4.紫色の平行線


 しばらく貴族の相手をしていると、自然と人の波も引いてくる。その頃を見計らってか、また別の一団が彼女達の前に現れた。
 紫色のマントを翻し、颯爽と現れた人物たちに彼らを取り巻いていた貴族たちが蜘蛛の子を散らすようにその場から離れていく。彼らが現れただけで、周りの空気が様変わりした。紳士たちは実を固まらせ、貴婦人たちはほぅと熱っぽい溜め息をつき、彼らに視線を送る。
 全員が彼の前で略式の礼をとると、小さく頷いてからルーベが普段の力を抜いた声ではなく、騎士団長として、彼らに声をかけた。
「お前らもきていたのか」
「ええ、それは。団長の姫君を一目見ておきたくて、わざわざはせ参じて見ました」
 顔を上げた青年たちが、口々に彼に挨拶していく。ルーベより一歩後ろに控えているカノンは、彼らが揃い踏みしている姿はまるで技手が腕によりをかけて描いた一枚の絵画のように思え、思わず見惚れてしまった。この世界には、見目麗しい人物が多いと彼女は内心思っていた。
「あの方々は、第一位階の騎士様方。ルーベ様の部下の方々です。安心して」
「はい」
 小声でそう教えてくれたミリアディアの存在に気が付いた騎士たちは、貴婦人に対する礼をしっかりと彼女にも取る。それを動じることなく受けてしまうミリアディアも十二分にすごい事だとカノンは思った。彼らと並んで見劣りしない女性は、流石に少ないだろうと彼女は感じる。
「お久し振りです、フィアラート夫人。相変わらずお美しい」
「まぁ、お上手。ですが、皆様のような素敵な殿方に言われて悪い気はしませんわ」
 花が綻ぶように微笑んだミリアディアに一頻り彼らが挨拶を交わすと、視線と注目はその隣に佇むカノンに注がれた。 
「……これはこれは、貴女が噂の姫君ですね」
「噂通り、お可愛らしい」
「初めまして、第一位階の騎士様方。カノン・ルイーダ・シェインディアと申します」
 カノンは今日何度目かわからない挨拶を笑顔で発した。その姿を見た第一位階の騎士たちも、数名柔らかな笑みを浮かべて彼女の手を次々取っていく。
「初めまして、私の名はジェルド・ゼル・メイクです。以後よろしく、可愛らしい姫君。」
「御機嫌よう、姫君。私の名はディライト・フェイル・アースと申します。どうぞお見知りおきを」
 まず前に出たのはジェルドとフェイルだった。明るい茶色の髪を一本に結び、紺瑠璃色の瞳細め微笑んでいるのがジェルド、そしてフェイルは深緋色の瞳に浅梔子色をした絹のような短髪。それぞれが剣を持って戦うという印象がないぐらい、優しげな雰囲気を醸し出していた。腰に帯びている剣と彼らの雰囲気が合わないとカノンは内心思う。
「オレはヴァイエル・グライドです。お見知りおきを」
「ディアル・マドリードだ」
 大柄の男の銀色の瞳で無造作に紫黒色の髪をひと括りにしている人のよさそうなヴァイエル、ディアルは、赤銅色の髪を後ろに流し、この宴事態が下らないと語る瑪瑙のような双眸を持っている。それに彼には左目に縦に一直線の傷がはっきりと残っていた。二人は歴戦を勝ち抜いてきた戦士という風貌で、剣を持っていても何の違和感もないと彼女は感じていた。
 一頻り彼らの挨拶が済むと、直ぐに彼らの視線はルーベに戻った。フェイルはルーベに問うた。
「そういえば、団長。シャーリル殿はどこへ?」
「ああ、アイツは別件で用事。でも会場にはいるぜ」
 ルーベは葡萄酒入りの陶器に口を当てながら答えた。
「それはわかるんですがね。団長の周りに大抵いるから、どこへ行ったのかと思いまして」
「何か物騒な問題でもおありですか?」
 朗らかに笑うジェイルと、不敵に笑うディアルが対照的にカノンの瞳に映る。
「ハハハ、そうかもな。……やっかいなことには変わりねぇよ」
