5.仕向けられた剣


 華やかな晩餐会は、何事も無く進んでいく。紳士淑女が微笑みを交し合い、奏でられる旋律に乗って蝶のように舞う。どこか虚実的な雰囲気の会場内で、一人苛立ちを露にしながら葡萄酒を煽っている人物がいた。
 名をヴィーノ・ゼノ・フラジールという。艶の無い茶色の髪に、それよりも濃い焦げ茶。そして年齢相応の顔にはコレといった特徴は無い。このライザードの世の中に巣食う貴族の一人である。彼は今日何杯目か分からない葡萄酒を飲みきると、ギリっと奥歯を噛み締めた。最高の美酒が振舞われているにもかかわらず、彼の胸中は晴れやかではない。
「全てあの若造のせいだっ」
 彼の瞳は怒りに揺れていた。陶器を地面に叩きつける代わりに、自分の胸中に渦巻く言葉を吐き出す。今年で四十も越えるという年齢の彼は、いたくルーベを嫌っていた。皇祖帝の再来と言われるほどの才を持ち、民への信頼も厚い彼が、憎くて憎くてしかたがないのだった。
 ヴィーノは今でこそ財務省を司る文官であるが、もう十年前には誉れも高い騎士団の位階持ちだったのだ。しかし、それを断念せざるを無い事態に陥ってしまったのだ。油断をしていたとはいえ、当時十四歳のルーベに両肩の靭帯を壊されていた。当時『王弟だからといって』と目を付けられることの多かったルーベに当然のように目をつけた彼は見事返り討ちにされたのだ。
 周りには多くの人もいての醜態に、ヴィーノはこれ以上ない屈辱を受けた。元々の性格上、人望がそれほどなかった彼に対する治療が遅れ、日常生活を送るには差しさわりが無い程度には回復したのだが、前線で剣を振るうことは出来ないという深刻な傷跡を残した。
 さして戦いの多くないシレスティア帝国の中ではそれでもよかったのであるが、彼の誇りがそれを許さなかった。貴族である親が口を聞いてくれたおかげもあり、文官の地位に今では納まっている。命を賭ける心配もないし、怪我をする恐れもない。それでいて金を得られるのならばそれ以上の事はない。しかし、だ。
 それはあるいは、順風満帆に成功への道を進み続けるルーベに対する、弱者のやっかみ以外何物でもないのかもしれないが、それでも確かに様々な要素の元、ヴィーノは彼を嫌っていた。

「そのようなお顔をされては、せっかくの美形が台無しですよ? フラジール卿」
「……これはこれは、リファーレ卿!」
 ヴィーノの傍らに辿り着くまでに、一体どれほどの女性の申し出を断ってきたのかわからないぐらいの美貌を持つ人物。ヴィーノと年齢はさして変わらないというのに、艶やか黒髪を肩口で揃え、宝玉のように紫紺の双眸は柔らかに細められている。どこか不思議な雰囲気を醸し出している彼の名は、フォルゼ・リア・リファーレと言う。
 皇帝の補助役として国政にたずさわる国務省に席を置く実力者だった。その実力は頭脳、そして華奢な身体つきからは創造つかないほどの魔力にある。レイターに継ぐほどの魔力を持ちながら、体力がないと自ら意志を示し、文官の地位を確保した彼は計り知れない何かが常に垣間見えている。
 フォルゼは優雅な微笑みを絶やすことなく浮かべ、手に持っていた杯の一つをヴィーノに手渡した。
「このような宴です、卿も一曲ご夫人と踊ってくればよろしいのに」
「いやいや、このような男と踊りたい女性などおりますまい。それよりも卿ならば、引く手数多でしょう? お羨ましいことだ」
 レイター・シャーリル・フィアラートと同様中世的な美貌を誇るこの明晰の文官に、ヴィーノは軽い厭味を込めた言葉を投げつけるながら、彼から杯を受け取るが、とうのフォルゼは顔色一つ変えることは無い。
 一口、二口彼らが杯の中身を飲むと、ふいにヴィーノが歪んだ笑みを浮かべて言った。
