14.崩壊の鐘響


 それは何の予兆もなく訪れた。朝、ディジー・アレンの戦士の一人が朝、起きてこなかった。寝坊したんだろうと人々は言い、昼前には起きてくるだろうと踏んで彼を起しに行かなかった。しかしその人物は、昼を過ぎ、夕刻になっても姿を現さなかった。訓練場に姿を現さなかっただけならいざ知らず、今日誰もその男を見かけていないという。
 流石にそれを不審に思った同僚たちが彼の部屋を訪ねた。風邪を引いて動けないのかもしれないと今更ながら心配をして、だ。扉を叩いても返事がない。鍵が掛かっているかと思って取手を動かせば、それは何の抵抗もなく開いてしまった。
 ますます不審に思いながら、寝台にいるであろう戦友を見やれば。そこに横たわっていたのは、一本の短刀が心臓に突き刺さり、内臓が引き出された男の惨殺死体だった。

 その情報は一気にディジー・アレン中を駆け巡った。彼を慕う者たちは泣き、彼の突然の惨い死を悼み、そして犯人に対する言い知れない怒りを露にしている。自由都市は、にわかに混乱を始めた。
 カノンはその死体こそ目の当たりにはしなかったが、ざわめく外の空気を感じながら部屋の窓から外を見やっていた。窓から見える空はもう夕刻の色ではなく、夜の色だった。濃い藍色から闇色へと変化するにはもう幾分の時間もないだろう。
 主の不安を感じ取ったのか、リュミエールがその柔らかな温もりで彼女の不安を拭うように擦り寄ってくる。
「ありがとう、リュミィ」
 足元にいた愛狼を、屈んでそっと撫でる。目を細め、リュミエールを撫でながらも彼女は思案する。一体何が起こっているのだと。昨日の夜までは平和だった。そう、何事もなく、恙無く。大きな進展はないものの、一人を除いてこの都市の人々は友好的な人間たちだった。恐らく、ルーベが困った時には話を聞いてくれる程度には、友好関係を気づけてきていたと思う。
 だが……。カノンはこの時、言い知れない不安感に襲われていた。何かが起こる気がする。何かが起こってしまいそうな気がする。この嫌な予感に関して、カノンの命中率はルーベのその感覚に匹敵するかもしれない。
 目を細めて、主に撫でられていた狼が顔を上げる。その視線の先にはこの部屋の出入り口がある。カノンも遅れて顔を上げると、静かに扉が開いた。険しい顔をしたルーベが戻ってきたのである。
「ルーベ様」
 カノンは部屋に入ってくる彼に駆け寄り、彼を見やった。彼の険しい表情は、現状の悪さを伺わせる。彼の双眸に映る自分の表情もまた、不安げなそれだった。
「まずいな」
 そう、彼は一言呟いた。彼らは長椅子に移動して、腰を落ち着かせた。ルーベも腰掛けると、深く長い溜息をつく。こんな表情をしていることを見たことのないカノンは、ただ彼の心中を案じるばかりである。
「何かが起こるだろうとは思ってたが」
「死因はなんだったんですか?」
「……大量出血だな。嬲られた様子もない。心臓一突き」
「一体誰がそんなことを」
「ああ。オレたちが居る間に誰がそんなことを、だな」
 ルーベの言葉に、カノンは沈黙を余儀なくされる。それは、自分達が疑われていることを暗に彼が示したという事だ。昨晩、カノンとルーベはいつも通りに二人でこの部屋にいた。ルーベが連れてきた騎士たちもそうだろう。
 しかし、身内で一緒に居たと言っても疑いの目は晴れない。誰かの庭で何かがあった、とすれば疑われるのは外の人間であることは仕方がない。
「でも、私たちや騎士様方はそんなことは……!」
「ああ、間違ってもそんなことをする馬鹿は連れてきちゃいねぇ」
 犯人は、別のところに存在していると核心が出来るのは、彼らだけであって、自由都市の人間ではない。彼らに、自分たちがやっていないことを証明するには骨が折れる作業になる。
 特に、招かれざる客として自分たちに接している、自由都市の戦士を束ねるテオドールは何をどう思っているかも分からない。
「やり口が、騎士のそれじゃないのも気にかかる」
「え?」
 カノンは僅かに眉を顰めた。それに気づいたルーベが一瞬、視線を泳がせた後言葉を口にする。
「オレたち騎士は、正面から戦いに行くだろう?」
「はい」
「死体を見てきたが……。殺され方がおかしかった」
「おかしい?」
 カノンは小首を傾げた。そんな彼女に微笑んだあと、ルーベの表情が騎士団長のそれに変わった。
「素人の殺し方じゃなかった。ましてや、騎士の殺し方でもなかった」
 騎士として戦っていたならば、戦闘した痕跡があったのかもしれない。だが、それがなかったということは、犯人は騎士ではない。ディジー・アレンの戦士が素人に殺されるはずもない。だとしたら誰が? と思っていると、彼が再び深く息を吐き出しながら言った。
「暗部が動いたな」
「あん、ぶ?」
 聴きなれない言葉に、カノンはただ彼の言葉を復唱した。
「サナンから聞いたことがないか? 帝国の闇を担っていた鴉の存在」
 その単語に、カノンは血の気の引く音を聞いた。サナンから聞いたことがある。帝国を陰から支えた暗殺部隊の存在。それは、決して歴史の表に出てくることなく、帝国の、ひいては皇帝に仇なすものを確実に葬ってきた集団。その人数も形態も詳しい事は残っていないが、それでも確かに存在したことを歴史は綴っていた。
「でも、もう暗部はなくなったと聞きました……!」
「表向きはな。無くなったことになってる」
 そう、暗部自体は皇祖帝の時代になくなっていると史実の記録として残っているとサナンは言っていた。だが、今の話はその時にしなかった。では、今は? カノンは自分の手の平から温度がじょじょになくなっていくのを感じていた。
