14.暖かな手


「……アンタ誰?」
「え?」
 それがカノンとその少女が交わした最初の言葉だった。少女は若干警戒したままカノンを見つめていた。当然といえば当然である。いきなり沸いて出てきた女がこともあろうに王弟殿下の名を口にしてごろつきを脅したのだ。
 何かある、と思わないほうがどうかしている。
「とりあえず、助けてくれたことにはお礼を言うわ。ありがとう、姐さんに頼まれた買い物の帰りにアイツらに絡まれてね。あたしはヴィルチェ。『ペティグレイン』の娼婦見習いしてる。アンタは?」
 少女、ヴィルチェはカノンと最初の間合いを詰めずに一気にまくし立てた。全くカノンを信用していない、という目つきをしている。それも当然といえば当然な話なので、カノンはしどろもどろになりながら一生懸命言葉を紡いだ。
「あの、私はカノンって言います。年は十六歳で、今はルーベ様のお屋敷で生活させてもらってる者です」
「……ルーベって本当にあの、王弟殿下のルーベ・フィルディロット・ライザード様のことを言ってるのかい?」
 ヴィルチェの眉間に皺が寄った。柳眉がゆがめられたのを見て、ますますカノンは困ってしまう。先ほどの威圧感はどこへやら、どうすれば彼女は自分のことを信じてくれるのだろうか、とそれを考えることでカノンは必死である。確かに急に出てきて勝手に助けたのはカノンであった。それを迷惑に彼女が思っているならば、ここは謝罪するべきなのかもしれない、などカノンの脳裏には様々なことが展開していた。
「えっと、あ、じゃぁこれを見てください。多分信用してもらえます!!」
 カノンは袋の中から、ライザード家の紋章の入ったメダルをヴィルチェのほうに向けて見せた。ルーベに身分証明になるからといって持たせてもらったメダルである。ただ、これはあまり大っぴらに見せてはいけないとも言われていた。それでも彼女に身分を証明するものなんていったらこれぐらいしか持ち合わせていないカノンはそれを差し出すしかない。
「これ、本当にライザード家の家紋なの?」
「え?」
 近づいて来たヴィルチェはひょいとカノンの手の平からメダルをとって、表面を見たりひっくり返してみたり、日に当ててみたりと色々弄っている。カノンの手は所在なさ気に宙に浮いたままであった。
「作りもんにしては、精巧だし……。本物っぽいわねぇ」
 手の中で遊んでいた、真っ白な石を削って作ったそれをヴィルチェは投げてカノンによこした。二人の距離はもうほとんどなく、逆にカノンのほうが彼女を警戒しているようにも思える様子だった。カノンが返って来た石膏細工を大切そうに握り締める。その様子さえさして気に留めず、彼女は紫の瞳を細めてニッコリ笑った。
「そんなのどうでもいいけど、助けられたのは事実だから。お礼するよ、おいで、姐さんに話せばお茶の一杯でも出してくれるからさ」
「でも……」
 自分はたいしたことなどしていないから、と丁重に辞退をしようと試みたカノンだったが、石膏細工を握っている手を逆の手を掴まれて引っ張られたら抵抗も出来ない。
「いいから、いいから。すぐそこって言っただろ? ちょっと茶ぁ飲んでいってくれればいいからさぁ」
 反論を許さない口調で言いながら、カノンの手を引っ張ってぐいぐいと彼女は歩いていく。カノンは二つに結ばれた薄く入れた紅茶のような髪が揺れるのを見つめてこれ以上何も言うことが出来ずつられていくこととなった。



 しばらくも歩かないうちに、木造の佇まいが見えてきた。近づくに連れて、カノンはその大きさを目の当たりにすることになる。半円球の大きな屋根の建物をあんぐりと口をあけて見つめるしかない。王宮内にある、芸術の館のような佇まいである。一般に言われる歓楽街へ赴いたことのないカノンは、琥珀色の双眸で信じられないものをみる目で見つめるしかない。この店が規格外なのか、普通なのか少なくとも彼女の物差しで計ることは出来なかった。
 ヴィルチェは正面ではなくその建物の裏口へと回って、当然のように扉を開いた。カノンの目からすると、木の板を引いただけで入り口が出来たように見える。それぐらい扉と壁が見分けにくい作りになっているのだった。それを難なく開けるのだから、確かに彼女はここの住人であることが伺える。
