6.許されない謁見


 サンティエは富と権力の象徴である玉座に腰をかけていた。執務も一段落がつき、ここに腰を下ろし一人思考にふける。そんな時が一日の中で一番心安らぐ時なのかもしれない、と彼は思っていた。
 聞けば最近、羽虫のように誰かが動いて何かをしているという。それにルーベが気付いていることも知っているサンティエは浅く笑った。誰もいない空間ではそれだけの動作でも空気が揺らぐ。広い広い謁見の間。彼の眼前には深紅の絨毯が広がっている。入り口には好む好まずに関わらず兵が常に五人は立っている。
 彼は完全に一人になることが出来ない身ではあるが、この瞬間だけは思考の中で一人きりになれる。ゆっくりと瞳を閉じで、脳内に展開させていく。しかし、その静寂も長くは続かなかった。扉の向こうに慣れ親しんだ気配を感じたのだ。サンティエは浅く笑いながらそちらに目を向けた。
「扉を開けろっ!! 皇帝陛下に話があるっ!」
「いけません! いくら王弟殿下とはいえども、いくら……」
 騒々しい主は彼の想像通りであった。
「よい、入れてやれ」
 傍にいた兵にサンティエが声をかけるとその人物は戸惑いの色を隠さなかった。
「聞こえなかったのか、入れてやれと言っている」
 彼の苛立ちが含まれた声を聞いた兵は、一瞬、自分の心臓を握られたような錯覚を感じていた。刹那の間呼吸さえままならない状態になりかけて、彼は急いで扉に走っていった。
 程なく開かれた扉の前には、怒りや困惑が入り混じった複雑な表情をしている彼の血を分けた弟が立っていた。ルーベの黒紅色の双眸はただサンティエを見据えていた。彼は一礼すると、深紅の絨毯が引かれた道を、一本に結ばれた赤みの強い長い茶色の髪が宙になびくぐらい足早に入ってきた。本来ならば、口上の一つでも人々は述べるだろうがその余裕さえ今の彼からは感じられない。
 そして、玉座に続く階段の前で膝をつくと、そのまま口を開いた。
「カノンが誘拐されました」
 膝をついたまま顔を上げず、ルーベは言った。そんな彼を見下ろしながら、サンティエは笑う。
「ほぅ……、で?」
「今、全力で彼女を探しております」
 彼の言葉に嘘偽りはないだろう。現に、仕事以外では玉座の間に近づこうとしないルーベがここに現われているのだ。彼は楽しそうに口元歪めながら言葉を続けた。
「シェインディア家が動いていないようだが?」
「表立って事を荒立ててはいけないと。彼らとて身を粉にして捜索しておりますよ」
 感情を、怒りを押し殺したような彼の声。恐らくこの場に足を運ぶことさえ、愚かしいことだとわかっているのだろう。白々しいまでの言葉を並べ立てるルーベは、例え小石程度の手がかりでも欲しているような、そんな雰囲気がある。手の内を、見せてやるほどお人よしではない。欲しいのなら自らが動き、自らの手ですべてを掴めと、サンティエは思う。
「大切なものであれば、籠に入れ、鎖とつけ、決して目の届かぬ所に置いてけ。お前は貴様の無能さを我の前にひけらかしに来たのか?」
「……」
 さも迷惑そうに告げられた言葉を受けたルーベは、いまだ顔を上げないままである。握り締めた拳は白く染まっていた。
「何用で来た、ルーベよ。まさか我に泣きつきに来たわけでもあるまい」
 面倒臭そうにサンティエが言う。手すりに肘を付きルーベを見下す。顔を上げよと促すと、初めてルーベは顔を上げた。黒紅色の瞳には、押えきれない憤怒が隠されている。それを面白そうに見つめながら、彼はルーベから紡がれる言葉を待った。
 一拍間をおいて、彼が言う。
「ええ、腹の探りあいをしている時間も惜しいですね。単刀直入に聞きます。リファーレ卿はどこですか?」
 何もつくろわなかった言葉に、周囲に居る数少ない兵士たちが息を飲む。しかし、そんなことを構ってやるつもりもない。クッと喉で笑いながら彼は答えた。
「それを聞いてどうする」
「いくら探しても、彼だけ見当たりません。どこにいらっしゃるんですか?」
「それを聞いてどうするのか、と我は聞いている。答えろ」
 言葉に詰まるのはルーベのほうである。なぜならば、彼には拒絶という選択肢が用意されていないからだ。握られた拳はさらにさらに、白さを増す。いずれその肌が破れ鮮血が滴り落ちるのではないかと思われるほど。それは強く握り締められていた。
「言わぬ、とは言わせぬぞルーベ。この頂に冠を抱くものはまだ我だ」
 サンティエの瞳が肉食獣のように禍々しく輝く。それに対するルーベの眼光とて、彼に負けているとは誰も思わないだろう。決して何もしていない二人の空間には、張り詰めた空気が流れる。この空間に運悪く居合わせてしまった兵士たちは、息がつまり心臓が早鐘のように鳴り響く。ここに心臓の弱いものがいれば、それだけで卒倒しかねない空気が生まれていた。彼らの槍を持つ手が自然と震える。
 ルーベは小さく息を吐き、吸うという動作を繰り返すと苦虫を噛み潰したような表情でサンティエに答えた。
「……お聞きしたいことがあるのです」
 この言葉を吐き出すまでに、彼の中でどれほどの葛藤があったのだろうか。サンティエは笑みを絶やさないまま彼に言葉を返した。
「リファーレは、今我、直々に出した命遂行するため、姿を現さぬのだろう。しばらくすれば戻る」
「その命とは?」
 見上げるルーベの瞳と、見下すサンティエの瞳が交錯する。一瞬、答えを期待しているような光を見てしまい、それをサンティエは鼻で笑った。そして、低い低い声で答えを紡ぎだす。
「僭越だぞ、ルーベ。立場を弁えろ」
 まだ、ルーベは彼に意見することが出来ない。まだ、ルーベは彼に逆らえない。玉座に座り、王の名を持っているのはサンティエである。
「……失礼いたしました。ご無礼をお許しください」
 謝罪のため、頭を垂れるルーベの表情は誰にも見えない。ただ、怒りに震えているのは確かである。それでも、それを表に出さないように必死で自己を律している。大気を揺るがすほどの怒りを自己の内に押し留めるのはどれほど辛いものだろうか。安易に予想のつく彼の胸のうちを、サンティエはただ嘲笑う。
「まぁいい。奴が戻ったらお前にも知らせよう」
「ありがとうございます」
 形式だけの礼をとるルーベに今日をそがれたサンティエは鼻で笑った。
「くだらんな。用件がそれだけならば去れ。無駄な時間を過ごした」
「失礼いたします」
 早く、早く、この高みまで上り詰めて来い。翳りのある藍色の瞳をルーベに向けて語りかける。この玉座を奪いに来い。怒りが、憎しみが、よりルーベを掻き立てるというのなら、サンティエはいくらの犠牲も労力も厭わない。彼はただ静かに切望する。か細き牙を来るべき日の為に研ぎ澄ませ、我が首へ牙を立てよ、と。



