7.王の名を欲する者


 一言で言えば、それは豪華絢爛。一度来た場所であるはずなのに、カノンは思わず大口を開けて見上げてしまいそうになるのを精一杯の自制心で抑える。夜空の満天の星に負けないほど光に満ちている城。その城へ向かう道中、馬車の窓から見える城を見上げ彼女は絶句するしかない。その姿を見たルーベはただ苦笑する。
  元来、皇太子の誕生祝は年末祭と新年大祭の間にまとめて祝われるものであったらしいのに、今年から別個になったと人々は言う。
「皇太子殿下のご生誕お祝いは、こんなに豪勢なんですね」
「まー。第一王位継承権継承者直々に接点持てる機会なんて、年に何回もないしな」
 第一王位継承権を持つ、このまま順当にいけば確実に玉座に座る人間とは繋がりを持ちたいと思うのが権力者の心内だろう。それぐらいのことは、一般市民でも分かる所である。
「パフォーマンスも大変ですね」
「ぱふぉーまんす?」
 馬車の中でポツリと呟いたカノンの言葉を復唱するルーベに、彼女は慌てて付け足した。
「あっ、えっと、過剰表現みたいなものです」
「ああ。カノンの国ではそういうんだ」
 そう言ってルーベは笑った。この世界で、なぜかカノンは言葉に困ることはなかった。文字の形式は全く異なるが、言葉は最初から理解できていた。しかし、彼女が操るいわゆる俗語や横文字という単語は通じない。
 時々ふと出てしまう単語を聞き返されてしまうと、カノンは慌てて言葉の意味を紡ぐ。ルーベにしろ、ヴィルチェにしろ、そういう言葉が出てくると興味津々で「他にそういった言葉はないのか?」と聞いてくることも多い。
 同じくこの世界に飛ばされてきた人は、そういう言葉をこの世界に残していないのか、いつか調べられたらいいなとさえカノンは頭の片隅で思っていた。

 馬の軽い嘶きが二人の耳に届いた。
「ルーベ様、到着いたしました」
「ああ、わかった」
 緊張はあるものの、それは半年前にこの城内で催された夜会の時とは比べ物にならない。今日は幾分もカノンにとっては気が楽だった。
 この間の夜会の主役は、どう繕っても自分であったとカノンは自覚していた。しかし、今日はあくまでお飾りである。だが、だからと言って油断はならない。彼女にとっての危険はどこに潜んでいるかわからないからである。
「大丈夫だって。この間みたいなヘマはしない」
 馬車から降りる際、カノンの手を取って降りる手伝いをさせるルーベが柔かく笑っていった。
「え?」
「顔、緊張してる」
 ゆっくりと地面に足を下ろした時、カノンの頬に薄っすらと朱が走る。あまりにもルーベの声と笑顔が優しくて。
「連れ去られたり、怪我するような状況になったりなんて、絶対させない」
 カノンの手を引いて、騎士たちが二段おき配備されている、赤い絨毯の引かれた階段を上っていく。握られた手が暖かくて、思わずカノンの顔にも笑みが浮かぶ。
「はい、ルーベ様」
 みすみす連れて行かれるつもりも、誰かに怪我をさせるつもりも彼女にはなかった。半年、何もしなかったわけではないのだから、少しぐらいは抗ってみせるという意気込みはある。その小さな意気込みが、顔に出ていたのだろうか。
 素直に彼女が頷くと、ルーベは鷹揚に頷いた。

