13.剣が選びし者


 カツンカツンと踵をならしながら、サンティエは彼等に近づいてきた。いつもなら、側にいるはずのマハラを伴わずただ身ひとつで現われて見せた。そのことに、カノンは純粋に驚いた。今、ルーベがこの剣を持って彼を切り捨ててしまうと言う可能性だって考えられるというのに、と。
 サンティエは浅く笑った。
「ディオ」
「……はい」
「お前も歴史の変わり目の舞台に立つ栄誉を受けた身ならば、わきまえろ」
 低く低く、闇から這い出てきたような声を発した父に、息子は身体を竦めるばかりである。叔父と父親に同じことを言われ完全に彼は言葉を失う。
 身体を半身翻し、ルーベはカノンを抱えたまま、横目でサンティエを睨みつける。そんな弟を、彼は喉で笑った。
「あの時は、我も貴様も剣に触れることしか出来なかったな」
 ルーベは彼の言葉に答えなかったが、脳裏には、当時の記憶が鮮やかに蘇っていた。幼い頃に触れた剣。それは僅かな拒絶の力を我慢すれば、柄には触れられた。二人の皇子はそれに触れた。しかし互いに剣を抜くことは出来なかったのだ。この剣を。




「兄上なら、この剣を抜けると思ったのに」
「どうしてだ?」
「だって、兄上は次の皇帝になるではありませんか。そうしたら、この剣は兄上の物になるでしょう?」
 屈託の無い笑顔でそう告げる弟に、兄は浅く笑って見せた。笑って見せただけで彼の問いには答えなかった。皇帝になれば、全ての権力と力が手に入る、ということはないと彼は確信していた。この剣も、相応しい者を選び、剣を震わせるのだろう、と。
 それは自分ではないことを、このときすでに彼は気付いていたのだ。