 サンティエの元から去ったルーベは、苛立ちを抑えることが出来なかった。もう少し、余裕を持ってサンティエと接していれば、もう少し情報を引き出せたかもしれないと思うと、なお己の未熟さに腹が立った。
 カノンが誘拐されてから今日で四日目だった。まだ、と捕らえるか、もう、と捕らえるかは人それぞれだかがルーベ後者の意で取っていた。彼女が攫われてからもう、五日も経過してしまっていた。これを表に出すことはあまり良いことではない。故に、専念すればより早く彼女を見つけることが出来たかもしれないが、立場上そうも言っていられない。
 苛立ちは明確な形となって、騎士たちの鍛錬に出ていた。ここ数日、ルーベ直々の訓練を受け、屍一歩手前まで鍛え上げられた兵士は両手両足の指では足りない。それでもそれを喜びとし、これからも切磋琢磨してまいりますと宣言するような兵士が多いのが、彼の率いる騎士団の特徴とも言える。しかし、本気で機嫌の悪い彼の恐ろしさを知っている第一位階の騎士たちは、日々戦々恐々としていた。
 薄々と彼らが理由を感じつつも、確信を彼に迫れないのはそれが理由である。彼が本当に力を必要とした時は、彼のほうから声がかかる。それを彼らはわかっているため、今はあえて動かないのだ。水面下で動いているのはルーベの腹心であるレイター・シャーリル・フィアラート、そして幼馴染であるという軍師サナン・フィルア・レヴィアースだった。
 何か分かればすぐに連絡するという彼らの言葉を信じ、ルーベはいつも通りの仕事をこなしているのだが、彼ら二人の力を持ってしても、捜索は困難を極めるというのだ。舌打ちの一つ、八つ当たりの一つもやりたくもなるのが彼の心情である。王城の窓から見える空は、もう既に夜。ふと視線を横にずらすと、天に昇っている月が目に入った。満月まであと少し、という完全な円ではないやや不恰好な月。あの月が満ちる頃にはカノンを助け出したい。
 そんな事を思いながら、彼は表情を引き締めた。本来ならばとうに自室にいる時間であるが、思いのほかサンティエの元に長居をしてしまったらしい。
 これで、彼女が囚われてから五日目に入るのか、と思うとさらに苛立ちは増していた。