 室内は既に人で溢れていた。広い広い城内に、たくさんの人。しかし、それでも城内はまだ余裕があるように見える。
 煌びやかに装った女性たちの視線が、一歩室内に足を踏み入れた瞬間、ルーベとカノンに集中する。それは羨望と嫉妬の入り混じった視線だということを、彼女は理解していた。それはルーベも分かる所であるがそんなものをきにしていられない。
 カノンを見つけるやいなや、数人の女性が歩み寄ってくる。友好的な仮面をつけたまま、彼女と交流を持とうとするのは勿論、皇族との繋がりを持つためである。
「御機嫌ようカノン様。今日も素敵なお召し物ですわね」
「ありがとうございます」
 煌びやかに着飾った女性たちの上辺だけの言葉に、カノンも笑顔で返すことも慣れてきた。面の皮が厚くなってきた、とミリアディアに告げたらまだまだだと言われてしまったが。
 今日のカノンの衣装は、彼女の透明感のある白い肌に生える薔薇色をほんの少し薄めたよう色合いのドレスである。身体の線に這うような形ではあるが、裾は綺麗に広がっている。見ごろに真珠が縫い付けられたレースが品良く自己主張をしてみせていた。折ひだの中にも同じレースが使われている。腰の辺りに生花もあしらわれており、カノンの可憐な印象をいつも以上に引き立てていた。
 しかし、今日はこのドレスの下にミリアディアに習って、太腿の辺りに短刀を忍ばせていた。咄嗟に取り出すことは出来なくても、何に役に立つかわからないため用意したのである。これをルイーダに相談した時、軽く説教をされたが、カノンも譲らず現在に至る。勿論、このことはルーベも知らない。ミリアディアとカノンの秘密だった。
 ルーベが少しはなれたところでそれを見ていると、スッと彼の隣に立つ人物がいた。
「あれ、放っておいていいのか?」
「ん? ああ、あの中に刺客がいるってことはねぇ」
「……直観か?」
「いや、この状態であいつを襲わせても何ら効果がない。オレもここで目ぇ光らせてるしな」
 彼の傍らに当然のように並んだのは、シャーリルだった。艶やかな黒髪を流し、正装に身を包んだ彼は妻子がいなければ既に女性に取り囲まれていただろう。実際、妻子持ちである彼に妾の座を臨み近づく女性も後を絶たない。
 主君であり、無二の親友の纏う雰囲気に、彼は思わずため息を付いた。
「お前、いくら彼女が大切だからって、仮にも甥の誕生日にいつまでそんな顔をしてるつもりだ?」
「あ?」
「顔。まるで最前線で指揮を取ってるときの顔だ」
 そう言われて、少しルーベは意外そうな顔を浮かべた。シャーリルが自分自身の眉間を指差して、初めて彼は自分の眉間に皺が寄っていることに気付いてため息を付く。
「……そんなに肩張ってたか」
「自分で言っただろう。今この状態で彼女を襲わせても何ら効果がないって」
「そうだけどさ」
 ため息混じりに呟く言葉。ルーベは、同じ轍を踏むつもりはなかった。
「大丈夫だ。今日は第一位階の騎士も揃ってる。そうそうなことは起きない」
「起こさせるつもりもねぇよ」
「……お前その顔でカノンの前に立つなよ」
 シャーリルはギラリと光る親友の瞳を見て的確な忠告をしてみせる。最も、彼は彼自身が持つ二面性ともいえる表情を使い分けるのが犯罪的に上手いので、余計な心配であるのだが。