「それは団長の例の直感ですか?」
「そうだな」
 ルーベの表情は少しだけ真剣みを増し、声の高さが下がる。それはいつもカノンに優しく接してくれているルーベの姿ではなく、騎士団長としての彼の姿なのだと否応無く彼女の目に写った。先ほど挨拶をした皇帝よりも遥かに強い何かを感じ、カノンは恐怖よりも安堵感を感じてしまった。
 しかし、驚きは隠せない。隣にいるミリアディアは白魚のような手でルーベの腕を引いた。
「ルーベ様があまり怖いお顔をなさると、カノン様が驚いてしまいますわ。今日はせっかく陛下が開いてくださった晩餐会ですもの、楽しみませんと」
 数秒ルーベとミリアディアの視線が交わる。それはまるで視線で相手の思考を読み、会話を成立させているようだった。
「……そうだな。悪いな、カノン。怖がらせて」
「いいえ」
 ふっと微笑んでカノンの柔らかな髪を撫でたルーベの表情は、いつもカノンに接している時の優しい表情であった。



 窓の側には、深紅の幕が下がっていた。窓から吹いてくる風に揺られて赤い布が揺れる。その影に二人の人間の影がある。
「久しぶりだね、エデル」
「……シャーリルか」
「元気そうで何より」
「お前もな」
 互いに背を向け、視線は絡み合う事は無い。そこにあるのはただの静。声だけが彼らに交流を持たせる唯一の手段だった。少なくともこの場においては。
「……君はいつまでそんな茶番を続けてるんだ? 皇帝が何を考えているかなんて、君にだって分かっているだろう?」
「我が忠誠は皇帝陛下にのみ捧げた物、お前のような変わり者と一緒にするな」
 言葉に棘を含み、相手を傷つけようと本気で思うなら、彼らは決してこのような生温い会話をすることはないだろう。これは意味を成さなず紡がれた言葉。誰の記憶にも留まる事は無い、そう彼らの中にも。
「それを素面で言っているなら、君は大したものだね」
「………」
 エデルはシャーリルの言葉を返さなかった。エデルは黄金色の長い髪を一本に結び、その碧色の双眸はどこを見つめているのかわからない。対するシャーリルは黒髪の腰より長くのびた真直ぐの髪を風に遊ばせ、瑠璃色の瞳はまた別の場所を見つめた。
 二人の対する姿は、貴婦人たちの好奇の視線にさらされているが、その中に混じる異質な視線に意識を向けながら無意味な交わりを続ける。
「お前は何をしてる?」
「別に」
「ルーベに何かを言われてるんだろう?」
「さてね。言われていたとしても、今は皇帝側に立っている君に教えてあげるほど、僕は優しくないよ」
「だろうな」
「……今日はシオも来るよ」
「そうか」
「………」
「………」
 二人は浅く笑った。下らない会話に二人は笑った。そして暫しの沈黙が降り注ぐ。二人が会話が途切れた瞬間を見計らって給仕が葡萄酒を彼らに持ってくるが、それをはっきり断ると、また言葉を紡ぎ始める。
「君はここで何をしてるの?」
「オレもお前に答えてやる義理は無い」
 これ以上の会話は無意味とエデルは言外に語っていた。それはシャーリルも知るところではあるが、それでもこの会話は続く。
「何かがここで起こることには間違いない」
「だろうね。不穏な空気が揺れてる。あからさま過ぎるけど」
 シャーリルは自らの髪に指を通す。さらさらと黒髪が揺れるのをしばらくエデルが眺めると、彼はそのまま移動を始めた。
「どこに行くんだい?」
 彼はエデルの背中に問いかけた。
「お前には関係あるまい。オレがどこへ行こうと」
「……そうだけどね」
 シャーリルの声はどこか寂しげで、エデルの声もどこかそのような雰囲気を醸し出していた。ただの騎士同士なら、このような雰囲気を醸し出さないかもしれない。それは道を違った友との決別、それは次にいつ会うことが出来るかわからない戦友との別れに似ていた。
