノンはきょとんとした表情を浮かべた。それすらも計算どおりと言うように彼女は笑みを深めた。
「騎士団長殿とテオドールには遠慮してもらおうか」
「なっ?! お前をコイツと二人きりにするのを良いってオレらが言うと思ってんのかよ!」
「思ってるわけないだろう。第一位階の騎士殿の誰かもついてきてくれないか。それと、お前の人選で護衛をつけさせる。それで文句はないだろう」
 この時、カノンはカルディナの考えていることが少しだけ理解できていた。そしてそれは自分自身が望んでいることでもあったのだ。彼女は、視線を上げてやれやれと言う表情をしているルーベを見やった。彼女の視線に気づき、彼もカノンを見やる。
「行って来てもよろしいですか?」
「駄目って言っても聞かないだろう?」
 その言葉に、カノンは笑ってみせて是も非も言わなかった。その顔を見たルーベが深く溜息をつく。
「最近、お前の性格が掴めてきたよ」
 そう言いながら、彼はカノンの頭をそっと撫でる。
「気をつけろよ」
 それがルーベがカノンに送る諦めと理解の言葉であった。


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