1.壇上で演ずるは


 この日、シレスティア帝国では帝国史上初の快挙が起こっていた。机につく数多の軍人たちの中に混じった一人の少女。魔力を用いる戦士であれば、多少体躯が他の軍人と劣っていても問題はないが、彼女は違う。
 ルーベ・フィルディロット・ライザードの未来の妻の座を約束された少女が座っているのだ。無論、公の許可はある。しかし古参の軍人たちにとっては、なぜ役にも立たない女がこの会議に参加しているのか、と言うことにしか焦点を当てることが出来ない。
 とうとうルーベが色狂いをし、公私混同を始めたとさえ俄かに囁かれている。カノンにとって居心地はこの上なく悪い場所であるが、ここが彼女に与えられた「場所」なのだ。最も、ルーベとしてはこんな場所にカノンを引きずり出したくはなかったのだが。
 カノンは薄く化粧を施し、普段はふわりと下ろしている亜麻色の髪を、纏め上げ、髪一筋も乱すことのない高い位置で綺麗に結び上げている。髪留めも僅かに宝石を散りばめた品の良いものを使っており、深窓の姫、という印象よりも敏腕の文官という印象をより一層強めていた。
 そして何より、外見だけでなくその佇まいだけでも人を圧倒する。口を開けばボロがでると思っていた古参の軍人たちも、カノンの言葉に上手い反論を見出すことが出来なかったのだ。
 最近また市民からの税の取立てが上がり、この世界に訪れた頃の町の賑わいは確実になりを潜めている。それに対して貴族たちに対する特権が皇帝の名の下に与えられ、彼らの煌びやかさと絢爛さは日々増していった。カノンも「騎士団長の妻」としてお茶会の席や舞踏会の席に誘われることも多かったのだが、参加する気になど当然なれるわけもなかった。
 数度足を運んだお茶会と称される物は所謂「社交界の場」最初の頃こそ、カノンもその雰囲気にのまれその空気に緊張していたが、今ではそんなことなどない。優雅に、笑顔で言葉を交わし、軽やかに去っていく。貴族たちのいなし方を覚えていった。
 ミリアディアから言わせれば処世術の一つで片付けられてしまうのだが、これはカノンにとっては舞台だった。壇上で、一人の貴婦人を演じていることに近かった。
 自分の評価がルーベに直結することを正確に理解もしていた。だからこそ、笑顔に、動作に失敗など許されない。……それはどこの舞台に立っても同じであるのだが。
 
 今日の会議の議題は自由都市ディジー・アレンに対する扱い、要は自由都市として事実上、独立しているこの都市の名目である“自由”を剥奪し帝国の完全な支配下に置こうというものである。
 それには騎士団長であるルーベ、軍師であるサナンは反対している。当然カノンもである。しかし、軍務省の長官を始めとした名のある人物はこれに意欲的な見解を示している。
「今更ディジー・アレンを攻めて何になる?」
「奴らは恐れ多くもこのシレスティア帝国からの独立を示唆するような声明を何度も我等に送りつけておるのですぞ!? 今ここで我らを誇示しておかねば、厄介なことにあせなりかねませんぞ!」
「その通りですな、私もその意見に賛成です」
「私もです」
 国の政を担う者達は、ルーベの冷ややかの声に気付かずに言葉を荒げて力説していく。
「攻めるにしても、それ相応の大義名分が必要でしょう。今我らが攻めたところで、正義はない。そんな無駄な戦をするだけ人と時間と金の無駄だと、私なんかは思うんですけどね」
 厳粛な空気を意図的に壊すように、サナンが溜息をつくと、クスリと小さく空気が揺れる。
「大義名分が必要であるならば、それは皇帝陛下の御心を騒がせた罪で十分でしょう。最近の彼らの要求は確かに不当なものが多すぎる。少し脅す程度は必要ではないかと常々私も思っているところでしたよ? レヴィアース卿」
「クロイツェル卿……」
 やんわりとした穏やかな、低く深い声が会議室に静寂を招く。自らが招いた静謐など物ともせず、にこりと笑った男はルーベと同じく、若くして、省の長に立つ男。軍務省の責任者である彼の名前はヴィルター・ロッシュ・クロイツェル。
