11.光の射す場所


「お嬢様、フィアラート夫人がいらっしゃいましたわ」
「え!? あ、お通ししてください!」
 昼下がり、昼食も取り終わったカノンが、本を読んでいるとルイーゼの声が扉越しに聞こえてきた。カノンは思わず声を上げてしまった。無理もないといえば無理もない。
 夜会でミリアディアが負った怪我は決して軽いものではなかったのである。故に、ミリアディアは養生をし、ここ二週間ほどカノンの元を訪れることもなかったのだ。お見舞いに行きたくとも、行った所で気を使わせて傷に触ると思うと躊躇してしまう。
 次にあった時には謝罪とお礼を、と思っていたカノンは長椅子から勢いよく立ち上がる。
「ミディ様!!」
「カノン! 久しぶりね!」
「もう大丈夫なんですか?!」
 頭を下げるルイーゼの前に立っているのは、間違いなくミリアディアだった。あの日に切裂かれた肌には傷一つ残っていなく、真珠のような美しい肌を藍色のドレスに身を包んでいた。ふんわりとした張りのある、透ける様子が美しい素材で出来たそれは、幾重にも布を重ねられて出来ていてとても彼女に似合っていた。
 扉からゆっくりと入ってくるミリアディアはニッコリと笑って、走りよってきたカノンを抱きとめた。そして彼女のよく手入れをされた絹のような肌触りのする亜麻色の髪を梳きながらゆっくりと唇を動かす。
「ええ、すっかり。こんなに長い間休んでなくても大丈夫だったのだけれど、夫が心配してね」
「シャーリル様もご心配なさっていたんです。怪我をしたら、養生するのにこしたことはないですもの!」
「そう言われて貴女も外にも出して貰えなかったんですって?」
 ルイーゼから聞いたの、と片目を閉じながら悪戯っ子のように微笑むと、カノンもつられて一緒に笑った。一頻り笑ったあと、カノンは彼女から離れて深々と頭を下げながら口を開く。
「あの、本当に私、役立たずで、ミディ夫人にたくさん怪我をさせてしまって! 本当に、すいませんでした。あと、ありがとうございました」
 一息でそういったまま頭を上げないカノンに、ミリアディアはそっと歩み寄り、頭を上げるように促した。恐る恐ると行った雰囲気で頭を上げたカノンの瞳の中には怒られるのではないか、責められるのではないか、という色が伺える。そんな少女の両頬に手を添え、ミリアディアは桃色に染まる口唇から言葉を紡いだ。
「これで謝り倒されたら、頬っぺたつねろうと思ってたのよ」
「頬っぺた?」
 それはカノンにとって意外な言葉だった。ふいをつかれたと言う様にに、一瞬目が点になってしまった。その表情を見て、ミリアディアは満足そうに深みのある紅茶色の瞳を細める。そして子供を諭すような優しげな声と口調で言葉を続けた。
「いい、カノン。例えルーベ様があなたを護れと命令しなくても、護っていたわ。私の大切な妹、と思っているんですから」
 ミリアディアの声にはいとおしさ、それ以外には何も含まれていなかった。含まれているとすればそれは、彼女の強く真っ直ぐとしている意志だけだろう。
「言ったでしょ? この世界にいる間だけでも、わたくしのことを姉と思ってって。年長者が年下の可愛い子を護るのは当然のこと」
 そっと彼女の頬を撫でると、ミリアディアはより一層微笑んだ。
「だから、わたくしは貴女を護ったの。これはわたくしの勝手。貴女が気に病む必要はないわ」
 カノンはいまだ不安げな瞳で、彼女より頭半分ほど背の高いミリアディアを見つめている。それをみて、彼女は小さく溜め息をつきながら、少し屈んでカノンの琥珀色の瞳と視線を合わせた。
「それでもまだ貴女がわたくしに謝るのなら、わたくしは自分で自分を責めなければ。『ああ、カノンにこのような顔をさせてしまった』と」
 少しだけ悲しそうな顔をしてそう言う彼女に、カノンがはっとしたような表情になってそんなことない、と叫ぼうとした。しかしミリアディアは、女の桜色の唇に頬から離した手を、人差し指でそっと触れここから先の言葉を言わせない。
「笑って、カノン。貴女は笑っている方が似合うわ」
 今にも泣き出してしまいそうなカノンだったが、それを必死に耐えて笑顔を作った。ちょうど泣き笑い、と表現するのがちょうどいいような表情を浮かべたのを見て、ミリアディアは再び笑った。




 時はしばし遡る。広い部屋に豪奢な彫り物がされている机があった。それには新雪のような真っ白な布が引かれていた。そこに座っていたのは、騎士団長であるルーベをはじめ、軍師・軍務省長・警備兵長と以下数名、人数にしては十人前後、といったところだろう。部屋の広さに対して、あまりにも人数が少ないのは誰の目に見ても明らかだった。