「卿の聞きたいことならば、しっかりと手筈は整っているのでご安心なされよ」
 ヴィーノは妖しく笑う。それを聞いたフォルゼは相変わらず笑みを浮かべたまま崩れない。
「この宴に乗じて奴を殺せれば一番いいのですがなっ。恐らくそれは無理でしょう。だが、奴の連れてきたあの女ぐらいならば……」
 不気味なほど歪んだ笑みを浮かべたヴィーノの口調と声量は語尾に近づくほど大きく、そして強くなっていく。
「……卿はこのような人ごみの中でもそのような言葉を口に出来る勇気をお持ちの方だ。私には到底真似できないことをなされる」
 風が木々の葉を揺らすように静かに、ただし底知れない何かを言葉に秘めたフォルゼは杯をその美しい口唇から放して頭の足りない愚者に言った。これだけはっきりと言って、もしヴィーノが気付けなければそれはそれで大物だろうが、小物らしく言葉の意味に気がついた彼は顔色を咄嗟に変えた。
「も、申し訳ない。軽率だった」
「お気になさらずに。それほどまでルーベ様を厭う気持ちは誰でも持っております」
「そ、そうだな!」
 彼の表情は、先ほどまで青ざめていたものとはうって変わり、それはそれは晴れやかな顔をしていた。そして自分の考えをまくし立てるようにフォルゼにつたえる。
「皇帝陛下には危害を及ばせぬようにしてある。あくまで標的はあの若造……」
「ですがあからさまにルーベ様を襲わせては足がつきやすくなりなすよ? 私以上に貴方のほうがルーベ様お嫌いだというのは皆が知るところ」 
 しかし、フォルゼはその勢いを制止して、あくまで静かに言葉を紡いだ。ヴィーノの顔は一瞬硬直し、まるで彼が何を言っているか理解が出来ないという表情を浮かべた。
「リファーレ卿?」
「皇帝陛下にも少し刺客を差し向けてみたら如何でしょう」
「なっ」
「そうすればルーベ様だけではなくライザード一門に対する恨みで動いたと人は思うでしょう」
 困惑を隠せないヴィーノに、フォルゼはゆっくりと、それはそれは柔らかな声で言葉を紡いでいく。そしてそれはどこか魅惑的な香りを放つ何かのように、ヴィーノの体の中に浸透していった。
「貴方ほどの頭脳があればこれぐらい容易いことだ。……ですよね、フラジール卿」
「そ、そうだな、貴殿の言うとおりだ。聞こえているだろう、そのとおりに動けっ」
「………御意」
 ヴィーノの声に反応し、複数のくぐもった声が多方向から響く。それは細波のような小さな音で、楽しげに会話を弾ませている人々の耳には全く届いていない。
「すべては我等が皇帝陛下のため」
「そうだ! 全ては我等の皇帝陛下の御心を乱す、反逆因子を孕むあの小僧を消すため!! 大儀は私にあるっ!!」
「ええ、そうですとも」
 これほどまでに完璧な笑みを浮かべられても、その違和感に気がつくことの出来ないヴィーノは近くに置かれている葡萄酒の入った杯を再び煽った。今日何杯目かも分からない酒は、彼の中にまだ少しだけ残っている違和感を打ち消すために必要なものだったのかもしれない。
 結局その些細な違和感は、主の意志によって無視され忘却の彼方に飛ばされることになった。


「!!」
 ざわつく会場内の中、その華やかな空気の中で何かが変わった。その不穏な空気を読み取った数少ない人物達は、周囲に警戒をし、自らの腰元に下がる柄に手をかけた。
「え?」
 カノンは会場内の空気が変わった、というよりも先ほどまで談笑していたルーベやミリアディア、そして第一位階の騎士たちのまとう空気が様変わりしたことに驚いて声を上げる。
「どうやら鼠が動き出したようですね、団長」
「そうみたいだな」
