7.虚劇の終焉


「……誰?」
 そこに立っていたのは無言の青年だった。たった一振りの剣で、三本の剣を止めていた。それはどこか異様な光景である事に間違いなく、黒尽くめの男たちも覆面越しとはいえ戸惑っているのが伝わってきた。
 彼の事を、カノンは知っている気がした。
「シオン……様?」
 しかし、彼女の言葉は直ぐに打ち消される。
「エデル様っ」
 そうカノンの真横で叫ばれた声と同時に、ミリアディアから伸ばされた手が、カノンを離すまいと抱きしめる。けぶるような金色の髪を赤い紐で一つに束ねた姿しか、彼女の瞳にはまだ写らないがその姿は、一度会った第一位階の騎士を思い出させた。
 しかし、ミリアディアの口から出たのは違う名前。『エデル』と呼ばれた彼は、三本の剣を弾き返すと二人の方に振り返った。カノンの瞳と、彼の碧色の双眸が交わる。シオンとほとんど同じ色彩を有しているはずなのに、どこか鋭い印象を与える彼から彼女は視線を外すことが出来なかった。
「申し送れました、お噂はかねがね。私の名はエデル・ラウ・フェルマータ。第一位階の騎士です、お見知りおきを」
「えっ、あっ! ……よろしくお願いします……」
 カノンは脳内で彼の姓を反芻させた。そして、一つの答えを導き出す。この鋭くどこか冷たい印象を与える彼は『シオン・ザルク・フェルマータ』の血縁者だと。
「ミディ様」
「……あの方は、シオ様の兄君でいらっしゃるの」
「やっぱり」
 思わずカノンがそう呟くと、彼女は苦笑した。
「似て、いらっしゃるでしょう? だけど、シオ様の前で言っては駄目よ。彼はエデル様のこと、嫌っているから」
 そう言いつつ、片手でカノンを抱きしめたまま落ちた剣を彼女は拾う。この間も、男たちは襲ってこない。彼らの数的有利は変わっていないはずなのに、まるで予定外の出来事が起こったと言わんばかりに彼らを取りまいてざわざわとしている。
 彼女はただ彼の後ろ姿を見上げているしか出来ない。先程よりも、少し場が好転しただけであって、状況は決して良くは無い。そして何より、この男たちの前で魔力を消してしまった。それが今後どのような悪影響を及ぼすのか、それも彼女にとっての不安材料であった。
「来ないなら、こちらから行くぞ」
 カノンが悶々とそのようなことを考えていると、不意に風が動いた。それは人の命を狩ろうとする、……首を刎ねようと刃の迫る風鳴りだった。カノンは琥珀色の双眸をこれ以上出来ないぐらい広げ、誰かに頭を押さえつけられているかのごとく、目の前の陰惨たる出来事から目を反らすことが出来ない。あまりにも突然のこと過ぎて、本来なら襲ってくるであろう嘔吐感も、先ほどは熱いくらいの痛みを主張していた肩の傷も気にならない。
 彼は顔色一つ変えることなく、黒い屍を量産していく。
「はっ、話が違うではないかっ!!」
 エデルの刃を心臓に迎え入れる直前に、一人がそう絶叫した。しかし、その問いの答えは返されること無く、その男は床に倒れ、赤い血溜まりを作る仲間と同じ道を辿った。
 ヒュンっと彼が無表情に剣についた血糊を払うと、赤い飛沫が真っ白の床に散った。それはこの陰惨な情景に花を添えるだけだった。
 第一位階の騎士の実力は、彼らとの力の差を見せ付けた。適わない、と言わんばかりに逃げ惑う黒装束の男たちを逃がしてはいけないと思ったのか、カノンに再び防御壁を作ると彼女もまた立ち上がった。
 しかし、男たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていくのだが、それが途端に、不自然に止まった。そしてそのまま、ゆっくりと床に倒れ伏した。十人以上の大人が一斉に倒れだす様は不気味以外の何物でもなかった。
「……ミディ様?」
「わたくしじゃないわ……」
 ミリアディアは警戒を緩めず、ジッとエデルを見つめていた。
「じゃぁ……」
「いくら術力が強いといっても、……第一位階の騎士様だって出来るかどうか。勿論わたくしでもこんなこと出来ませんわ」
 カノンの言葉を制して彼女が言う。それを聞いてカノンは想像を馳せる。そして思い当たる節は一つしかない。

「カノン!!」
 誰も言葉を紡がなくなった三人の間に、別の声が響き渡る。
「ルーベ様っ」
「無事か、カノン」
「はい、でもミディ様が……」
 片手に剣を持ちながら、走り寄って来る彼は、途中に佇むエデルの前で止まってしまった。双方お互いを睨みつけあい険悪な空気が流れてしまう。