「……私の婚約者がこのような所まで来るとは思っておりませんでした。申し訳ありません、あとでよく叱っておきます」
 ルーベは腕の中に収めていたカノンをそっと離し、彼に跪いた。血を分けた兄弟といえども皇帝と騎士団長なのである。カノンから受け取った『ラグナ・フォール』を自分の前において、サンティエに頭を垂れる。
「頭を上げよ、ルーベ」
「はい」
「その剣を抜いてみよ」
 しん、と静まり返った室内でサンティエの低い声だけが響く。はっと顔を上げたルーベに、彼は浅く笑ったままの表情で言う。
「聞こえなかったか。剣を抜け、と言ったのだ」
 ルーベは信じられないような表情を一瞬したあとに、平静な顔に戻す。そして彼はゆっくりと、その文様の刻み込まれた剣に手を触れた。先ほどと同様に拒絶されることはなかった。幼い頃はここまでしか剣に認められなかった『ラグナ・フォール』が、嘘のようにすんなりと、刀身を白日に露にした。
 その力強さに思わず息を飲む。曇りもなく、数多の屍を生み出した剣とは思えないその美しい刃にルーベは目を奪われた。それは間近で見ていたカノンも息を飲む。人を殺める剣とは思えない、宝剣と言う名に相応しい剣。
 カノンとルーベの背後では、さらにクラウディオたちも息を呑んでいた。皇祖帝の時代から抜かれることの無かった剣が再び晒されたのだ。無理もないことではあるのだが。
 サンティエはクツリと笑って見せた。
「ルーベ」
「……はい」
「その剣を、貴様にやろう」
 一瞬、この屋敷内の空気が凍った。彼が何を言ったのか、聴覚で捉えることは出来ても頭で理解することが出来なかった。
「陛下?」
「貴様は物事を二度言わねば理解が出来ぬのか?」
 ルーベを鼻で笑うように彼は言う。それは彼が、間違いなく『ラグナ・フォール』を下賜したことを示していた。
「よ、よろしいのですか父上! 『ラグナ・フォール』はこのライザード家に伝わる代々の宝剣! 皇祖帝がお使いになられた剣は、皇帝である父上が持つに相応しい物であるはず!!」
 声変わりし切れていないクラウディオの悲痛な声が室内に響き渡る。その声に、サンティエは不快そうに眉間に皺を寄せて見せる。聞き苦しいと言わんばかりの彼の表情に、息子はまた萎縮する。
「お前はどこまで愚かだ?」
「っ!」
「理由を求めるなら、答えてやろう。剣は人を切ってこその剣だ。飾られ、祀られ、朽ちるのを待つことなど不毛であろう?」
 サンティエの声には、不思議な響きがあった。それはまるで、何かを、自分を自嘲しているようカノンは聞こえてしまっていた。
「ですが!」
「まだ足りぬか?」
 先ほどとはまるで違う、冷たい怒気を孕んだ声にクラウディオは完全に言葉を失ってしまう。
「貴様とて“ライザード”の血を引く者。その剣を振るう資格は充分にあろう」
 もうこれ以上言うことはないといわんばかりに、先ほどまで息子を見ていた藍色の瞳がルーベを射抜く。彼も、決してサンティエから目を離さない。
「……何を、考えていらっしゃるんですか?」
 ルーベはあえてこの言葉を口にした。すると彼は、おかしそうに笑った。
「何故、我がそれを答えなければならぬのだ?」
 そう言うと、彼は今度はカノンの方を向いた。咄嗟に、ルーベは彼女を庇うように半身をずらす。しかし、彼はカノンを見やっただけで何も声をかけることもせず、また何もせずに鼻で笑うだけであった。
 彼にとっての余興はこれで終わった今回の出来事は、剣が使い手の手に戻った、と。ただそれだけのことである。それでも確実に歴史は動いている。それは彼にとって喜ばしいことであった。
サンティエは静かな動作で彼等に背を向けると、再び天井に踵の音を響かせながら出口へと向う。今下賜したばかりの剣で、背後を強襲されるという危惧さえせず。
 彼の姿が消え、踵の音が完全に消えてから、今だ抜刀したままのルーベにカノンは声をかけた。
「……ルーベ様」
「ん? あ、ああ」
「驚きましたね」
「……ああ、色んなことにな」
 ルーベは剣を鞘に収め立ち上がると、カノンと向き合い、彼女の額を指で突付いた。よもやそんなことをされると思わなかったカノンは驚いて、突付かれた額を両手で押える。
 彼は困ったような笑みを浮かべて唇を動かした。
「勝手に出歩くなって、言ってるだろう? ルイーゼやカズマが見てて、一瞬騒ぎになったんだぞ?」
「す、すいません。……用が済んだら無事に帰すと言われたので、大丈夫だと思ってついてきてしまいました。でも、何もされていませんし、大丈夫ですし!」
「そういう問題じゃないだろう。 ……あんまオレの肝を冷やすようなことしてくれんなよ」
 心配そうな表情でそういうルーベに、カノンは少しだけ頬を染めた。
「すいません」
「分かればいい」
 そういって二人は微笑み合った。
「じゃあ、帰るぞカノン。ルイーゼが心配で半狂乱になってる」
 カノンはその様子が簡単に想像出来てしまって、少し困ったように笑った。右手でしっかりと剣を握り、左手で彼女の手を取った。
「あの、ルーベ様」
「何?」
「ディオ様たちは……」
 彼等を気にする素振りをみせるカノンに、ルーベはきっぱりとした口調で言う。
「放っておけばいいさ。クレイアがいるんだ。どうにでもなるだろう」
「シャーリル様は?」
 次に気になるのは、彼の腹心が今この場にいないことである。サンティエもマハラを伴っていなかったことに対する違和感にも勝る、ルーベの傍らに絶世のレイターがいないことに対する違和感。すると今度はさらりと彼は言った。
「ん? アイツ? きっと今頃この部屋の前でマハラとにらみ合ってんじゃねぇか?」
「え?」
 ルーベの言葉に、カノンは目を丸くした。
「この部屋の入り口でな、兄貴たちがここに近づいてる気配があったんだ。だから兄貴たちの時間稼ぎを頼んだ」
 その言葉にカノンは思わず言葉を失う。
「足止めは無理だろう。相手は何ていったって皇帝で、そいつの腹心が相手じゃ。」
「カノンの側にオレが行くまでの時間稼ぎができればいいと思ってたからな。それだけの時間で十分だ。それじゃ足りなくて、きっとレイター同士でぶつかってんだろう」
「だ、大丈夫なんですか?」
「オレのレイターが、負けるはず無い」
 どこか誇らしげに、そしてはっきりとそう言った表情にカノンは少しだけ笑ってしまった。
「先に戻るぞ。もしかしたら、案外アイツのほうが先に戻っちまってるかもしれねぇな。そういうところ薄情だしなぁ」
「迎えに行かなくても、よろしいんですか?」
「ああ」
 何がどうなっているか、この時点でカノンは分からなかったがシャーリルを迎えにいく意思がないことだけは彼女にも伝わってきた。……もし、マハラと衝突することになったら無傷ではすまないだろう。
 万が一にでも傷ついていたら、その姿を彼女に晒したくないのかもしれない。ルーベが大丈夫と言うならば大丈夫と思いなおし、カノンは彼の手を握る手に僅かに力を込めた。