「シオによろしく伝えておくよ。君も精々死なないように気をつけて」
 エデルは歩みを止め、顔だけシャーリルのほうを向けた。その碧色の双眸には冷たい瞳ではなく、シャーリルを一人の人間として、そしてその先にある人物さえも見つめたどこか暖かな瞳で言葉を紡いだ。
「お前もな。……ヤツにもそう伝えておけ」
「わかった」
 踵の音が序々に遠のいていく。己と同じ紫色のマントが人ごみに消えていくのを見送りながら、シャーリルは思わず溜め息をついた。戻って来い、といったところで彼は帰ってこないだろう。彼が皇帝についたのは彼の意志であり、誰も強制をしていない。
 しかし、彼の後ろ姿を見るたびに、手を伸ばせば届きそうな距離を感じるたびに、諦めきれない自分を感じ、シャーリルは自分自身に苦笑する。どこまで自分は甘いのか、と。
 遠のく踵の音と、そして自分の甘い気持ちを打ち消すかのように、別の音がシャーリルに近づいてきた。気配だけですぐわかる人物に苦笑する。
「シャーリル殿っ」
「ああ、シオ。今ついたの?」
 シャーリルは背後から走ってきたのに息一つ乱していないシオンのほうを向いた。
「はい。カズマ殿ももうカノン様たちの所に行っています」
「そう」
 簡単な報告を済ませると、シオンはギッと目つきを鋭くし、まるでシャーリルを責めるような目で睨みつけた。
「今、アイツと話してませんでしたか?」
「アイツ?」
「エデルです」
「……ああ、いたね。そんな人」
 そしらぬ顔で言うシャーリルに腹を立てているのか、それてもエデルに腹を立てているのか、シオンの整った顔は怒りで歪んでしまう。それさえもシャーリルは苦笑して見つめる。
「クソッ」
「そんな顔をするものじゃない。せっかくの晩餐会だ」
「アイツが同じ空間にいるというだけで胸糞悪いです」
 相変わらず怒りを隠そうとしないシオンの顔は恐ろしい形相のままだった。成長しきれない彼を見ながらシャーリルは問いかける。
「君もそんなに嫌い? 実の兄が」
「アイツがオレの兄なんてっ!! 血が繋がっていることだって腹立つのにっ!」
 いきなり怒鳴り声をあげたシオンに、何を話しているのかこちらの様子を伺っていた女性たちが小さな悲鳴を上げる。
「シオ、ここは晩餐会の会場だ。むやみやたらに声を荒げるな」
「……すいません」
 シオンは素直に謝罪をするが、やはり仏頂面には変わりなかった。いつまでも一点だけが成長しきれない彼を見て、シャーリルは小さく笑う。エデル・リラ・フェルマータとシオン・ザルク・フェルマータ。二人は名門フェルマータ家の長男と次男。家督を継ぐのは文武両方に長けるエデルだろうと、それは貴族なら誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。
 エデルとシオンは幼い頃から比較されて育ってきたのだった。決してシオンが出来が悪いわけではないのだが、何でも人並み以上にこなしてしまう兄に人は重きを置いてしまう。兄と比べて弟は……と、貴族たちは彼を見下した評価を与える事が多々あった。決して兄に劣るまいとして、シオンは多方面にわたって努力を惜しまなかった。
 結果、二十二歳という若さで第一位階の騎士として任ぜられたのだが、ここにも越えられない壁が存在していた。
 悶々とした表情のままのまだ幼さが残る騎士にシャーリルは声をかける。
「そんな顔をしているなよ。……これからなんだから」
 彼は軽くエデルの頭を叩いて、視線はやはり人ごみの奥を見据えていた。何かが、起こる。と自分の中の何かが告げるままに、シャーリルは周囲への警戒を強めていったのだった。


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