序 風切り羽を切り落として


「……で?」
「何すか?」
「どォして、この部屋にあたしと貴方しかいないのかしら?」
「さぁ?」
「だって、招集がかかったじゃない? あたしの聞き間違い?」
「正直者が馬鹿を見るご時世ですからね。それに、基本的に俺たち自由人っすから、自由にしてるンじゃないっすか?」
「……真面目に生きてるが馬鹿らしくなる回答ありがとう」
「いえいえ、姐(ねえ)さんの役に立てて嬉しいっすよ」
 広々とした部屋の中にあるのは、床や天井が水晶の如く輝いているからに他ならない。それ以外は、四方を闇色に塗潰された部屋。そこは古に失われたはずの漆黒の部屋だった。今あるはずのないその部屋にいるのは、確かに人の気配がする。闇に慣れた瞳でしか、判断することが出来ないぐらいに、部屋にいる人物たちは闇と同化していた。
 身を飾る服装が白と黒の色彩のみで構成されている女性が、漆黒の壁に真っ白な手を触れながら立っている。季節を感じさせない素材のドレス、というよりもそれはワンピースに近いそれは、侍女服にも似ていた。
 胸を強調した作りになっている上半身の、胸部にはふんだんに網目状の透かし模様があしらわれており、裾には緩やかにひだが波打つ。腹回りは雪のように白い絃で編み上げられており、腰はこれ以上きつく結べないというほどがっちりと白地に僅かに赫で刺繍が施されている装飾の布が巻かれていた。いずれにせよ彼女が今身に纏っている服は、これ以上ないほど女の身体を強調させるものである。
 膝より拳ひとつ分ほど高いところからすらりと伸びた脚は素足で、足首より上のところからまるで薔薇の蔦のように絡まる漆黒の紐とそれに繋がる底の厚い靴は、それだけで彼女の下半身を扇情的に彩っていた。彼女が一歩歩くたびに、踵の音が漆黒の闇に反響する。
 仮面のように作られた顔、彼女の顔で化粧が施されていない箇所はない。大きな紫紺の双眸は、僅かに怒りを孕んでいた。瞬きをするたびにバサリと音を立てそうな長い睫、瞼さえ彩られ、唇は深紅に一滴黒を混ぜたような毒々しい色合いである。
 爪も病的な赤に染め上げられている。黄金色の髪は前髪は眉辺りで一直線に切りそろえられ、左右の髪は段になるように徐々に長く切りそろえられていて、一種独特の雰囲気を醸し出していた。
 それでも、彼女の魅力は消えることなくその蠱惑的な雰囲気は人を、男を魅了するだろう。
 もう一方は男。しかし、女性に比べて幾分も薄い印象である。最も、彼女と比べてしまえば大半の人間の印象は薄くなるだろうが、彼はその上を行く。椅子に座っている彼は、酷く虚ろな表情だった。
 生気をまるで感じさせないような彼が、黒に白の刺繍の施してある騎士が休日に身に纏うような簡易な服を着ていても、細すぎて威厳が全くない。
 まるで針金のような痩躯である。手入れのされていない亜麻色の髪をいい加減に緩く結んでおり、うざったく伸ばされた前髪から覗く赤褐色の生き物としての輝きが感じさせない何かがあった。決して整った顔立ちでない顔に、片眼鏡をかけた青年は、その身体を折って机の上に自らの頭を預けた。
「どォしたの? 元気ないわね」
「俺、基本的にいつもこンな感じっすよ?」
「そォかしら? あたしが知ってる坊やはいつも嬉々としてたから」
「そりゃ趣味に走ってりゃ誰でも嬉々としますよ」
「最近仕事がなかったものねェ」
 女はわざとらしく片手で頬を押さえ、小首を傾げて見せるが男は何ら反応を示さず淡々と言葉を紡ぐ。
「ええ、そりゃもう。辟易する毎日で」
「そォ? あたしはお人形作りに精を出してたわ」
 うっとりとしたような表情で呟いた女に、彼は力なく答えた。
「そら、姐さんは行動に制限がないからいいじゃないっすか」
「貴方が危険すぎるのがいけないのよ」
「姐さんだって充分悪癖持ってるじゃないっすか」
「あらァ、人聞きの悪いこと言わないで頂戴」
