11.煌いて、揺らめいて

 カルディナの後ろを付いて行き、たどり着いたのは彼女の私室だった。入るように促され、椅子に腰をかけると彼女が茶の用意を整えてくれた。部屋は質素ではあるが、部屋の主の趣味のよさが窺える造りで、窓から入る柔らかな陽光が、彼女の高ぶった感情を少し落ち着かせた。
 お茶に口をつけ、茶請けを口にして暫く経った頃、カルディナが申し訳なさそうに口を開いた。
「テオが申し訳ないことをしまして」
「いえ、私も生意気なことを随分と口にしました」
 カノンがそういうと、カルディナは笑った。
「貴女は聡明な方ですね。シェインディア嬢」
「どうぞカノンとお呼び下さい、カルディナ様」
「……誉れあるシェインディア家の姫君をそのようには……」
「都から離れているとはいえ、私がシェインディア家の養女であることはご存じでしょう? シェインディアの威光など、私にはないものです」
 シェインディアの名前が自分にどれほどの価値を与えてくれるものかを、彼女は知っているつもりだった。だが、それを盾に人前に出る気は毛頭ない。しかも目の前にいる女性は、自治区を治める人間。貴族も何も関係のないところに立つ者なのだから、彼女がそれを盾に自分との距離を取る必要もないとカノンは思った。
「貴女の言い分も最もだ。だが私は人と必要以上に慣れ合うつもりはない。申し訳ないが」
「……分かりました」
 そう言われてしまえばそれまでである。彼女の考えはカノンの考え方とはまた別のものだった。それならそれで仕方がない。そう思い、彼女は小さく息をついた。それに対して、カルディナが言葉を紡ぐ。
「気分を害されたら申し訳ない」
「いえ、むしろはっきり言っていただいた方がすっきりします」
 カノンのはそう笑顔で返した。彼女の言葉に裏はなく、本心からそう言ってくれて感謝していると思っている。普段ならば、人の言葉の裏を読み取ろうとするカルディナであったが、彼女の素直さに毒気を抜かれた。彼女は濃い茶色の目を細め、カノンを見やる。
「騎士団長殿が貴女を選んだ理由が分かる気がします」
「過分なお言葉です」
 敬語が取れただけでも一歩前進した、とカノンは内心思った。
再び、二人は目の前にあるお茶に舌鼓を打つ。口の中で広がる香りと、舌先に残る僅かな苦味を感じながら、お互いに話を切り出す糸口を探しているかのような沈黙。それを先に破ったのは、また自治区の主であった。
「テオが」
 彼女の言葉に、カノンはゆっくり顔を上げた。すると、既に彼女を真っ直ぐに捕らえる、カルディナの濃い茶色の双眸と目が合った。
「テオが口にしていた言葉は、そのまま私の言葉でもある」
 彼女の言葉真剣そのもので、その言葉の意味をカノンはしっかりと把握していた。自分がカルディナの立場であっても、同じことを思い、同じ言葉を口にするだろうと思う。だからこそ、ここで、二人きりという状態をわざわざ作ってもらっている状況下で、誤魔化してはいけないと感じていた。
「話せる範囲でいい。聞かせてはもらえないだろうか。あなた方が私たちの庭へ訪れた理由を」
 ここで何かを誤魔化し、その場しのぎの答えをしたとして。この場を切り抜ける事は出来るだろう。しかし、これ以降彼女からの信頼は永遠に得られないだろうということを、この時彼女は直感していた。そしてその直感がほぼ間違いではない核心さえも、感じ取っていたのだ。
「……カルディナ様は、どのようにお考えですか?」
 カノンは慎重に言葉を選んで音を紡いだ。
「私が話すことは総て憶測だ。気を悪くしないで欲しい」
「ええ」
 カルディナは一度深く深呼吸をすると、両手を組んで膝に置き、前かがみに近い状態になって話し出した。
「あなた方は、来るべき戦いの為に、このディジー・アレンを欲している。来るべき戦い、それは玉座を巡る戦いだ」
 部屋には、カルディナとカノン以外に音を奏でるものはいなかった。窓の外で風が靡き、梢が鳴ることも、小鳥の囀りも響かない。彼女たち以外が音を発さなければ、この世界は無音になる。だからこそ、カノンは自分の心臓の音が外に漏れているのではないかと心配になった。それほど、今、彼女の心音は高らかに彼女の内側に響いていた。
 位の高い男たちを相手に、論議を交わしている会議などよりもずっと、彼女の言葉を聴いている事の方が緊張を強いられる。
「現皇帝は、恐れながら、玉座に相応しい者ではない。今までも惰性で皇帝となり、その腕を振るうこともなくただ玉座にあり続けた。無害な王であったはずだ。だが、最近耳に耐え難い噂はなんだ?」
 この時、カルディナが顔を上げた。そして、カノンを見やった。鋭い眼光を宿した双眸が彼女を射抜く。彼女は無意識に息を飲んだ。