「たっだいまー!」
「お帰り! ちょっとヴィルチェ大丈夫? 外にジルたちがいるって姐さんたちが言ってたから心配してたんだよ!」
 ヴィルチェが木の扉を開けると、わっと人が集まってきた。それは見目が麗しい彼女と同じ年齢ぐらいの少女と女性の中間の年齢になる女性たちだった。カノンとほとんど代わらないぐらいの年齢であろう彼女たちはそれぞれに心配そうな表情を浮かべてヴィルチェに駆け寄ってきたのだ。カノンは彼女の後ろに立ったまま、気付かれずその様をまじまじと見ているしかない。
「うん、会うことには会ったんだけどね。この子が助けてくれたんだよ」
「この子?」
 ヴィルチェの後ろに控えていたカノンは繋いでいたままの手を引かれて、前のめりになりかけながら少女たちの前に突き出される形で前に出た。同じ年齢ぐらいの少女たちの視線を一身に受けるのは、どこか居心地の悪さを感じてしまう。
「あ、の、こんにちは」
 ようやく言えた挨拶の言葉は、少女たちの耳には届いていないようだった。不躾な視線がカノンを見つめる。
「こんな細い子が? あのジルたちを??」
「そ、一発だったんだから、ね?」
「私は何も!」
 悪戯っ子のような目で片目を瞑って微笑まれても、カノンは何もしていないので困ってしまう。辺りの少女たちは新参者のカノンよりも当然馴染みのほうを信じているようで、見かけによらないなどとざわざわと好き勝手話していた。
「ヴィルチェを助けてくれた恩人っていうんだったら、何もしないで返すなんてことはできないねぇ」
「姐さん!!」
 姐さん、と言われて出てきたのはくすんだ癖のある金色の髪を綺麗な布で一本に結ったふくよかな、妙齢を少し過ぎたぐらいの年齢に見える女性だった。空色の瞳がカノンを捉えると、彼女は自然と頭を下げた。それを見て満足そうに女性が頷くと、カノンを取り巻いていた少女たちが一斉にその女性の方を向いた。
 そんななか、籠を持ったままヴィルチェが彼女に近づいた。
「姐さん、ただいま」
「お帰りヴィルチェ。ジルに襲われて、その子に助けられたんだって?」
「そうなんだ! だから茶の一杯でも馳走してやりたいんだ。私、その分ちゃんと働くから、いいでしょう?」
 籠を渡しながらヴィルチェの紫水晶のような瞳にねだるような光を宿しは女性を見つめた。籠を受け取りながら、女性は思案するような表情を浮かべてカノンを見つめていた。しかしその視線は好奇心からくる視線ではなく、不躾に眺める視線でもなかった。少なくとも居心地の悪さを感じるようなものではなく、ようやくカノンは呼吸が出来たような錯覚に陥っていた。
「馬鹿をお言いでないよ。お前を助けてくれた恩人だよ? 私から礼をするに決まってんだろう?」
 彼女がそういうと、周りの少女たちはわっと歓声をあげた。さすが姐さん! と歓声を上げる少女たちは、この女性を心酔しているという様子が簡単に見て取れた。彼女が入り口に立ったままのカノンのほうへ歩み寄ってきた。彼女の周りを取り囲んでいた少女たちが整った動きで女性の通る道を作った。カノンまで一直線の道。彼女がゆっくりと近づいてくるとカノンに一礼をした。
「……アンタ、貴族のお嬢様かい?」
「ええ!!?」
 この声を発したのはカノンではなく周りにいた少女たちだった。彼女たちの表情は驚愕以外を表していない。カノンを見つめる女性の空色の双眸は穏やかだった。だからだろうか、騒ぎ立てる少女たちの声がどこか遠くに彼女は聞こえた。
「手入れの行き届いた髪は両家のお嬢様の証だ。それにこんな格好してるけどねぇ、この子の着ている服を売っただけで、私たちの今着ている服が半分以上まかなえちまうね」
 店主の女は自分の着ている服の裾をつまんで頭を下げた。
「こんなむさ苦しい所にようこそお姫様。私はこの店の店主、リリア・ルイスと申します。よろしければお名前を聞いても?」
「こちらこそ、申し送れました。カノンといいます。カノン・ルイーダ・シェインディアです」
 カノンも彼女に習って頭を下げた。礼儀を重んじるリリアと名乗る店主の懐の深さと、人柄の良さを感じ彼女は素直に自分の名を告げた。しかし、その波が水面に石を投げて辺りに波紋が広がっていくかのように少女たちの間を広がっていき、程なく弾けた。