 窓にかけられた幕が昼間の光を遮り、室内には術で作り出された明かりしかない。その中で、一際大声を発する人間がいた。
「昨夜の賊に侵入された晩餐会は、皇帝陛下御自らお出向きになられた会であった!! その会で賊の侵入を許すとは、騎士団は一体何をやっていたんだっ! 皇帝陛下の御心を騒がせ奉った罪をどう心得る!!」
 恐らく、叩いた方の手も相当痛かっただろうと思われる強さで、白の机掛けに衝撃で倒れた水が広がっていき、側に控えていた侍従が布巾を持ってきてそれを拭っていた。叫んだのは軍務省の省長であるバーン・リスト・ヴィッセンはいまだ興奮冷めやらぬ、と言う状態でまだ立ち上がったまま肩を震わせていた。
 怒鳴っている彼は今年で四十五になる。黒というには、語弊のある髪に、若干の白髪が混ざっている頭髪に、目尻口元には年齢を隠しきれない皺が刻まれていた。腕も立つし、魔力も強い彼では在るが、その腕を振るう機会が彼の人生においてそうそう多かったわけではない。中肉中背の、これといって特徴のない男であるが、鼻の下に伸ばした立派な髭と、皇帝に対する忠誠心だけは抜きん出ている、と周囲は言っていた。
 その男が何を腹を立てているのかといと、それは昨夜起こった皇帝暗殺未遂である。皇帝自身の手によって、事なきを得たが、警備を任されていた軍務省・騎士団としては面目が丸つぶれになるほどの出来事だった。不逞の輩は、騎士団長ルーベの右腕である、シャーリルが彼の命令を遂行し捕らえてある。防げなかったとしても、犯人を押えた騎士団は面目丸つぶれと言う訳ではない。少なくともバーンはそう思っていた。
 事件が起こった当時、彼は酒には酔っていたものの剣を振るい果敢に賊に立ち向かっていったのだが、賊の様子がおかしい事に簡単に気付いた。彼の目とて、節穴ではない。だからこそ、これだけ腹を立てているのだ、よりによって『騎士』の中から賊が出たことに。
「騎士団長は一体何をしておいでだった!!」
 バーンの厳しい糾弾する声は、騎士団長として席についてるルーべに向けられた。若く才能に溢れている、皇帝の弟という地位を持つ男は、こともあろうに、机の上に肘をついて舟を漕いでいた。それは今にも机に突っ伏してしまいそうなぐらい深く沈んでは、どうにか浮かんでくるという感じで、これはうっかり寝てしまったというよりも熟睡、という雰囲気だった。それを見たバーンは再び拳で机を壊さん勢いで叩いた。分厚い木製の机は、一介の軍人程度の力では壊れる事なく、泰然自若を装い、被害を受けたのは机の上に乗っていた一部の陶器と彼の手だけだった。
 一瞬静まり返った室内に、どうしても耐え切れなかったのは小さな噴き出す音が聞こえてきた。
「っ、いや、失敬失敬」
 そうは言いつつも笑いが止まらない軍師は、口元に手を添えて震え続けている。それを皮切りに、席についている面々はしかめっ面を保つことが出来なくなった。次々と失礼、と言って肩を振るわせだした。バーンもまたわなわなと震えだした。それは当然怒りのためである。
「ルーベ・フィルディロット・ライザード卿!!」
 立場としては、彼よりも地位のあるルーベに向かって彼は怒鳴りつけた。この場においてはルーベは『王弟殿下』と呼ぶべき立場にあるのだが、今はあくまで『騎士団長』である、ということで扱われている。
 王弟としての立場を振りかざされてしまえば、彼らは決してルーベの言う事に逆らえなくなる。だがこの場で彼は、皇帝の臣下であり、国の一端を担う他の省長たちと立場は変わらない。
 故に、普段からルーベに良い印象を持っていない人間たちはここぞとばかりに畳み掛けるのであった。
 バーンが渾身の力を振り絞って吐き出した声で、顎に添えていた手がずれそのままルーベは頭を机にぶつけた。ゴツっという小気味の悪い音がまた室内に響くと、今度は誰も何も言わずに顔を背けてしまった。ただ軍師一人だけは正々堂々と笑い続けていた。
「ルーベ、ヴィッセン卿が心停止する前に起きれ。ぽっくり逝かれちまってもこっちが困るさ」
 まだ夢現を彷徨っているルーベの肩を小突くと、ようやく彼の黒紅色の瞳は辺りを見回した。意識はまだ完全に戻ってきてないのか、焦点は定まっていない。この場にシャーリルがいれば恐らく脳天に真空飛び膝蹴りを繰り出されていることは間違いないだろうと、軍師は思っていた。