 どこか嬉しそうな表情のヴァイエルを諌めることもせず、ルーベはカノンの肩をそっと掴むと、そのままミリアディアに彼女を預けた。不安そうにカノンは琥珀色の瞳を上げてルーベを見つめるが、彼の黒紅色の瞳は柔らかに微笑み、彼女を安心させようとさせていた。
「ミディ夫人、カノンを頼む」
 ええ、とミリアディアはカノンの肩をそのまま抱く。その手は暖かく、固まった彼女の身体は少しだけ柔かくなった。
「お任せください。カノンには指一本触れさせはしませんわ。そのためにわたくしはここにいるんですもの」
 ミリアディアは鋭い眼光が消えない笑みを浮かべてルーベに答えた。
「元は神聖騎士団に所属されていた方だ。その技を間近で拝見できないのが残念です」
「現役を退いて長いですから、皆様と肩を並べて、となると足手まといにしかなりませんが、自分の身ともう一人ぐらいでしたらどうにでもなりますわ」
 彼女は、どこからか取り出した剣を手に持ち微笑んだ。
 ジェルドの言葉にそう答え、会話を展開させていると、どこからか硝子が砕け散る音と、人々の恐怖に彩られた悲鳴が会場内を木霊した。
 それは波紋のように会場に広がり、逃げ惑う者、泣き叫ぶ者と混乱と恐怖だけしか残っていない空間を作り上げる。警備として配置されていた騎士も、人目を盗んで酒を煽っている者が多く一緒になって悲鳴を上げている者さえもいる。
 それ以外の騎士以外は、抜刀し、ことの原因を見定めようと目を凝らしていた。
「団長の嫌な予感は本当によく当る」
 ディアルが楽しそうに笑みを浮かべると、ルーベは眉間に皺を寄せてしまった。
 カノンは咄嗟にルーベに向かって伸ばした手を引っ込めた。硝子が砕け散る音に彼女は反応し、身を竦めてしまう。彼女のその不安げな表情を捉えてしまったルーベは、思わずカノンの頭を撫でた。
「大丈夫だ。カノンを傷つけさせるようなまねは、誰にもさせない」
 そう言い切ったルーベの言葉には、何よりも強い意志が宿っているように感じられた。もう一度彼はカノンに微笑みかけると、彼は身を翻した。鮮烈な緋色のマントが翻ったのを合図に、紫色のマントを身にまとう者達も、彼に続いた。
 緋色をまとう背中が、怒りを物語っているのを感じながら。彼らは騎士団長たるルーベに続いていった。
「ルーベ様が心配……よね。無理もないわ」
 ミリアディアがカノンに言った。恐らく彼女は苦笑しているだろう。
「す、すいません」
「怒っているわけじゃないの。心配して当然ですものね。でも、大丈夫よ、彼は、この国で一番強い人だから」
 鞘から剣を抜き放ち、彼女は自らの繊細な生地で作られたドレスを切裂いていく。
「ミ、ミディ様っ!?」
 むき出しになる白い脚を見て、思わずカノンは前に出そうになるがそれをミリアディアが制止する。
「こんな長いドレスじゃ、動きにくくてしょうがないでしょう? 主人は怒るかもしれないけれど……」
 彼女が話している間に、どこからか風を切る音が聞こえてきた。そちらの方向をカノンが向いたと同時に、カノンより一メートルぐらい離れた所で何かが止まって地面に落ちる。
 それは弓であり、一直線に空を走り、カノンを狙って飛んできたものだった。思わず彼女が顔面蒼白になっていると、ミリアディアはやはり微笑んでいった。
「今は緊急事態ですもの」
 飛んできた弓を瞬時に止めてしまうミリアディアの魔力も、恐らくこの世界では高位に属している物なのだろう。せっかくのドレスを膝丈まで切り落としたミリアディアの姿は凛々しい騎士のようだった。
 現実離れしすぎた、この十七年間一度として自分が遭遇した事の無い緊急事態に直面したカノンは、せめて迷惑はかけないように大人しくしていようと心のなかで硬く誓っていた。


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