 話すのも疲れたという態度の男に対して、女はクスクスと笑う。年齢的には二人にさして大差はないように見えるのだが、彼らには年齢の壁を感じられるようであった。男よりも若干若く見える女の方が、どうやら年上であるらしい。

「ヴィオラとスヴェンしかいないのかい? 相変わらず出席率の悪い事だな」
 扉のない天井も床も壁も机も椅子も何かもが漆黒で塗潰された部屋に、二人の声以外の音が響いた。白銀色の髪が闇色の世界で、淡く光り、紫水晶のような双眸は元々この世界にいたかのように正確に、闇に浮かぶ二人を捉えていた。騎士服の正装で身を固めた人物は、ため息を付きながら言葉を紡ぎ上げると、女は心外だ、といわんばかりに反論を口にする。
「……貴方がそもそも時間を守らないから、部下たちがいい加減になるんじゃないかと思うのだけど?」
「これでも忙しい身分だからね。今日も会議が行われているんだ」
「それを言い訳にされても困るわ。あたしだって忙しいのよ」
「すまないと思っているよヴィオラ」
「もォ、いつもそれね貴方って人は」
 しょうがない人、と女性、ヴィオラは艶やかに笑った。
「気分はどうだい、スヴェン」
「相も変わらず何もする気が起きないっす」
「結構」
 満足に男はうなずいた。闇色で塗潰された椅子に優雅に腰をかけた。
「旦那は相変わらず人が悪い」
「何を言ってるんだスヴェン。君を野放しにしていたら、私に迷惑がかかるだろう? 奴隷の尻拭いはごめんだ」
「……殺されそうだったのに拾ってもらった恩は感じてますから、言うことには従いますけどね。そろそろ体が腐り始めそうっす」
 スヴェンはやる気なさげに言葉を紡ぐと彼は不敵に笑った。
「そう言うな。……歓べ、仕事だ」
 男がそう言うと、スヴェンは気だるげに身体を起こし、ヴィオラ両手を叩いて喜んだ。
「あたしたちも出ていいの? 命令通り、あたしのお人形はもう仕込んであるけど、それで終わりかと思ってたわ」
「仕事じゃなければ、召集なんてかけないよ」
「それもそォよね。ああ、嬉しい! あたしはあの『鍵』のあの子がいいのに。でも、駄目なんでしょォ。残念」
 両手を合わせて首をかしげてみせるヴィオラの双眸は怪しく光、揺れる。
「スヴェンは『獅子』かしら? 狩りたいって、前々から言っていたし」
「あー……そっすね、壊すなら、強い方がいい」
 今まで生気の欠片さえ感じられなかった彼の双眸に、闇の輝きが宿る。
「でも、一番美味いところは旦那に譲るのが奴隷の役目でしょう。俺は『月』でいいっすよ。一番、強い『月』ならね」
「あァ、それもいいわねェ。『月』も『鍵』も、とても綺麗。私のお人形に充分なりえる子たちだわァ」
 うっとりと音を奏でるヴィオラの頬は薄く朱に染まり、スヴェンは肉食獣のような笑みを口元に浮かべる。そんな二人を見た男も浅く笑う。
「あまり先走るなよ。全てはわが君のため、だ」
「心得てますわ、総帥。あたしたちはわが君のためのお人形ですもの。わが君が望まないことなんてしないわ。意味がないもの」
「ヴィオラ、今の私は総帥じゃないよ」
「同じことよ。いずれにせよ貴方は『率いる者』でしょう」
「そうっすよ。旦那はそのどちらにも抜擢されてるンすから、いいじゃないっすか」
 彼らの言葉に、彼は苦笑を禁じえない。
 皇祖帝の時代、それまで皇室の手足となって働いていた暗部は解散させられ、暫く歴史上にその言葉が浮かぶことはなかった。しかし、煌びやかな表舞台を彩るためには、表に出せない負の部分を処理する必要がどうしても生まれてくる。彼らはまさしく負の申し子。
 消えた暗部は、こうして再び時代によって命を育まれた。そして今もまた、怪しげに胎動し始める。彼らは、四玉の王の御心にさえ歯向かうことになろうとも、その命が尽きるまで主の命に従い、破壊と崩壊をもたらす闇の人形。繁栄を極める帝国の影を一心に担う者たち。
「あの『鍵』の子、わが君がいらなくなったら、あたしに下賜してくださらないかしらァ。壊して犯して晒して、あたしの新しいお人形にしたいの」
