9.終幕の序

「よくいらっしゃいましたね、騎士団長殿、シェインディア嬢」
 カノンがディジー・アレンに足を踏み入れて最初に目にした人物は、息を飲むほどの美女だった。この世界には美形しか生きられないのではないかと思うほど、自分の周りには美男美女が揃っているな、などと的外れなことを考えながら、彼女は周囲を見渡した。
 鉄壁とも称される厚い壁に囲まれた『自治区』 そう遠くない未来に起こるであろう現実に必要不可欠な場所の第一印象は、カノンにとって悪いものではなかった。
「久しぶりだな、カルディナ」
「騎士団長こそ、お久しぶりです。暫くお会いしない間に、随分可愛らしい女性をお連れになられて」
 二人の会話で、意識が外に向いていたカノンは女性のほうを見やる。
「初めまして、シェインディア嬢。私はディジー・アレンの総督ジェラルドが娘、カルディナと申します。以後お見知りおきを」
 スッと差し出された白魚のような手に、カノンは自然と自分の手を重ねた。
「ご丁寧な挨拶痛み入ります。カノン・ルイーダ・シェインディアです。今回は私のわがままを聞いてくださってありがとうございます」
 軽く握った彼女の手には、その手に似合わないわずかなタコのようなものがあったが、何も知らない風を装うカノンは気づかない振りをしたまま笑顔で言葉を述べた。
「深窓のお嬢様が興味を示していただけるものは何も無いとは思いますけれど、どうぞごゆるりとお過ごし下さいませ」
 笑えばなお魅力的な方だ、とカノンは思う。カルディナと名乗った女性は、二十歳ぐらいの年齢に見えた。腰まで真っ直ぐに伸びた紅茶にたっぷりと牛乳を混ぜたような柔からな茶髪に、はっきりとした濃い茶色の双眸。すらりとした体系であり、物腰が普通の女性とは明らかに異なっている。
 カノンの印象としては、シャーリルの妻であるミリアディアの立ち振る舞いに似ていると感じていた。
「ここは偉大なる皇帝陛下の息が掛からない自由都市。騎士団長殿やその婚約者殿が不自由に感じることもあるかもしれないがな」
 カルディナの横に控えていた男が、ボソリと言葉を紡いだ。ボソリと、ただ、こちらには確実に聞こえるように紡がれた言葉にカノンは小首を傾げて返した。それに対してカルディナは、発言した男の腹に肘鉄を打ち込む。
「うおっ」
「折角のお客人に対してなんていい様だ。申し訳ありませんお二人共」
「いや、いい。テオドールの言うことも一理ある」
 ルーベがそう言いながら片手を上げると、赤茶けた長く、やや荒れた髪を適当に一本に結んでいる見るからに戦士風の男はニヤリと笑った。
「旦那がそういってくれると助かる。アンタみたいな人間で世界が構成されてりゃ、オレたちも生きやすいんだけどな」
「オレみたいな人間だけで世界を構成してたら、お前らしか生きやすくならねぇだろ」
「オレにとっちゃあオレたちが生き易ければそれでいい。面倒ごとを考えるのは苦手でね」
「それで次期ディジー・アレンの総督になれるのか?」
「総督ってのは名前だけだ。実際に都市を回すのは親父殿の娘であるディナだ。オレはディナにとって邪魔なものを薙ぎ払う。それだけだ」
 その言葉に、ルーベは浅く笑って見せた。
「勇ましい騎士様だな」
「よしてくれよ、旦那と一緒と思うと反吐が出る。オレは国に従事なんてしねぇよ」
 軽口を叩き合う男二人に、カノンは半ば呆然と見守っていた。確かにルーベは気安い人で誰にでも平等にと接してる人間である。それをカノンも自覚していたし、それに対して自分のことのよう誇らしい。しかし、今、眼前の男はその枠を大いに脱してるのではないか。
 ……ルーベが気分を害してなければいいのかな、と思いなおしたカノンはそれについて何も言わないでいると、再びカルディナの肘が彼に飛んだ。
「団長殿に失礼だろう! 不躾にも程があるぞ!!」
「旦那はそれで許してくれるからいいじゃねぇか。ディナが硬すぎるんだって」
「礼節を重んじろ」
「そんなもん、オレたちの庭にゃ必要ないだろう」
 そう言って笑う男に、カルディナは溜息をついた。
「初対面の相手を目の前にして、名乗りを上げないのは礼を失する行為だ」
 この言葉に、まだカノンに名乗っていないことに気がついた男はあ、という顔をした。しかし、彼女の知っている騎士達のように彼女に膝を折ることはせず、彼は名乗りを上げた。
「初めまして。未来の騎士団長夫人。オレはテオドール。ディジー・アレンの傭兵団の責任者だ。以後お見知りおきを」
 手に触れるわけでもなく、ただそういわれたカノンは笑顔で先ほどのように自分も名乗る。その様子に、テオドールは口笛を吹いた。
「都会のお嬢様は、男を跪かせて頭を下げさせんのが常識だって思ってるとばかり思ってたが……。お嬢様はそういうわけじゃねぇんだな」
「だからテオ! 何でお前はそういう口の聞き方を……! シェインディア嬢、申し訳ない。コイツも悪気があって言ってるわけじゃないんだ。許してほしい」
「あ、いえ。私は別に」
 カノンが手を振ると、カルディナは小さく息をついた。
「長旅でお疲れのところを、こんな所で引き止めてしまって申し訳ない。部屋を用意しているのでそちらへどうぞ」
 彼女がそういうと、数名の女性が出てきてそれぞれがカノンたちが持ってきた鞄を持ち、屋敷の奥へと案内をする。今回の旅で一緒に着いてきてくれた人たちとは、どうやら寝床は別々らしい。ルーベが側にいればそれはそれで一向に構わないカノンであるが、見知らぬ土地というのは否応なく身体を緊張させるものである。