 ―――ルーベ!

 脳内で、鈴か鳴るような声が響いた。
「シャル!?」
 ルーベ以外、誰もいない廊下で弾けたように彼は叫んだ。シンと静まり返っている廊下に、ルーベの声が反響するように広がっていった。
 ―――お前、今何処にいる?
「どこって、王城」
 ―――まだそんなところにいるのか!
「しょうがないだろう! 兄上の所に寄ってたんだから」
 ―――……何かつかめたか?
「つかめてたら、こんなにイラついてねぇよ」
 ―――だろうな
 苦笑めいたシャーリルの言葉はここで打ち切られる。
 ―――早く戻って来い。
「どうした?」
 ―――カノンが何処にいるか分かった
 さらりと告げられた言葉は、やや重要性にかけているように聞こえたかもしれない。しかしルーベはすぐに言葉の意味を理解する。彼の脳裏には、花のように微笑む少女の笑顔が浮かんでいた。
「どこだ!?」
 ―――いちいち声を荒げるな。周りに誰もいなくても、誰か聞いていてもおかしくないんだぞ? 
 頭に血が昇っているルーベを諌めるのも、またシャーリルの仕事である。少なくとも彼はそう自覚していた。だが、こうなってしまっているルーベに何を言っても無駄だということを一番良く知っているのもまた彼である。一つ、ため息を付くと彼は再び声を発した。
 ―――とにかく、お前が帰ってこないと何も始まらない。一刻でも早く帰って来い

 そうすると、彼の頭に直接響くシャーリルの声が遠のいた。静謐を保っていた廊下に、それが再び戻る。窓の外から聞こえる僅かな音だけが、静かに響き渡る。が、鳥たちのささやかなさえずりは消えていた。
 ギリと拳を握るルーベのまとう雰囲気が、壁を越して外にまで流れ出ているのだろう。鳥たちは本能的な恐怖に駆られて、飛び立っていったのかもしれない。
 カノンの居場所が、わかった。ルーベの黒紅色の瞳が輝く。
 一度、彼は大切な人を失っていた。彼女を目の前にして助けられなかったことは、今でも彼を苛む。苛まれる必要がないといくら人に言われてもそれは変わらない。
 パルティータのことを、好きだったのかと問われれば、好きと答えるだろう。しかし、彼女は四玉の王に身を捧げた人間である。告げるつもりもなかった思いは、今はもうない。誰かを好きになったことがないというルーベにとって、これが恋愛感情かと問われれば、是とは答えられない。
 それはカノンにとっても同じである。それでも、何があっても守りたいと思う気持ちはパルティータに抱いていたそれを軽く上回ることを彼は自覚していた。今の思いを正確に判断することは出来ない。だが、今はそれで良いと彼は思っていた。
 好きか嫌いか問われれば、好き。それは恋愛感情かと問われれば、それはまだわからないと答えるしかない。今は己の感情を分析しているよりも、彼女を助け出すことが先決である。
 本来、空間移動はレイター程の魔力がないと出来ないとされている。レイターと同等、もしくはそれ以上の魔力を有している存在、それは皇祖帝の血を色濃く受け継ぐ王家のものである。ルーベは意識を集中させると、そのまま廊下から姿を消して見せた。
 廊下は、一瞬にして静寂が訪れる。まるでそこには初めから誰もいなかったかのように。


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