15.望む未来

 カノンの脳内には、この城内一般的な地図は頭に入っていた。隠し扉などがある場合は話は別だが、カルディナが通常使っている私室にたどりつくまでの歩みはよどみなく進められる。途中で出会う城内の人間は不審さを露にした目で彼らを見やる。その視線に脅えず、怯まず、カノンは真っ直ぐにこの自由都市の主の下へと赴いていった。
 扉を叩き、自分の名を告げる。そして、僅かな沈黙の後入室を許可するカルディナの涼やかな声が響いた。扉を開ければ、誰かが居るかは明白で、何を罵られるかも安易に想像がついた。彼女は小さく微笑を浮かべながら扉を開く。
「てめぇら、何しにきやがった」
「何って、ディナに会いに」
 室内には、カルディナとテオドール。そして他にも5名の男がいた。恐らく、自由都市の中枢を担っている人物達であろう。閉口を余儀なくされている彼らは、ただカノンとルーベを冷たい視線で迎えるしかない。
 開口一番、食って掛かってきたのは当然のように室内に居たテオドールだった。ルーベも予想していたであろう彼の反応に、苦く笑う気配を後方でで感じた。
「どの面下げて……っ!」
「テオ」
 なおも噛み付かんばかりで声を荒げる彼を、長椅子に深く座り、背もたれに体重を預けている女主人は軽く手を上げてそれを制す。その表情は暗く、希望を宿す彼女の瞳は閉ざされていた。
「だがな、ディナ!!」
「私の声が聞こえないのか。テオ」
 閉じられていた双眸が開き、テオドールを射抜く。言葉を詰まらせた彼の代わりに、カルディナがカノンに言葉を発した。
「カノン。何のようだ? テオの言葉ではないが、今は君と茶を嗜む余裕がこちらにはない」
「ええ。何故か自由都市内で殺人が起きてしまったんですもの。わかりますわ」
 わざと殺人事件が起きた事を口にすれば、肌に痛い空気だった室内の雰囲気が険悪さを増した。
「カノン」
「はい?」
「何が言いたい?」
 殺気を匂わすようなカルディナの視線に、カノンの肌には淡い鳥肌が立った。こんなことで、この程度のことで脅えを表層に出すわけにはいかないと、彼女は己を叱咤する。動揺を感じ取らせないためにも、と彼女は平静を装い唇を動かした。
「言わせて頂いてもよろしいかしら?」
「ああ。そのために来たんだろう? テオが射殺すように君たちを睨みつけるのも厭わずに」
 幾ばくかの毒を含んだカルディナの言葉に、カノンは大輪の花のような笑みを浮かべて見せてから、言った。
「私たちに監視をつけてください。一人でも危険と思うなら、一人につき二人。昼夜問わず、お見張りくださいな」
 その言葉に、その場に居たルーベ以外の全員が息を飲んだ。カルディナは、再び双眸を閉じた。彼女は静かに言葉を聴いてくれるだろうと、彼女は確信した。そしてルーベは自分がこういうことを恐らく分かっていただろうとカノンは推測する。そうでなければ、この場に居合わせてくれていないだろうし、それ以上に止められていたと彼女は思っていた。
 好き勝手にさせてくれているということは、彼も自分の考えに賛成してくれているからに他ならない、とカノンは確信を持っていた。だからこそ、これだけはっきりと言葉を紡げている。
「これで私たちの疑いが晴れるなら安いものですわ」
 彼女は、自分でも驚くほどはっきりと真っ直ぐに言葉を紡げていた。ルーベが側に居るだけで、自分がこんなに強くなれるとは思ってもいなかった。カノンが言葉を言い切ると、当然のようにテオドールが食って掛かってくる。
「誰がそんな殺人狂の言い分を信じるかっ! 逆に監視してるやつが死んだら、そいつがオレたちに八つ裂きにされんだぜ? それが、たとえアンタでも」
「そうでしょうね」
 怒声に近い言葉でも、カノンはさらりと受け流す。
「そうされないために、監視を一人でも二人でもお付けくださいと言っているのです。そのほうがそちらも安心でしょう。二対一ならば、いくらでもどうとでもなるんじゃありませんか? 屈強の自由都市の戦士であるならば」
 わざとテオドールが怒りそうな言葉を選んで紡いでいくと、彼は面白いぐらい反応を示した。怒髪天をつくとはこのことではないだろうか、というほどの怒りである。距離があるにもかかわらず、拳を握り締める音がこちらの耳に響くほど、彼の怒りの力は溜まっていっている。