「……まさか」
「その、まさかだ。殺し方が、ただ殺す為のものだった」
 一撃で殺せるように訓練されたものでなければ、一撃で人を殺すなどという所業はなしえられない。ましてや、抵抗されればそれだけ周知の危険性を伴い自分の身も危うくなる。
「彼を殺したのは」
「ああ、忌々しい事に鴉の仕業だな。連中なら、造作もないことだ」
 それ相応の実力を持った、熱を持たない帝国の人間兵器とまで称される暗部の存在に、カノンは恐怖した。
「それは、自由都市を混乱させ、私たちの立場を悪くさせるために?」
「それもあるだろうが……。どっちに転んでも、自分の立場が危うくならないどころか、狂った主張を正当として見せられるようになるな」
 ルーベは苦々しく言葉を口にする。彼にここまでの思いをさせるのは誰だろうと、彼女は脳裏に知りうる限りの人物を浮かべ上げ、程なく結論に達してしまった。いやでもまさかと否定してみるものの、この状態で誰が一番得をするかと考えたら彼しかいなかった。
「ディオ様……」
 彼女の脳裏には、天真爛漫に笑みを浮かべ、どこか的を外しているもののそれでも彼なりに国を憂う少年の姿が映っていた。恐らくルーベも同じ表情をしているクラウディオが脳裏に映っているのだろう。
「どちらかといえばディオの望みで動いてるクレイアが問題だな」
 庇うようにクラウディオの名前を口にするルーベに対してカノンは言う。
「でも、ディオ様が暗部を操っているとは思えません。そのような存在を嫌う方だと思ってました」
「オレの知ってるディオもそうだ。恐らく、通じたのはクレイアのほうだな。アイツが何処でそれの存在に気づいたかは分からないが」
 レイターもまた歴史を担う者の一人だ。彼らもまた歴史を知っている。だからこそ鴉の存在を知りえ、それを動かす方法を知っていたのだろう。
「鴉はオレの預かり知らない帝国の闇だとすると、どう動いてくるか……」
 ルーベが険しい表情でそう呟く。その姿を、カノンは見つめるしかない。自分にはどうすることも出来ない問題だった。先ほど聞いた話では、殺された人は殺された後に内臓を裂かれ、臓物を撒き散らすような形になったのではなく、生きながら切り刻まれ、最後についでとばかりに心臓を一刺しにされた、と言われたのだった。
 自分を気遣ってくれることには、こんな状況であるにもかかわらず、不謹慎にも喜ばしく思ってしまう。しかしそれ以上に、ルーベが思い悩んでいるのであれば、力になりたいと思う。……これが誰かを愛しく思い、誰かを守りたいと思う気持ちなのだろうか。それは彼女の中で判然としないものだった。
「とにかく。ディジー・アレンの人間だけが狙われるとは限らない。首謀者がディオだという確定もない。カノン、気をつけろよ」
「はい。……ルーベ様もご無理はなさらないで下さいね」
「ああ」
 ルーベのこの言葉に偽りはないとは言え、不安な気持ちが色あせる事はない。カノンの足元で丸くなっていたリュミエールが不安そうに小さく鳴いた。彼女は、そっと愛狼に手を伸ばし、彼の頭を撫でる。
 不安がっていても何もはじまらない。何をしなければならないのかを考えなければならない。カノンは不安げに瞳を揺らす狼に微笑んで、ルーベを見た。
「ルーベ様」
「ん?」
「単刀直入にお聞きします。私たちは今どれぐらい疑われているんですか?」
 彼女の言葉に、ルーベは軽く目を見張った。その仕種で、カノンは現状を確信する。
「だと思いました。恐らくディオ様のことには第一位階の騎士様方もきっとお気づきでないと思います。そんな中です。この都市の方々がディオ様に気づいているわけがないですもの。そうなれば疑われるのは私たちですよね」
 カノンはすっと、長椅子から立ち上がった。心に一つの決意を秘めて。
「カノン?」
「参りましょう、ルーベ様。ディナとテオドール様にお会いしなければ」
「は?!」
 彼女はルーベに向かって手を差し伸べた。疑われているならば、疑いを晴らさなければならない。私たちが敵ではないことを知ってもらい、敵に対して同じ方向を向いて相対しなければならない。疑心暗鬼で疑りあってる場合ではないのだ。そのことは、女性の身で一国を治めるディナならばわかってくれるだろうとカノンは考えていたのだ。
 問題があるとすれば、カノンを毛嫌いしているテオドールのことだけだ。それにも考えがある。憂いていてもはじまらない。動かなければ変わらない。不思議と、カノンはこの時何も怖くなかった。ただ、ルーベが側に居てくれるだけで心も強くなれる。戦うと彼女は決めていた。ルーベの力になれるならば、自分が少しでも役に立てるならば。
 ルーベは彼女が差し出した手に己の手を重ね、体重もかけずに立ち上がった。少しだけ困ったように笑いながら彼女の目を見て問いかける。
「何を考えているんだ?」
「自由都市側に対する譲歩、とでもいいましょうか。とりあえず、私たちが犯人ではない事をあの方々の目で判断していただこうと思います」
「……どうやって?」
 ルーベはこんな状況であるのにもかかわらず、口元に浅く笑みを浮かべながらまたカノンに問う。恐らく彼には、自分が何をしようとしているかわかっているのだろうと、彼女は感じていた。だからこそ、柔らかな笑みを浮かべながら彼にこう答えたのである。
「ディナたちの前でお話させていただきます」
 そう答えるカノンに対して、ルーベは少しだけ困ったような表情を浮かべたのだった。

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