 白銀色という珍しい髪に、紫水晶の瞳を持つ男は、今年で齢三十を数える。年齢相応の顔つきとは裏腹に、纏う奮起は人を寄せ付けない何かがある。しかしそれでも、一目を引く端正な顔立ちに女性たちは淡い溜息を付き何とか彼の気を引こうとしている。
 カノンも数度彼の名前や姿を見聞きしたことがあるが、このような席でこのような近くで顔を見るのははじめてであった。確かに魅力的な男性だとは彼女も感じていた。しかしどこか得体の知れない雰囲気は拭い去れない。
 この感覚は直感に近いものである。このような感情を抱くことは彼にとって失礼なのかもしれない。だが、カノンにとってこの手の直感は自分でも嫌になるぐらい当る。彼女は膝の上でぎゅっと両手を握った。
「確かに最近収めている税の額を渋ってみせたり、あの辺りで盗賊紛いのことをしている輩もいると聞いているが、だからと言って兵を出すほどのことではないだろう?」
「そうでしょうか? あまり甘い顔をしていると取り返しの付かないことになるかもしれませんよ?」
 一瞬、室内の空気の温度が下がったような感覚に、彼ら二人以外の人間は襲われた。歴代の軍務省の長官と、騎士団の団長と言うのは折り合いが悪いとは聞いていた。聞けばエルカベル帝国時代もそうだったという。噛み合わない、平行線を辿る同じ軍に携わる者の会話は静かであるはずなのに、どうも恐い。
「ならば私が兵を率いて討伐に当りましょうか?」
「軍務省長閣下殿にご足労願わなくとも、いざとなればオレが出る」
「そのいざと言う時が今だ、と今話しているばかりではありませんか。騎士団長殿」
 彼らの声が響くたびに、空気が壊れていくような音が聞こえる気がしていた。それはきっとカノンだけではないだろう。
「では、シェインディア嬢にもお聞きしてみましょうか?」
「……え?」
「貴女はどうもいますか? 別に私たちは自由都市ディジー・アレンを攻撃しようというわけではなく、警告を行おうと思っているだけです。しかしそれすら貴方の婚約者殿は反対なさる」
 優しく笑ってそう問いかけるヴィルターにカノンは一拍間を置いてから唇を開いた。
「私も、騎士団長と同じ意見です」
 そうすると、今まで静まり返っていた人間たちも俄かにざわめいた。やはりそうか、といった嘲笑交じりの声の中、毅然とした態度でカノンは続けた。
「確かに、昨今の彼らの様子はあまり良い態度ではないかもしれません。しかし彼らは盟友。皇祖帝の力にもなった彼らに対して礼を失するようなことをするのは……。現時点ではまだ早いと思います」
「……なるほど」
 ヴィルターは顎に手をかけながら笑った。貼り付けたような笑みではなく、それは女性を魅了するには十分すぎる威力を発揮するものであるはずのものである。だが、カノンには通じない。
「手遅れになってからでは遅いといっているだろう!!」
「時期尚早、と言っているんです」
 第三者の介入に、カノンはすぐにぴしゃりと返した。
「カノン」
 見事な切り替えしで、サナンなどは内心拍手をしていた。ルーベは苦笑を浮かべるのを堪え、嗜めるように彼女の名前を呼んだ。
「……申し訳ありません、過ぎた口をたたきました」
 カノンは頭を下げて謝罪をした。
「いや、いいんですよ? 正直に、忌憚のない意見を言っていただけた方がいいんですから。騎士団長殿もあまり神経質にならずともよいのではありませんか?」
 この場には不釣合いなほど穏やかな声で紡がれる声に、カノンは純粋に恐怖していた。
「おや、いつの間にか時間が経ってしまったようですね」
 一人の男が窓の外を見てこの何とも言えない雰囲気に終止符を打とうと試みた。恐らく誰もがこれ以上の会議の続行を望んでいなかっただろう。
「そうですね。これ以上話していても議論は平行線を辿るだけでしょう。……今日のところは保留と言うことでよろしいですか? 皆さん」
「え、ええ」
「そうですな、またこれについては議論を重ねましょう」