「シェインディア!?」
 それはあるいは悲鳴のようだった。少女たちの美しい表情は青ざめ、先ほどとは違うざわめきが空間を支配した。
「シェインディア家っていったら、皇祖帝のお妃で、次の皇帝陛下のお母様で!!」
「そんなこと分かってるってば!! 同じ人じゃん!!」
「そんなお家柄ってことは、やっぱりさっき出したアンタのライザード家の紋章、本物ってこと!?」
「ライザード!!??」
 ヴィルチェが言うと、先程よりも大きな声が室内に響き渡った。
「何、アンタライザード家と縁があるの!?」
「そりゃだってあんた、シェインディア家とライザード家っていったエンもユカリもありまくりだろうけどさっ!!」
 混乱が生じているのがありありとわかる風景を目の当たりにして、カノンはただ何も出来ずにその情景を見つめているしかない。言葉を挟む隙もなく、どうしようとそれを見ていると、目の前にいたリリルが苦笑しながら彼女たちを指差した。
「いくらこんな店だからって言っても、教養は必要だろう? 女だからって舐められたくないからね。国史も勉強させるし、言葉にだって不自由させないように躾けてるんだ。そのお陰でだいぶ口が達者になっちまってねぇ。一体、誰に悪知恵を仕込まれてるんだが」
 ふぅとリリアがため息をついた。その間を縫うようにカノンに近づいたヴィルチェが耳元で囁く。
「姐さんはあたしら身寄りのない連中にも、ちゃんと勉強させてくれる人なんだよ」
「そうなんだ」
 冷や汗さえ浮かべながら話している少女たちの中でも、一人平然としているヴィルチェは紫色の瞳を細めてカノンに微笑みかけた。それにカノンも素直に答えられた。しかし、次の瞬間、他の少女たちが本当に悲鳴を上げた。
「コラ、ヴィルチェ!! お嬢様になんてこというんだよ!」
「そ、そうだよ! 口の利き方間違ったら、この店潰されちまうよ!!」
 後ろから伸びた数本の手に引っ張られて、ヴィルチェは少女たちの陰に隠れ、彼女を隠すようにたった少女たちは愛想笑いを浮かべることに失敗したような引きつった笑みを浮かべていた。その態度に、カノンは少なからず衝撃を受けた。
「そんなこと……」
「あんたたち! そんな人間に育てた覚えはないよ! 私に恥かかせる気かい!?」
 カノンが何かを言う前に、彼女の側に立っていたリリアが腹のそこから発したといっても過言ではない大声を張り上げて少女たちを叱った。怒気を含んだその声を浴びせかけられた少女たちは途端に口を噤み、罰の悪そうな表情でリリアを見つめていた。
 一頻り辺りにいた少女たちをにらみつけると、申し訳なさそうな表情でカノンに向き合った。空色の双眸は言葉よりも先に、彼女に謝罪をしている。
「気を悪くしないでおくれ、お姫様。うちにはたまに名のある貴族様もいらしてね。金を投げれば女を無礼に扱ってもいいとかいう連中も少なくないのさ」
 申し訳なさそうにリリアがそういうと、少女たちも同じような表情をして、口々に謝罪を口にして頭を下げ始めた。今度はカノンのほうが恐縮してしまい逆に彼女の方が首を振る。貴族にも、色々な種類があるのは、ましては権威を傘に着せて好き勝手をしている人間が存在しているのはむしろ世間の定石と言ってカノンは心得ているつもりだった。ただ、カノンに近づいてくるにはルーベの許可が必要となってくる。故に金と権力に彩られた貴族と触れ合う機会は絶無に等しい。
「だから貴族を警戒しちまうのさ。悪気はないんだ。だけどごめんよ、驚かせた上傷つけちまって」
 そんなことない、という言葉を出せなくてカノンは思わず伏してしまった。そんな自分の未熟さが恥ずかしくて、カノンは顔を伏せたままで立ち尽くしてしまう。
「こんな辺鄙なとこだけど、うちの者を助けてもらったお礼ぐらいはさせとくれよ」
 大柄の女性は、そっとカノンの手を取って微笑んだ。その手はとても暖かく、すぐにカノンの冷たくなりかけた心を癒してくれた。
「ご好意に、甘えさせていただきます」
 そういってカノンもゆっくりと顔をあげ微笑むと、女主人は周りの少女たちに声をかけた。すぐに温かい茶を用意するように、と。


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