「ルーベ様、エデル様は私たちのことを助けて下さったんですっ」
 エデルを見たときの反応は、ミリアディアにしても、ルーベにしてもどこか過剰で、カノンは座ったままルーベに必死で声をかける。少なくとも彼に危害を加えられてはいない、むしろ危ない所を助けてくれた恩人なのだ。ルーベには誤解をされたくないというのがカノンの心情である。
 彼らはしばし睨み付け合うと、そのままエデルのほうがルーベに道を譲った。近くにある机の上にかかっている布で剣についた血糊を脱ぎ去ると、それを鞘に収め歩いていってしまった。
 ルーベは何も言わず、そのまま座り込んでいるカノンの元へと歩み寄った。そして、ミリアディアが張った壁を簡単に崩し、そっと彼女の頬に触れる。
 カノンの顔色は決してよくは無かった。青ざめた表情で、身体は心なしか震えている。無理も無いといえば、無理も無い。この年頃の少女が、目の前でこの凄惨な光景を目にする機会など皆無である。この場で嘔吐していても、気を失っていても、逆に気が狂っていても可笑しくはないのだ。視線をずらせば、肩口の布は裂けており、ドレスの下の方は所々誰かの血で汚れている。
「悪い、カノン。巻き込んで」
「そんな……。ルーベ様の責任じゃありません。お気になさらないでください」
「うん、でも。それでも、ごめん。本当に」
 ルーベはそういって彼女に頭を下げた。彼は身分上、立場上頭を下げるということをほとんどする機会はないだろう。それなのにもかかわらず。自然に頭を下げて謝罪を出来るルーベに、カノンは安心感を得た。似ても似つかぬ皇帝と対峙したせいもあるかもしれない。
「その肩の怪我は?」
「布が裂けて……。多少傷はついてますけど、血はもう止まってますから平気です。それよりルーベ様、お願いしますミディ様が!!」
「いえ、まずカノンを。申し訳ありませんルーベ様。お守りするとお約束しましたのに、カノンに怪我を負わせてしまいました」
 体中に浅い傷を持ち、呼吸も浅いミリアディアは表情を歪めてルーベに謝罪した。
「自分の力量を甘く見ていました。その甘さが彼女を傷つけてしまいました。申し訳ありません」
「そんなに自分を責めるな。……ありがとう、ミディ夫人。貴女がいなかったらカノンはどうなっていたか分からない。助かった」
 ルーベは彼女のほうを向いてそういうと、彼女の傷の手当てをしようとした。だが、それをミリアディアは決然として断った。
「わたくしのほうは自分でどうにかしますわ。ルーベ様、カノンを一刻も早くお屋敷につれて帰ってあげてくださいませ」
「ミディ様」
 心配そうに見つめるカノンの頭を、彼女は優しく撫でた。
「わたくしを見くびらないで。これぐらいどうとでも出来るわ。だから貴女は早くお屋敷に帰りなさい」
 それは優しく諭すようにミリアディアが言っても、やはり彼女の琥珀色は納得出来ないと語る。
「すぐ、シャルにこっちに来るように伝える。あれだけの壁を作ったんだ、体ガタガタだろう」
 ルーベが彼女を見ながら言うと、彼女は無言で苦笑する。そのわずか数秒後、彼らの元にシャーリルが現れた。
「ミディっ」
 そして直ぐに状況を把握し、自分のすべき事を彼は判断する。その場でミリアディアの治療を始めたのだ。傷口はたちまち塞がっていく。それを目の当たりにしたカノンはやっと安心したのか、体の力を抜いた。
 その姿を見て、ルーベも少し安堵の息をつく。
「じゃぁ、行こうか。カノン」
「はい」
 差し伸べられた手に、己の自分を重ねたカノンだったか、その次の行動である立ち上がる、という行為が中々出来ない。ミリアディアも、シャーリルも不信そうな表情で彼女を見つめていた。
 カノンは数度立ち上がろうと試みるも、やはりうまくいかない。そんな彼女の行動はどこか微笑ましく、ルーベもシャーリルもミリアディアも思わず口元に笑みを浮かべてしまった。
「わかった、もういいよカノン」
「えっ」
 立ち上がらないカノンは思わず声を上げてしまった。体がふわりと宙に持ち上がった。裾のほうについた赤い飛沫が、どこか目に痛いが、本人はそんな事に気を留めている余裕は無い。
 若干血がこびりついている大きな手がカノンを持ち上げる。
「シャル、全部済んだらオレのところ来い」
「ああ」
 首だけ少し曲げて後ろをルーベがシャーリルに言うと、彼もそれを了承する。一人ルーベの腕の中で真っ赤になりながら慌てているカノンにミリアディアは小さく笑う。
