0.生きる理由・死ぬ理由T

 ルーベと連絡が取れなくなり、どれほど経ったか。厳密に言えばまだ三日程度であるのだが、シャーリルは焦りを感じていた。彼もまた、鴉の存在に気づいてしまったからだ。恐らくそのことを彼も感じ取っているだろう。だからこそ、彼に伝えなければならないことがある。
 そう思い立ち、彼と連絡を試みようとした所、妨害が入った。それは、レイターであるシャーリルを阻む力である。一人だけのそれではなく、複数名の力で作り出されている妨害の壁に彼は苦々しく舌を打った。
 本気を出せば、どうにかなる。だが、彼の本気を使うときは、ルーベの許可がいるのだ。そう、彼と約束している以上、シャーリルは自分の意思でそれを実行に移すことは出来ない。文でも出せればよいのだが、内容が内容なだけに迂闊に書面にすることも出来ない。
 いっそ、誰かをディジー・アレンに寄越すかと思ったが、誰を、となったときにそれが最初から実行不可能だということに気がつく。それぐらい、彼は焦っていた。
 いやな予感がするとルーベは言っていた。彼のその予感の的中率を考えれば、是が非でもついていくべきだったと思うと、シャーリルは腸が煮え返るような気持ちに襲われる。そんな感情を抱いたところで、何が変わるわけでもないことを知っていながら。
 大きな窓から入ってくる日差しは、乱れた心に平静を取り戻させる作用はなかった。それどころかのどかな陽気に触れて増す苛立ちを表に出さないよう、城内の廊下を歩いていると、前方から珍しい人物が歩いてくるのが目に入った。……同じレイターである、マハラである。シャーリルとは対照的な、白い髪を靡かせて歩いていた彼も気づいたらしい。口元に僅かな笑みを浮かべて、そのまま前進してきた。
 二人が、向かい合う。シャーリルとしては、係わり合いになりたくなかったため、口を聞くつもりもなかったのだが、投げられた言葉に、反応を返してしまった。
「主から離れるということが、我らレイターにとって一番致命的でしょうに」
「それは君の場合でしょ。僕と一緒にしないでくれ」
「主を守れる距離に存在できない事を後悔する日が来ないといいですね」
「そうだね。まず、来ないだろうね」
 売り言葉に買い言葉であるには間違いなかったが、この時のシャーリルには彼の言葉を受け流す余裕が欠けていた。言われなくても分かっている言葉は、人の心を荒れさせる。シャーリルの瑠璃色の双眸が怒気を孕み、マハラを捉えるが、彼は笑みの仮面を崩さない。
 普段のマハラであれば、このような言を相手に放つこともない。彼もまた虫の居所が悪っかったのか。事情と理由は判然としないが、そんな珍しい光景であり、万民がその場に居合わせたくないと思う状況に立ち会ってしまった人物がいた。その人物は、その場で殺し合いを始めてしまいそうな大人気のない二人に対して、聞こえるように溜息をついた。それでも、二人が睨み合いをやめないので、わざと踵の音を響かせて廊下を歩き、その人物は彼らに近づいた。
「やめなさいよ、貴方たち。この廊下が使えなくなるでしょう」
 呆れた声でそういったのは、また、彼らと同じレイターであるロザリアだった。低く束ねた赤丹色の長い髪をばさりと揺らしながら二人を見やり、言葉を紡ぐ。
「こんな所で珍しいわね」
「……君こそ、何をしてるんだ?」
「別に。特にこれと言って何もすることがないのよ。平和だから」
 しれっとした表情でロザリアは言った。そう、表向きは平和なのだ。じわじわと真綿で首を絞めるように市民の生活は苦しくなっているが、それをそれと訴えるものもまだいない。城内はにわかに、ルーベ派と現皇帝派とに分かれようとしているが、それも以前よりあった動きであり、今更どうだという話でもない。
 現状、打つ手なし。ということが本当のところで、命令がなければ動かない騎士たちは、己の身を鍛えることに精をだし、何も考えてない貴族たちは自分たちの娯楽にしか興味がない。いたって、平和な時間だった。
「暇だからいがみ合ってるのかしら? それも、時間の無駄ね」
 そう一蹴するロザリアがそういえば、と再び赤く濡れた唇を動かした。
「団長が今面倒なことに巻き込まれているらしいじゃない。何で貴方がここにいるわけ?」
 不思議そうに言う彼女に、シャーリルは舌打ちをし、マハラは笑みを深めた。ロザリアの疑問は最もである、と彼自身、認めざるを得ない。レイターとは、主の為に生き、そして主の為に死ぬ存在だと彼らは思っている。そして、それが自分達の誇りであるとさえ、思っているのだ。勿論、シャーリルもそうだった。
幼い頃、ルーベと出会い、そして彼に膝を折る前までは、共に生きることを命じられた相手の命に従うのみと思っていた。それが自然の流れであると。しかし実際は違っていた。