「……我が君の御用が済んだようです。私たちもこの辺りで終わりにしましょうか。これ以上は不毛でしょう」
「そうだね。別に僕はここで君と決着をつけてもいいけど」
「私たちの決着は、そう遠くない未来に必ずつけることが出来るでしょう」
「同感」
 宝物庫とされている部屋から少し離れた場所で、二人のレイターが対峙していた。シャーリルは腕に、マハラは顔に一撃ずつ傷を負っている。それぞれがそれぞれ、自分に与えられた命を遂行するために負った傷は、彼等にとって傷ではない。故に、痛みも感じていない。
 シャーリルはばさりと長い黒髪をかきあげると、マハラは血の滲んだ唇で笑みをかたどった。
「候補生の時から、貴方とはこうなるような気がしていましたよ」
「……奇遇だね。僕もそれはそう思ってたよ」
「私が我が君に出会ったときから」
「僕がアイツに出会ったときから」
 彼等は同時に言葉を紡いだ。同じ学び舎で時を過ごした“友”といっても過言ではない人物と、命の奪い合いをしなければならないのは酷と人は言うかもしれない。しかし、命を捧げた相手のために戦えるのであれば、それは悦びに変わる。
 風が吹く事で、緑が揺れる。冬の冷たい風のはずだがこの辺りは魔力で温度は調節され、春の風と変わらぬそれが二人の頬を撫でる。それは、幼い頃感じた風の温かさと変わらない。藍色と瑠璃色の瞳が重なった瞬間、二人はふと、表情を緩めた。
「……お先に失礼しますよ。我が君が私をお呼びなので」
 そういうが早いか、マハラはその場から姿を消した。そこに初めから存在しなかったように、風が吹きぬける。ざわざわという音を聞きながら、シャーリルは破れた服から覗く傷口を塞ぎにかかる。そうしながら、彼は無言でただ綺麗な蒼天を見上げてため息をついた。
 いずれ、来ると思っていた未来が近づいたことを肌で感じたのだ。
 剣は、間違いなくルーベの手に収まったであろう。遥か昔、四玉の王である紅玉の王が振るっていたといわれる『ラグナ・フォール』は主を選ぶ。
サンティエやましてやクラウディオが、いくらライザードの血を引いていようと剣が認めるとは思えなかった。『鍵』を得、『剣』を得た彼に歴史は何を囁いたのだろうか。その場に居合わせられなかったことは、シャーリルにしても、マハラにしても多少心残りではあった。
 傷が塞がると、シャーリルはもう一度小さくため息をついて一人ごちた。
「アイツも、カノンを連れて戻ったかな?」
 万が一にも大きな怪我を負った場合、その姿を彼女が見ることになれば彼女が気落ちしてしまうのが目に見えていたため、二人は入り口で分かれ、屋敷で再会することをすでに決めていたのだ。この辺りにすでに、ルーベたちの気配はない。
 自分の役割を全うしたことを改めて確認すると、彼も屋敷へと向かった。数百年ぶりに白日の下に晒された刀身を、主が抜刀する姿を見ることが出来ることへの期待を決して表情出さずに胸に秘めたまま。


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