「噂は脚色されて私たちの耳に届く。だが実際に目にして戻ってきた者の話によりば、噂などよりもさらに醜い現実を知った」
 カルディナは一度ここで言葉を区切った。そして、目を瞑り深く深く呼吸をすると、再びカノンを見つめながら言葉を奏でた。
「騎士団長殿は心の優しい方だ。腕は立つのに、争いは好まない。それでも盟友と呼ばれるこのディジー・アレンに訪れたということは、戦う準備をしに来られたのだろう。恐らく、協力を願う時の条件はこうだろう『自分が皇帝になった暁には、自由都市の自治を永久に認める』と」
 小さく、ごく小さくカノンが息を飲んだ。それに気づいた様子も泣く、彼女は続ける。
「ここまでの推論はほぼ間違ってはいないだろう。ただ、一つ解せない点がある」
「解せない、とは?」
「あなたのことだ。シェインディア嬢」
 今度こそカノンは息を飲んだ。
「騎士団長が、この時期にあなたのような婚約者を作るなど、考えられない。弱点を曝すようなまねを、彼ほどの人間がするなど」
「……私もそう思います」
 苦笑しながらカノンは彼女の言葉に同意すると、カルディナは柳眉をゆがめた。
「では、あなたは何者だ? 彼のレイターが化けているのか?」
「……カルディナ様の胸にだけしまっておいて頂けますか?」
 カノンは一瞬だけ、どうしようかと悩んだが、ここではぐらかす方がまずいと瞬間的に判断した。この方に話しても、ルーベにとって不利益にはならないだろう、と。これは直感と呼ぶべきか。それでも、そう思ってしまったのだから仕方がない。カノンは過去数度、このような状況に遭遇したことがある。このような、とは、何かの分岐点という意味だ。その分岐点とは未来へ続く道を選ぶとても重要な場所であり、カノンはその分岐点を今まで一度も間違えた事がないと自負している。
自分が判断した道が、その時の自分にとって最良の選択であり、未来に向かって間違えではない道に繋がる答えであると確信を持てていた。
「いずれはテオドール様も、他の皆様も知ることになると思いますけれど。でもまだ告げられないことがあります」
「それは……、私の憶測を裏付けられるもの?」
 カルディナの答えに、カノンは言葉で答えず笑顔で答えた。
「わかった。ディジー・アレンの名に誓って、シェインディア嬢が是と言うまで、私はあなたの言葉を誰にも告げない」
「ありがとうございます」
 ふわりと笑ってみせるカノンに対して、カルディナの表情は硬いままだった。それもそうだろうと、カノンは内心で苦笑しつつ、彼女に言った。
「カルディナ様、あの、もしよろしければ、何でも良いので魔力を使っていただけますか?」
「……お安い御用だが……」

 そういうと彼女は手から、湧き水のように水を生み出した。すぐにその水は彼女の手から零れ、机を濡らしていく。
「これでいいか?」
「はい。ありがとうございます」
 カノンはそのまま彼女の手に、己の手を重ねた。その動作に、一瞬身構えたカルディナであったが、次の瞬間、目を見張った。
「……これは……」
 それは彼女にとって信じられない光景だったといえるだろう。自分の生み出した水が、まるで最初からそこにはなかったもののように消えてしまったのだ。当惑するのも、無理はない。
 カルディナは自分の手と、カノンを一度だけ交互に見やった。彼女は柔らかく、少しだけ困ったように微笑んでいるだけで、言葉では何も語ろうとはしなかった。
「これは、あなたが優れた術士だ、というわけではなさそうだ」
「はい。私には魔力がありません」
「……あなたは」
 この時、彼女の脳裏にひとつだけ、そしてたったひとつの正しい回答が過ぎった。それを証明する手立てを、彼女自身が持っているわけではない。けれど、それ以外考えられない確信できる答えだった。
「……そういうことか! あなたは……っ!」
 カルディナは一瞬、言葉に詰まった。けれど、息を飲み込んで再び言葉を紡いだ。
「私たちの祖先にも、あなたたちに力を貸したものがたいた。伝説とばかり思っていたが……。よく、話してくれた。カノン」
 カルディナはそっとカノンの手に、自分の手を重ねた。先ほどまで見せていた、他人を寄せ付けない、一国を治める者としての表情のそれではなく、まるで幼子をいとおしむ年長者のような柔らかな表情だった。
「カルディナ様」
「ディナでいい。争いを収めるために異世界よりやってきた来訪者よ。私はあなたを歓迎する。そして、あなたが皆に認められたとき、私の力の総てをあなたに渡そう」
「え?!」
 あまりの言葉に、カノンは声を上げてしまった。彼女のその反応に、カルディナは不思議そうに小首をかしげた。
「何だ、不満か?」
「いえ、そうじゃなくて。どうして、もしかしたら私が嘘をついているかもしれないじゃないですか。どうして、そんな……」