「……全てが滞りなく終わったら、わが君への口添えしてあげよう」
「だから総帥は好きよ。楽しみしてる」
 ヴィオラは歓びを全身で表すように、くるりとその場でまわって見せた。ふわりとスカートの裾が揺れ、白い足が露になる。
「それで、旦那。俺らはいつまで待ってりゃいいンすか?」
「そうだな。崩壊の鐘が打ち鳴らされた時まで、とでも言っておこうか」
「まぁた、まだろっこしい言い方で」
 スヴェンは力尽きたといわんばかりに、頭を再び漆黒の机に預けた。
「その時には、お前を解放してやる」
「そりゃぁありがたい。この状態で『月』とやっても勝てる気がしないっすからね」
「解放してやったら?」
「……その瞬間が永久に続いて欲しいと切望する程度には、愉快で愉快な演舞を舞い続けることが出来るでしょうよ」
「期待している」
 闇人形たちは各々の思いを胸に、暗躍の日を心待ちにしていることを確認した男は、立ち上がった。
「えェ、もしかしてもォお帰り?」
「言っただろう? 会議がある、と」
「でも、仮初の彼、が出席してるんでしょォ?」
「ああ、お前が気に入っている『鍵』とも今日は一緒だ」
「まァ羨ましい! ずるいわ」
「そう言うな、その日は近い」
 予言めいた、確信を口にした男はばさりと外套を翻して見せた。
「それまで、気付かれないように。気付かれては元も子もない」
 彼の口ぶりはまるで年の離れた妹弟を嗜めるようなものであった。
「はァい。気をつけるけど、『月』の嗅覚は半端ないんじゃなくて?」
「それはそれじゃないっすか? それぐらいやってもらわなきゃ、こっちも面白くないでしょう?」
「それもそうね」
 二人は浅く、穏やかに笑ってみせる。彼らは表舞台の『剣』である騎士団とは一線を画す存在であり、ただ皇位の正当なる継承者のためだけに生きて死ぬ傀儡である。例えそれが、四玉の王の御心に逆らうことになろうとも。任の遂行のためならば、労は惜しまない。しかし、あまりにも単純ではつまらないのだ。心行くまで踊って、相手を巻き込み、世界を踏みつけながら、破滅の高みへと昇り、絶望へと突き落とす快感を感じなければ、悦ぶことが出来ない。
 彼は二人を横目で見やると、踵を鳴らした。それを合図に、四方を闇に色に彩られた窓も扉もない部屋が霧散する。それは星の残光のように輝きながら散っていくのだが、闇色の欠片は地面に残りさえしない。初めからそこには何もなかった。世界は彼らの存在を認めていないというように。
「それでは、総帥。また後ほどお会いしましょう。光がまぶしすぎるので、あたしは一足先に姿を隠すわ。ええ、いつも通りに」
「ああ」
「小鳥たちのさえずりを聞きながら、風切り羽を切り落とす日を、楽しみにしております」
 わざとらしく改まった口ぶりでそう言うと、音もなく、ヴィオラが消える。その場に残されたのは、二人の男。
「風切り羽を切り落とされた鳥なんて、無様に地面を這い蹲ることしかできねぇ。生きる意味も存在理由もなくしたもんに俺ぁ興味持てねぇっすけど、姐さんはそういうの御所望なンすよねぇ」
「そういうな、人の趣味はそれぞれだろう」
「そうっすけどね」
 スヴェンはわざとらしく肩を竦めて見せると、改めて口を動かした。
「さぁて旦那、俺ぁどうしますか? 姐さん一人が呼びかけに答えた場合の暇つぶしって任務は終わりですよね」
「ああ、もう用はない屋敷に戻れ」
「へいへい。あ、他の連中への連絡もしておいた方がいいっすか?」
「お前にしては気が回るな。任せた」
「了解しました」
 スヴェンも恭しく、というよりも面倒臭げに社交辞令の域を一歩も出ないような動作で頭を下げ、姿を消した。その時に生じた闇色の風は、生温く彼の頬を撫でたのだった。


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