「……ああ、会議中か」
 そういうとルーベは大きな身体をぐんと伸ばして見せた。甚だ緊張感に欠けた風景である。首を回すとコキコキと小さな音がする。純粋に寝不足であり、彼にしては珍しく体力を使ってしまっていたルーベは、はっきり言ってこんな下らない会議に参加しているぐらいならば、一時間でも仮眠を取りたい心境だった。
 理由は簡単である。仕事の合間を縫って、もう一度過去に現れた『鍵』についての文献をあさっていたからだ。今後、起こりうる何かから、か弱い少女を守る為に、何か出来る事はないか。
 例えば異世界の人間には魔術が効かない。それは、このシレスティア帝国においてはあまりにも有名な話である。歴史を紐解いていけば、異世界からやってきた人間は自分に対して攻撃をしてくる魔術は完全に無効化してしまう力がある。それがどうしてであるかは一部のものしか知り得ない歴史の真実。
 治癒の魔力は少なくとも異世界の人間に害を及ぼすものでないから、彼らは受け入れてくれるのだがそれでも完全に受け入れてくれるものではない。なので、当然かすり傷程度のカノンの傷でさえ多少なりとも回復は遅かった。
 それは以前、国に訪れた『鍵』も同じだったらしく、彼について知れば、今後カノンを守る役に立つ。それ以前に、『鍵』について知ることが出来るのであれば、ひとつでも多く知っておきたい。
 普段から騎士団長として多忙極まる日々を送っている彼が、その時間を捻出する為に何を削るかといえば睡眠時間であり、ルーベが体の連日の疲労に気付いた頃には、もう会議の招集がかかった頃だった。そのため、今の疲労感による睡魔からの誘いは不可抗力とも言っていい。
「騎士団長ともあろうお方が、そのように堕落されていたは困りますなっ!!」
 厭味を隠そうともせず、いっそ古来より使い古された言葉しか思いつかない彼をルーベはいっそ憐れんだ目で見ていた。
「以後、このようなことが無きよう気をつけます」
 何度も繰り返された言葉であるが、実際に実行に移されたことは皆無である。
「聞けば先日の夜会は皇帝陛下が貴方の為に開かれた夜会だったとか。いくら妻を娶ると仰られていても、このように不甲斐無い姿を見せてばかり女性も愛想を付かれるのでは?」
 鼻で笑ったバーンのの前に置かれていた陶器が急にピシっと小さな音を立てた。それは陶器が粉々に砕け散る、という程の事ではなく、ただ一筋亀裂が入っただけである。しかしそのような些細な音でも、静まり返った室内では嫌に響く。痛いぐらいの静寂が、室内に響き渡った。
「あーあ、オレしらね」と内心軍師は思って横目でルーベを見つめていたが、ふと、彼が邪悪な笑みを浮かべたため慌てて目を逸らした。こういう目をしている時のルーベは危ない、こうやって彼を怒らせることが一番危険であるということを知っている貴重な人間の一人が軍師、名をサナン・フィルア・レヴィアースと言った。焦げ茶色の髪を無造作に結び、髪を軽く掻きながら、緑がかった瞳はそっぽを向いており、表情は若干青ざめている。
「確かに、昨夜の催し物は私と私の妻となる者の為に開かれたものです。そのような会で不逞の輩のために台無しとされてしまった。……まるで私を厭う者が、みすみす不逞の輩の行動に目を瞑ったようですね」
 非常に安い挑発だ、と聴いている者も、無論発してる本人も思っていた。だが、安い言葉しか吐けない人間にとっては、充分な効果を発揮するのである。
「わ、我らの警備が甘かったというのなら、武人として甘んじて受け入れよう!! だがっ!」
「二度とこのような事が無きよう万全を期すつもりです。起こってしまったことはしょうがない、我らはそこから学ばねばなりませんね」
 普段このような喋り方をしないような人間がこのような喋り方をする時は、何かがあると思うのが人として冷静な判断である。
「喚き散らすだけなら誰でも出来るでしょう。我々は以降、また問題を起こすような事態が起こさなければよいのでは? また同じことが起きれば皇帝陛下から口先ばかりの無能者と思われるのも無理はないでしょうね」
 ルーベの瞳からは瞋恚の炎は消えることはなかった。もう一度溜め息をついたサナンはもう数分もすれば、この名ばかりの会議も終わりを告げるだろうと予感をひしひしと感じそれが実行に移されるのはこのあとすぐのことだった。

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