 ルーベはふと視線を上げ、囲まれているカノンのほうを見やった。すぐに彼に視線に気付いた彼女は、会話を途切れさせない女性たちに向かって花のような笑みを向けて見せた。
「皆さん、すいません。少し失礼致します」
 貴族の女性たちに囲まれていたカノンは、彼女たちに会釈をすると早々にルーベの元へ歩み寄って行った。それがまた、ルーベの妾の座さえ、あわよくば本妻になろうと目論む女性たちの腸を煮えくり返らせる行為であるのだが、カノンは躊躇わない。
「……大丈夫か?」
「はい。あれぐらい」
「気付いてるもんか?」
「あからさまですもの。あわよくば私の荒をルーベ様に進言しようとしている態度」
 涼しげに笑うカノンに、ルーベもつられて笑う。
「強くなったね」
「シャーリル様! ご挨拶が遅れまして申し訳ありません」
「ああ、気にしなくていいよ」
 ルーベの隣に立っていたシャーリルは片手を上げて彼女にそういうが、カノンはそのままドレスの裾を掴んで軽く頭を垂れる。
 この素直さは美徳だな、とシャーリルが目でルーベに語ると、彼も頷いた。カノンに顔を上げるように彼が手を上げると、すぐに、高らかな声が会場に響き渡った。
「サンティエ・アルフェルド・リア・ライザード皇帝陛下、並びにクラウディオ・ハイメ・ライザード殿下、ご入場!!」
 わあ、と歓声に近い声が上がりどこからともなく拍手が生まれる。装飾の施された豪奢な扉が両方からゆっくりと開け放たれ、赤い絨毯に精緻の装飾の施された靴が一歩を踏み出す。ルーベも、カノンもシャーリルも彼らの姿をその双眸に納めた。
 歩み来る現在の最高権力者は、彼らを一瞥し鼻で笑うような仕草をすると、視線をずらした。まだ、まだ、埋らない距離。それでも、決して届かない距離ではない。カノンは自分のドレスの布をきゅっと掴んだ。それは恐怖からではなく、ただ強い意志を込めて。ルーベはサンティエに負けない、と。
 彼に続いて入ってきたのは、本日の主役であるはずの人物。彼女はこの世界に来て半年、一度も姿を見たことがなかった、第一王位継承権を持つ人物である。前情報で色々言われていた人物であるので、カノンの中では間違った方向に色々想像していたが、現れた人物から、あまり衝撃を受けずに済んだ。
 癖のない茶金色の髪を長く伸ばし、父であるサンティエと同じ瞳を宝石のように輝かせた少年は祝福の言葉を紡ぐ貴族たちに笑って返している。
「……あの方が」
「そう。オレの甥っ子。兄貴の息子」
 これといって華やかであるわけでもなく、辛うじて美形の範疇に入るであろう彼も、父親と同様ルーベたちのほうを向いた。そして少しだけ目を見張った後、まるで義務といわんばかりに再び笑顔を振り撒く。
「笑顔でお手振りもある意味、アイツの仕事だからね」
「シャル」
「本当のことだろう」
 嗜めるようにルーベが彼の名前を呼んでも、彼は悪びれもせずにしれっと言葉を紡ぐ。サナンにしてもシャーリルにしても、彼に対していい印象をあまり持っていないことが彼女でも伺えた。
 しばらくすると、会場がしんと水を打ったように静まり返る。カノンが不思議そうな顔をすると少し屈んだシャーリルが彼女に耳打ちをする。
「アイツからいらない一言があるんだよ」
 今日の主役である彼からの言葉。それはむしろあって当然の言葉である。高くなっている舞台に上ったクラウディオは真っ直ぐに会場に響く声で言葉を発した。
「皆、今日は余のために集まってくれたことを感謝する!」
 この一声で、あたりはまた拍手で包まれそれを、彼は制す。そして、ここから数十分にも及ぶ演説が始まり、カノンは半ば愕然としながらその言葉を聞いていた。内容は繰り返し、この国の発展と今後の自分のことについて。いちいち素晴らしいと感嘆の声を上げたり、拍手をしたりする貴族の姿に、彼女は感動すら覚えた。
 ルーベは腕を組んだまま甥っ子の独壇場を見やり、シャーリルはその美しい顔を歪ませまいという気合が見て取れた。父親であるサンティエは用意された椅子に座り、悠然と酒で喉を潤している。
 あたりを見回してみると、確実に何人かはげんなりとした表情でクラウディオを見上げている。しかし、気持ちよく演説している人物はそんなことには気付かない。
「皆が支えてくれたから今の余がある。ここに居る者は皆忠臣だ。今日は日頃の労を労う。存分に楽しまれよ!」
 その一言のあと、割れんばかりの拍手と歓声が響く。ようやく高らかな演説が終わることに対する喜びの拍手なのか、それとも純粋に殿下である彼の誕生を喜ぶ拍手なのか分からない喝采が沸き、誰ともなく彼の元へ足を運び、舞台の周辺はあっという間に人垣が形成されていた。
「……すごいですね」
 カノンの口からはそれしか出てこない。
「ただの馬鹿だよ」
「シャル!」
 喧騒で誰にも聞こえないとは言えきっぱりと言い切ったシャーリルをルーベはたしなめる。
「……申し訳ありません、王弟殿下」
 恭しく言うばかりで、彼から反省の色は伺えない。
「お前、どうしてアイツをそこまで嫌うんだ?」
「愚か者だから」
 取り付く島もないとは、このことを言うのだろうか、とカノンは二人の会話を聞きながら思っていた。きっとルーベに膝をついて忠誠を誓う人物たちは、彼を良くは思っていないのだろう、と彼女は推測する。
「……人が少し引いたら、あいつのところに行くから」
「はい」
 ため息交じりにそういったルーベの表情からは、気が進まないというのがありありと見て取れる。カノンは改めて壇上で笑顔で人々と会話をしている次期皇帝になると信じ切っている、人物を見やった。まだまだ少年という風情が消えないその人物が実はずっとカノンのほうを見ていたことなど、この時彼女はまだ気付いていなかった。


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