「てめぇ、さっきっから黙って聞いててやれば好き放題いいやがって……!」
「お互い様じゃありませんか? 貴方も、私たちのせいだと根も葉もないことを流言なさっておいでのご様子で」
 口論をする場合、熱くなったほうが負けであることは明白であり、この勝負は初めからカノンの勝利が見えているようなものだった。正論をぶつけられて、テオドールは反論に窮す。
「……何がいいたい」
「言葉の通りです。はっきり言って、身に覚えのないことで濡れ衣を着せられるのは真っ平御免です。疑わしきは罰せよ、何て今時流行りません。疑いつくして罰してください。そのために、監視をつけてくださいと申し出てるんです」
 カノンは、自由都市の屈強の戦士を言葉で圧倒してみせた。言葉の端々に甘さや矛盾はあるものの、それでも堂々とした立ち居振る舞いと真っ直ぐとした視線で、男たちを圧倒しきってみせた。
その姿を、真正面から捉えられなかった事を、ルーベは少し悔しく思っていた。凛としたその立ち振る舞いは、やはり自分が見込んだ女だけのことはある、と言葉にせずに思っていた。初めて見たときは、あんなに頼りなく見えた彼女だったが、今では勇ましく男たちと渡り合うだけの力量を見せ付けている。
「……それは、騎士団長殿の差し金か?」
「いいや。この件に関しては、カルディナの前で話すから、と。オレも今ここで聞いたのが初めてだ」
「そうか」
 それまで沈黙を守っていたカルディナとルーベが短い会話を交わした。目を閉じていたカルディナが再び目を開いた。カノンはそれがまるで長い瞬きであるかのように感じていた。彼女の言葉で、次の行動が全て変わってくる。この庭の主は彼女であり、選択しノ全ては彼女にある。
 にわかに、カノンの心拍数が早まる。カルディナが言葉を紡ぐまでが、とても長く感じていた。
「では、騎士団長が連れてきた騎士殿たちには、一人につき、うちの戦士を一人監視につけよう」
「な?!」
「騎士団長殿には、二人の監視役をつけさせていただく」
「それは構わない」
「ご不快に思われるかもしれないが、目を瞑っていただきたい」
「ああ」
 ルーベはそれさえもわかっていたこと、のように頷いてみせた。そしてカルディナの視線はカノンへと映る。
「勿論、女性であろうと例外はない。カノン、君にも監視役はつけさせてもらうよ」
「当然です」
 カノンは彼女の言葉に、内心安堵していた。ことは、上手く流れに乗った。そして、あとは自分につく監視役が誰であるかということだけだ。自身の脳裏に浮かぶ人物が、自分の監視役になればいいということを願いながら、彼女はカルディナの言葉を待った。
「君の監視役はテオドールだ」
「わかりました」
「なっ?!」
「何だ、テオ。私の意見に不満があるのか?」
「何でオレがコイツを……っ!」
「お前にしか頼めない、任せられないと思ったからだ。私の言葉を信じてはくれないのか?」
 一国の主を慕う以上に、一人の女として彼女を慕っているテオドールには、最も効果のある言葉だっただろう。ぐぅと言葉を詰まらせてから、戦慄く拳を緩め、大きく息をついた。そして、椅子に座る彼女に膝を折る。その姿は、カノンの瞳には彼なりの是の合図であり、彼女への思いの証に映った。
 カノンはテオドールとカルディナの関係を眩しくみていた。二人のような関係はとても尊いものだと感じているのだ。しかし今、その態度は表に出せない。全てが終わってから、少なくとも今、自分たちの身にかけられている疑いを晴らしたら、彼らとの友好関係をまた作り上げたいと彼女は願ってやまなかった。
 この後、帝都から連れてこられた騎士たちもこの部屋へと招集され、ことの事情が説明された。彼らから否の答えはなく、監視を甘受する方向で決まり、そのまますぐに監視体制は敷かれた。
 不審な動きがあればすぐに斬りつける、というのが戦士たちを束ねるテオドールの言葉だった。
「オレたちもなるべく外を出歩かない方がいいな」
「そうですね。そして、出来るだけ誰かと共にいることにしましょう。そのほうが、我々の潔白を晴らしてくれる材料が増えますし」
 フェイルが浅く笑いながらそう言うのを、ルーベは言外に窘めた。