 動揺しきりのカノンを、カルディナは可笑しそうに見やりながら言う。
「不思議か? まあそうだろうな。普段の私ではありえないことだ。だが、あなたなら信じていいと思った。一目見たときから、あなたにはそうだな。何か言い知れない何かを感じていたんだ。不快ではない、何かを」
 彼女の柔らかな双眸と、声に緊迫していた室内の空気は緩み、カノンの体の緊張感もほぐれていく。
「……ディナ様」
「ディナでいい。これを、運命と言うのかもしれない。四玉の王の導きか。そうだ、それで総て合点がいった」
 先ほどまで、鋭い剣のような雰囲気を醸し出していた女性が、今ではまるで別人のように柔らかな雰囲気を醸し出している事に、まだカノンは少しだけ戸惑いを覚えていた。信用しないわけではないけれど、これではあまりにも都合が良すぎるとさえ思う。
 人を疑うことはよくないことはカノンの身の上でも分かっているつもりだ。しかし、状況が状況なだけに、ここで素直に彼女を信頼していいものか、ここまで真っ直ぐな反応を返されてしまうと思い悩む所である。
 疑心暗鬼。それはこの世界にいるものならば誰でも抱いている正常な思いなのかもしれない。そのことを知ってか知らずか、カルディナは言葉を続けた。
「私は立場上、一言で総てを動かしかねない。下手なことはいえないし、判断も出来ない。だから、表立ってカノンのためには動けない。今の段階ではな。それは理解して欲しい」
「わかってます」
「特にテオだ。私があなたを気に入った、などとわかればますます辛く当たるかもしれない」
「テオドール様は……ディナのことを愛していらっしゃるんですね」
「……ああ」
 誇らしげに笑うカルディナが、嘘をついているとはカノンはどうしても思えなかった。自分の思考の海に沈みかけた時、柔らかな声が彼女の耳に届いた。
「でもそれはあなたも同じだろう?」
「え?」
「騎士団長殿をあなたは愛している。そして、団長殿もあなたを愛している。睦まじいじゃないか」
 カルディナの言葉に、カノンは困惑した。
「そんな……。ルーベ様にはいつか相応しい女性が現れてその方とご結婚なさるんです。婚約者というのは、私が自由に動く為の飾りであって、私が本当の婚約者ではないんです」
「そうなのか? 団長殿はまんざらでもない様子に見えたし。それに何より、あなたのほうじゃどうなんだ?」
「え?」
 再びカノンは困ってしまった。カルディナ言葉はひとつひとつ、彼女の逃げ道を塞いでしまう。
「団長の気持ちじゃなくて、カノンの気持ちの方だ。あなたは団長殿のことが好きではないのか?」
「好きですよ」
「……そうじゃなくて。一人の女として、あの男のことが好きなのではないのか?」
「……そんな」
 カノンは彼女の言葉に対して、反論が出来なかった。頬に熱が集まっていくことを自覚しながら、胸が締め付けられる思いを抱きながら、それでも思うことは。ルーベにとって自分が似つかわしくない事、彼に対して好意を寄せている事、それがおこがましい事である事。
「私が、ルーベ様を好きだ何て。おこがましくて、そんな……」
 眉を八の字にしてオロオロとし始めたカノンを柔らかな視線で、対面から見つめていたカルディナは不意に立ち上がり、彼女の隣に腰掛けると、当然のように彼女の肩に手を回し、少女を抱きしめた。
「私はあなたの気持ちを尊く思うよ、カノン。確かに、あなたの立場じゃ気軽にあの方を好きだと思えないだろう」
 触れた人肌が心地よく、カノンの混乱した心中は少しだけ落ち着いた。
「けれど、その気持ちは尊いものだから。決して忘れたりしてはいけない。捨てようとしてもいけない。大切にした方がいい」
 彼女の言葉には重みがあった。だからこそ、カノンの心に素直に響き、素直におちて言ったのだった。
「それは、ディナの経験からの言葉?」
「ああ。テオに教わった唯一の言葉だ」
 二人は顔を見合わせて、小さく微笑みあった。この時、カノンは自覚してしまう。ずっと、気づいていたけれど、気づこうとしなかった自分の気持ちに。もうずっと、初めてルーベと出会った時から、彼に惹かれていたことを。
 この気持ちは憧憬だと、自分にない物を持つ者への羨望だと自分自身に言い聞かせてきたのにもかかわらず。押さえられない気持ちに、気づかされてしまった。愛しいと、一人の女として、彼を好いてしまっていることに。
 この気づいた思いは、時期に、彼女の中で焦燥となって現れてきてしまうことを、この時カノンはまだ自覚していなかった。愛しい思いは煌くけれど、それ以上に、戸惑い揺らめく心が彼女の気持ちを焦がしていく。





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