 口々に、何かの呪縛から解放されたように言葉を発しだし、先ほどまでの静寂が嘘のように室内はざわめき出す。
「えーでは、今日の会議はここまでと言う事で」
 司会のように一人の男が言って、そそくさと立ち上がるとそれに習って幾人の男たちが立ち上がり席を後にしていく。その様子を見ながら、カノンは小さく息をついた。
「シェインディア嬢」
「え、あ、はい! 何でしょうかクロイツェル卿」
 カノンとは対面側に座っていた彼がわざわざ回って、彼女が座っている席の側までやってきた。後ろから声をかけられて彼女の肩がびくりと跳ねる。
「そんなに警戒をしないでください、何もしませんよ」
「も、申し訳ありません」
 カノンは椅子から立ち上がり、深々と頭を下げる。
「そんなに緊張をしなくてもいいですよ。……貴女の今日の発言はよかった。確かに時期尚早に感じましたからね」
「ありがとうございます」
「騎士団長殿が羨ましい。こんなに美しく、才に恵まれた方が婚約者でいらっしゃるなんて」
「そんな……」
「ご謙遜なさらないで下さい。……それも貴女の魅力の一つなんでしょうね」
 ヴィルターは恭しくカノンの手を取り、そっと口付けた。
「式の時には、最高の一品を献上させていただきますよ。貴女は帝国一の花嫁になるでしょう」
「……うちのカノンに何か?」
 ちょうど彼が彼女の手を取り、その甲に口付けた時、他の人間に捕まっていてようやく解放されたルーベがヴィルターに地の這うような声で声をかけた。
「いえ、ちょっと今日の会議の内容について話し合いをしていただけですよ? あまりそのような恐い顔をしているとシェインディア嬢が脅えてしまいます。折角の美形が台無しだ」
「それは、ご忠告感謝します」
 ヴィルターとルーベの間に立つ形になってしまったカノンは身動きがとれず、どうすることも出来ずに立ちすくんでしまっていた。その様子は視界の端にとらえた彼がクスリと笑い、軽くカノンの肩に触れた。
 そして耳に口を寄せて甘く囁く。
「今回は邪魔が入ってしまったのでこれで。いずれお茶でもご一緒してください」
 そう言い残すと彼はするりとルーベの脇を抜けて、部屋を後にした。この会議室に残っているのはルーベとカノンだけ。サナンさえ、今は会議室の外で何か雑談を交わしているだろう。
 会話がないため、しんと静まっている会議室内で、カノンはなぜか心拍数を上げていた。別に、ヴィルターと何を話していたわけでもなく、やましい会話も交わしていない。にもかかわらず、なぜか後ろめたさを感じてしまっていた。
 何も言わないルーベが怒っているかもしれない、と思うと緊張するなと言うほうが無理な話である。会議中のほうがよっぽど気が楽だった、と思う彼女にルーベが声をかけた。
「え!?」
「だから、大丈夫かって。あいつに何か言われたりしてないか?」
「あ、はい。会議中のことと、あと、ルーベ様との結婚のことを、言われました」
「結婚のこと?」
「はい。それ以外は何も」
 ルーベはくしゃりと前髪に触れて大きなため息を付いた。リファーレに切られて以来、短いほうがさっぱりしているという理由で、簡単にひと括りに出来る長さ程度にしか伸ばしていない彼の赤みの強い茶髪が揺れる。
「あの、ルーベ様?」
「ん? ああ、何でもない」
 つまらない危惧をして、つまらない嫉妬をしているなどと夢にも思ってないカノンは彼の様子を伺う。そんなカノンに彼は声をかける。
「カノン、あいつには気をつけろよ?」
「……はい。そのつもりです。何か、得体の知れない雰囲気がありますものね」
「ああ。昔っからあいつはきな臭い奴だったからな」
「はい!」
 ルーベが機嫌が悪かった理由が自分が何か粗相したことじゃないとわかって、ほっとしたような笑みを浮かべて返事をした。当然、ルーベの気持ちなど知る由もなく。



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