「じゃあさ、お前さ、オレのレイターになってよ」

 暖かな陽光のような笑顔で、まだ剣の肉刺も出来てないような小さな手のひらを向けられたあの日。あの時に、自分の運命は決まったのだと、シャーリルは思っている。あの時はまだシャーリルはレイターの『候補生』であり、レイターではなかった。その自分に対して、名前も名乗らなかった少年がそういってきたのだ。
 その時、シャーリルは自分がレイターになることを確信し、また、そう言われた名も身分も知らない少年のものになることを決めたのだ。後に自分の主になるのは、ルーベ・フィルディロット・ライザードと知った。この国を統べる血筋の人間だと知った。
 例え、ルーベが町民であろうと、あの時差し伸べられた手をとっていただろう。シャーリルはあの時既に、自分の主は彼以外にありえないとわかっていたのだった。
それぞれがそれぞれの主従の形があるだろう、依存に近いそれもあれば、愛に近い形もある。シャーリルは自分とルーべが形作る関係は何なのか的確な単語で表現することがいつも出来なかった。
 ただ、彼が生きている限り自分は死なない。彼が死んだら、死因を片付けてから自分も死のうと密やかに決めている。妻も子もいる自分ではあるが、そんなことは関係なかった。シャーリルの中で何より優先すべき、かけがえのない存在がある。理由はただそれだけだ。
だからこそ。シャーリルは眼前の二人を見据える。
「今僕は機嫌が悪いんだ。あまり口が過ぎるようなら容赦しないよ」
「私は貴方の相手をするほど暇ではないのですがね。身に振りかかる火の粉を振り払うことは厭いません」
「だから! やめなさいよ、貴方たち。レイター同士でやりあうなんて、馬鹿じゃないの」
 ようはマハラもシャーリルも機嫌が悪いということで納得したロザリアが二人の間に割ってはいる。この二人の間に入れる人間は、恐らくこの世界でも片手で数えて足りる程度だろう。今にも凄惨な殺し合いに発展しかねない二人に向かって、彼女は言う。
「第一位階持ちが私闘で城壊してどうするのよ。こんなことしなくて、私たちはどうせ戦わなきゃならないんだから」
 彼女の言葉に、彼らは今まで纏っていた雰囲気を解いた。まるで、今がその時ではないというように、自然に。
「……いつか、君たちとも剣を交える日が来るんだろうね」
「でしょうね」
「そうね」
 シャーリルの冷たい声に、二人も同じ色の声で答える。それが当たり前だ、当然だというように。それでも彼らはそのことを後悔しないだろう。罪悪感も抱かず、不思議だとさえ思わず。旧友であろうが、なんであろうが、眼前の存在が主君の邪魔になるのであれば容赦しない。その覚悟がもう既に、彼らの中にはあった。
 それは恐らく、彼らが彼らの仰ぎ見る主君に出会った瞬間に生まれたものだろう。彼らにとって、極々自然な感情であった。だからこそ……。
「クレイアも、レイターとして本望でしょうね」
 マハラはそう呟くと、シャーリルとは逆の道を歩んでいった。今の関係をそのまま物語ったように前を見据え、もうこちらを振り返らずに。その後姿に、ロザリアは溜息をついた。
「結局、貴方たちって似たもの同士よね」
「薄ら寒い言い方やめてくれないかな」
「人間、事実を言われると過剰反応するわよねものよ」
 余裕の笑みを浮かべる彼女に対して、シャーリルはもう怒りを覚えることもなかった。頭に上っていた血も落ち着いた。馬鹿馬鹿しくくだらないやりとりも、時には役に立つものだと彼は感じるが言葉には出さない。
「まあ、どちらにせよ。私は静観してるわ、まだね」
「まだ、ね」
「そうよ。だって、私は団長の部下でも、皇帝陛下の下僕でもないもの。そして、鴉にだってならない」
 ロザリアはそういうと踵を返して、マハラとはまた別の道へ歩いていった。こちらに来たのは偶然この状態を発見してしまったからで、自分には自分の用事がある、と。
 レイター同士は、幼い頃より切磋琢磨していた。親よりも家族よりも、長い時間を共に過ごしたレイター同士は幼馴染という柔らかな響きで表現すれば聞こえがいいかもしれない。結局はそんな生ぬるい関係ではないのだが。主が決まった時点で、誰とも道が別った。レイター全員が国のため、皇帝のために膝を折れば、志はひとつの方向に向いていたのだろうが、少なくともこの時代ではそれは叶わなかった。
 しかし誰もがそのことに異論を持たず、後悔もしていない。彼らとシャーリルを結ぶものは、レイターであること、そして生き方と死に方だけだ。それ以上、同じである必要はない。勿論生きる理由も、死ぬ理由も同じである必要はない。

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