 部屋に通され、侍女たちが下がるとカノンもルーベもようやく一息ついた。
「気さくな方ですねカルディナ様も、テオドール様も」
「ああ。悪い奴らじゃない。むしろ、話いかんによっちゃあオレたちに手を貸してくれるだろう。嫌われてないのが救いだな」
 騎士団長の証とも言える外套を脱ぎながら、ルーベは言葉を紡いだ。本来であれば、侍従や侍女を従えて来ているだろうが今回、彼が連れてきたのは最小限の供だけ。カノンも、ルイーゼを初めとする侍女を屋敷に残してきた。
 郷に入れば郷に従え。向こうもこちらを客人としてもてなしてくれるだろうが、自分のことは自分でやれという態度だということは見て取れた。ちやほやされるのが当たり前だと思っている貴族には、信じられない待遇だろう。けれど、彼女たちはそれを気にする理由などなかった。
「あ、申し訳ありません。お手伝いもせず」
「カノンにそんなことさせるつもりはないから。座ってろよ」
 長椅子に腰をかけていたカノンが腰を上げると、ルーベはそれを言葉で制した。彼とて、彼女を侍女代わりに連れてきたわけではない。彼女が腰を再び椅子に下ろすのを見ると、ルーベは満足そうに笑った。
「……滞在中に、何も起きなければ良いですね」
「むしろ何かが起こってくれたほうが望ましいんだがな」
「起きる事態が、ルーベ様にとって最良の事態になるとは限りません」
「シャルと同じ様なこと言うなよ」
「シャル様にルーベ様がご無理をなさらないように、よく見張って置くようにと言われておりますから」
 カノンがにこりとそういうと、彼は天を仰いだ。
「お前ら、妙なところで結託してるのな」
「当たり前です。ルーベ様の身を案じているのは私もシャル様も一緒です。……そんなものが危惧だということも知ってますが」
 むしろ、心配をするだけ失礼なほど、ルーベが凄い人物だということも知っているが。今回、ルーベが護衛として連れてきたのは、ジェルドとヴァイエルとフェイルだった。三人とも人当たりがよく、自由都市の人間とも折り合いがつきやすいだろうということで連れてきた。
 そして万が一、何かが起こったときに十分に対応できる人物であることを踏んでの人選でもあった。
「何かは起こるだろうが、オレたちに不利な状況にはならないさ」
「勘、ですか?」
「ああ」
 嫌なほど、ルーベの勘は当たると、彼を知る人間は言う。その勘がどう転ぶかはカノンには分からない。想像にも及ばない。だが。彼女が一人で思考の海に沈んでると、堅苦しい正装を崩したルーベが大きく息をついた。
「でもま、近い未来のこと悩むより、目下の問題を考えようぜ」
「え?」
 その声に顔をカノンが顔を上げると、ルーベは少し困ったように前髪をかきあげた。
「寝台がでかいとはいえ、一台しかないのは流石に困るだろ? お前が」
「……あ」
 言われて初めて気づいた事実に、カノンは琥珀色の目を見張った。確かに、婚約者、引いては未来の騎士団長夫人としてもてなされているのだ。恋人と同じ部屋にされるというもの不自然な話ではない。
 けれど、二人の胸のうちにどのような思いが秘められていようとも、今二人の関係は周囲が思っている甘いそれではない。カノンも思わず片手を口元に寄せてしまった。
「まあ幸い長椅子もでかいしな。オレはこっちで休むから、カノンは寝台で……」
 その言葉に、カノンは首を横に振った。
「言われると思いましたが、絶対駄目です」
 真顔で頑なともとれるような言葉を返すカノンに、ルーベも負けてはいなかった。
「オレもお前がそう言うと思ったけど、一緒に寝るわけにはいかないだろう?」
 ルーベの淡々と真実を述べ声に、彼女は言葉を詰まらせる。確かに、とも彼女は思う。ルーベのことは嫌いではないが、同じ寝台で寝るということには抵抗がある。
 だからと言って、ルーベを長椅子で寝かせるなど、彼女の中では言語道断。数秒、あるいは数十秒であったかもしれない沈黙を生み出したカノンだったが、最終的な結論は一つしかないと腹を決める。
「ルーベ様はお嫌かもしれませんが、寝台も大きいことですし、こうなったら同じ寝台で寝てしまってもいいのではないでしょうか?」
 膝の上に乗せている手をきゅっと握って、彼女は言った。その言葉に、一瞬面を食らったルーベだったが、突拍子もないことを言い始めた妹をたしなめる兄の心境で彼女と向き合い、言葉を紡いだ。
「……カノン」
「はい?」
「お前、それ、本気で言ってる?」
「嘘で言える言葉じゃないと思いますが」
「そりゃそうだな」
 ルーベは偏頭痛がしてきたような錯覚に襲われる。こめかみに手を当てながら、至って平静に見えるカノンと対面し、次の言葉に悩んでいると、彼よりも先に彼女が言葉を口にした。
「ルーベ様にご迷惑をかけないように致しますから! ここで何かあっては、私シャル様にあわせる顔がございません」
 そういう問題じゃないだろう、と思いつつも、ルーベとしてはこれ以上言葉を挟める余地はなく、かくしてルーベにとっては近い未来に起こるであろう何かより、目先の問題の方が大きく圧し掛かってくるのであった。


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