「カノン、捕まってて」
「でもっ」
「いいから、いいから。掴まってて」
 ルーベとカノンが決していい雰囲気ではない空気の中で数秒見つめあうと、彼女の方が観念をしておずおずと彼の首に腕を回した。それに満足したかのように鷹揚に頷いたルーベは彼女に柔らかに微笑むと、血溜まりが広がる中で一歩を踏み出した。
 彼は純粋に腰の抜けてしまった彼女を運ぶためにこの行動を取ったのかもしれないし、これ以上彼女を他人の血に汚したくなかったのかもしれない。それは定かではない。彼らの後姿を見つめながら、残された二人は微笑みあう。
「これで、くだらない虚劇……いや、茶番は終わりだ」
 そう、眠れる獅子が呟いた声は、抱かれた『鍵』にしか届く事はなかった。

 治癒を行いながら、シャーリルの瑠璃色の瞳はミリアディアを見つめた。
「……酷いね」
「すいません」
 大人しく治癒を受けながら、彼女は素直に謝罪を口にした。まだ混乱が収まりきらない空間の中で、二人は静かに治療を行い続けた。暖かな光を浴び、心地よい気分になりながら、急にはっと気がついて唇を開いた。
「……この会場に、他のレイターがいらっしゃいましたわ」
「……やっぱりね」
「お気づきになられていらっしゃったんですか?」
「これでも同じレイターだからね。元仲間だ、どんなに隠そうとしたってわかる。それで?」
 淡々とした口調で会話を続けていると、ミリアディアは再び苦笑した。苦笑せざるを得ない。自分の夫は全てを分かっているように思え、これ以上の言葉は無意味とも思えるが、言葉を続けた。
「……私の失敗で、あの子が……カノンが私の張った壁と、放たれた炎を消してしまうのを、奴等に見られました」
「………大なり小なり、これぐらい起こることは想定できてるから。気に病む必要はないよ」
 淡々とした言葉ではあるが、シャーリルは彼女を決して責めなかった。ミリアディアが最善を取ったことを彼は知っているから、彼は彼女を怒らないのだ。だからこそ、彼に安心して言葉を伝える事ができるのだった。
「その時、見たものを抹殺しなければいけないと思いました。エデル様もその時いらっしゃって……」
「エデルまでいたのか?」
「ええ、助けて頂きました。そしてその時、逃げ惑う黒装束の男たちの背を追おうとした時、彼らは一瞬で絶命しました」
 一度、シャーリルの手が止まり、瑠璃色の瞳がミリアディアを見つめる。そしてその後小さく笑った。それはどこか皮肉気な笑みだったのを彼女は見逃さなかった。
「シャーリル様?」
「うん、ありがとうミディ。おかげでおぼろげだったレイターの正体がわかった。まぁ二人に一人だからどっちにしたってあいつだとは思ったけど……」
 ブツブツと言いながら、治療を続けるシャーリルの姿を見てミリアディアは内心ほっとする。少しでも彼の役に立てたのならば、彼女にとって本望である。
 大体の治療が終わると、ミリアディアはカノンとは違い、颯爽と立ち上がった。
「わたくしはもう大丈夫です。体の方もどうにかなりました。早くルーベ様の所へ行ってくださいませ」
「それは出来ない」
 シャーリルはきっぱりと彼女に告げた。思わず彼女は意外そうな顔をしてしまう。
「ここでミディを置いていくほど、僕は薄情じゃないよ」
 そう言うと彼はスッと、彼女に手を差し伸べた。それは極自然な動作であったはずなのに、ミリアディアは目を大きく見開いてしまう。そんな伴侶の反応を見て、シャーリルが苦笑する。
「いつもアイツの側にいるけど、君を蔑ろにしているつもりはないから。一端屋敷まで行こう。その後でもルーベの所へ行くのは間に合う。……用件はわかっているしね」
 ミリアディアはその手をしばらく見たあと、ゆっくりとシャーリルの手に重ねた。中性的、どちらかといえば女性と見紛うばかりの美しさを誇る彼であるが、手を握れば嫌でも伝わってくる彼の『男性』としての姿。
 どこか夢見心地で横を歩く妻に向かって、シャーリルは言う。
「なんだったら、カノンのように運んでいこうか?」
 その言葉に、ミリアディアは面を食らってしまい何も言う事が出来なくなってしまった。喉でクツクツと笑うシャーリルを見て、内心人が悪いと彼女は呟かずにはいられなかったのだった。

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