「これ以上、犠牲者が出ない事を願う」
「私もだ」
 この言葉で、今夜の会合は終幕となった。

「もう月が大分高い時分になってしまいましたね」
「そうだな。カノン、疲れていないか?」
「大丈夫です。ルーベ様、先ほども同じことをお聞きになりましたよ」
「そうだったか?」
 二人は穏やかに会話を紡いでいた。室内には剣を持った屈強の戦士が、六つの目で彼らを監視しているというにもかかわらず、だ。清潔な部屋に似合わない、殺気めいた空気胃が室内を流れているのに、カノンとルーベが醸し出す雰囲気は、まるで別世界のものだった。
 カノンが着替えをする時だけ、女性の監視役が側にいることになった。何か異変があればすぐに大声を出すと言っていたが、体つきを見る限りでは彼女は腕の立つ戦士であることは明白だった。
 それでいいと、ルーベもカノンも思っていた。誰もが監視として自分たちを見ているのであれば、僅かな違和感があればすぐに人に伝わる。これで帝都からやってきた人間に対しては、例え鴉といえども手は出しにくい状況になった。
 恐らくはまだ、人は殺され続けるだろう。それは、二人にとっても心苦しいものではあった。だが、それでも自由都市という場所が彼らにとって必要なのだ。甘いことを言っている余裕はない。
 寝台に入ると、二人は昨晩よりも体を寄せ合った。寄せ合った、というよりはルーベがカノンを寝台で抱きしめているような状態である。それが、平素から自然であるかのような振る舞いで、監視する男たちにはその姿が奇異なものとは映らない。
 だが、カノンだけは違っていた。うっかり漏れそうになった悲鳴を寸前で飲み込む。流石に寝ている表情は彼らからは見えないだろう。カノンは目を見開いてルーベを見やる。そうすると彼は悪戯が成功した子どものような、無邪気な顔をしていた。
「ルーベ様……」
 甘さを過分に含ませた声で、けれど表情だけは咎めるそれにして彼の名前を呼ぶと、ルーベは彼女の髪に自分の顔を埋めた。
「!」
「甘い、匂いがする」
「……っ」
「暖かいな、カノン」
 感触を確かめるように触れるルーベの指が熱くて、カノンの体が跳ねそうになるのを彼女は必死で堪えた。震えるように目を瞑った彼女が、数秒後耳元でクツクツと笑う小さな音を拾った。
 今度は本気で彼を睨むと、ルーベは眉を八の字にし、「悪い」と口だけ動かして見せた。何の戯れかと言い返してやりたいところではあったが、これが恋人同士の夜なのかもしれない、と思いなおす。
 自分が提案したこととはいえ、墓穴を掘ったかもしれない。この時カノンは自分の提案に対して初めて後悔の念を抱いた。それを感じ取ったルーベがまた笑う。
「大丈夫だ、これ以上、何もしない」
「え?」
「窮屈だろうが、我慢してくれ」
「……窮屈なんて、そんな」
 あくまで小声で、殆ど唇の動きだけで二人は会話をしていた。
「安心して、おやすみ」
 ルーベはそういって、カノンの額に唇を落とした。こんなことをされて、静かに寝られる通りがないだろう、という言葉は彼には通じない。カノンは大人しく、目を閉じた。瞼が、緊張で震えるのを自覚しながら、それでも眠ろうと努力はした。
 ほどなく、ルーベの心音を子守唄に、彼女は意識せずに眠りの世界へと旅立った。それを確認してから彼は当たりに気を配る。横になっていれば、体力は適当に回復する。あとは……。監視する側もされる側も、緊張を強いられる。
 自分は鍛えられているから良いものの、腕の中で小さな寝息を立てる少女だけは守らなければならない。いつ、何が起こるかわからない状態であることには変わらない。ルーベは自分の表情が、柄にもなく強張っていることに気づいた。
 ふぅと小さく息をつくと、意図せずに視界に入ってくるカノンの寝顔。愛らしいその表情に、ルーベは頬を緩ませる。らしくもない自分の仕種に、苦笑いをしながら、彼は窓越しに夜明けを迎えようとしている空をみやった。


 この晩を境に、彼らの長い半月が幕を気って落とされたのだった。望む未来へ進む為の道とはいえ、それはあまりにも。


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