15.未来を謳う者たち


 目を瞑っている為、あたりの変化は分からない。しかし、瞳を閉じて再びそれを開いた瞬間に見る世界は、元いた場所ではない。カノンがSFの世界で言うところ瞬間移動を体験するのはこれで二回目である。ふわりと風が駆け抜けた後そっと目を開けたときに様変わりしている風景を目の当たりにするのは少し妙な感覚がする。
 そしてこの空間転移は魔力があるもの同士であるならば、身体を必要以上に密着させる必要性はないのだが、カノンの場合それが皆無なので密着せざるを得ない。肩を抱かれている状態でも、こんな絶世の美青年に接触する機会さえもないカノンにとっては心臓が悪い以外証する事が出来ない。
「気分とか、悪くなってない?」
「はい、大丈夫です」
「そう? 良かった」
 二つの国が争った上に滅んでしまった傾国の美女はきっとこんな笑顔をしていたのだろうとカノンは思ってしまう。彼の微笑を見ただけでも心臓が高鳴ってしまう。これはほぼ条件反射に近いかもしれない。シャーリルとルーベが並んでいる姿はまるで一枚の絵のようだった。
 あまりにも自然にそこに佇む二人を見つめて動けなくなってしまう侍女も多いと、ルイーゼから聞いた事もある。二人に見ぼれて一瞬動作を止めてしまっても、誰も咎められないだろう。そんな事を思いながらカノンは彼の傍らに並び歩き始めた。
 華美すぎない装飾に覆われた室内を歩きながら、とりとめもない会話をしていく。ルーベと会話しているより、シャーリルと会話をしているほうが一日のうちで多いぐらいだった。話し易さならルーベもシャーリルも変わらない、かもしかしたら彼のほうがどこか近寄り難い雰囲気を持っているのにもかかわらず。おそらくミリアディアというこの世界で今最も親しくなった女性の旦那であるということが原因だろうとカノンは冷静に思っていた。
「今日、会議だったんですか?」
「ん? ああ。うん、軍事予算会議」
「……軍事予算会議」
 軍事予算会議といえば、地球で戦争を起こした国の軍事予算が何億上がったとか、世界一の人口を誇る国の予算が年々三パーセントずつ上がっているとか、テレビでそう報道されている予算の事だろう。カノンにとってはその程度知識しか持ち得ない単語である。
 鸚鵡返しに答えてみたものの、いまいちピンとこない言葉を聞いたカノンは思わず小首を傾げてしまう。一方その単語を口に出したシャーリルは舌打ちをする。まるで不快なことを思い出したような雰囲気だった。そこで何があったのか、と聞く前にルーベの部屋に着いてしまった為、会話はここで打ち切りである。
 恐らく室内にいるルーベとその話をするのだろうと思いながら、彼女は扉を控えめに叩いた。
「カノンです。ただいま帰りました」
 そう告げるも返事は返ってこない。もう一度同じ動作を繰り返すが、やはり返事はない。何かあったのではないかと脳裏に不吉な予感がよぎり始めた時、シャーリルは溜め息を付きながら無言で扉を開けた。
 ルーベの執務室は大きな執務机とそれに見合う膨大な容量を締める本棚。ここで簡単な話し合いが出来るように悠々と十人は座れそうな机と椅子が離れた所に備え付けてある。必要最小限のものが機能的に配置されている色味も味気もない部屋だった。
 その部屋の一番奥にある机の上に、これでもかと言うほど書類が置いてある。その奥に、赤茶の髪が伺える。時々その髪がさらりと流れるのが見えるため、ルーベの身に何かあったわけではなさそうでだった。それに安堵しているとシャーリルは真顔で、赤い絨毯が敷き詰められた室内へと早足で入っていった。
 そしてそのまま書類が山のように積まれている焦げ茶色の机をバンっと両手で叩いた。赤茶の髪はビクっと反応し、書類の隙間からルーベの顔が見る。壮絶な笑みを浮べているシャーリルであったが、まとう雰囲気は怒り以外を読み取る事は出来ない。カノンは何も言えずただその場に立ち竦むだけだった。
「………で? 何で寝てるかな騎士団長は」
 壮絶な笑みを浮べているシャーリルであったが、まとう雰囲気は怒り以外を読み取る事は出来ない。カノンは何も言えずただその場に立ち竦むだけだった。
「んあ? あ、シャル、カノンおかえりー」
 書類の向こうのルーベの表情まで、カノンの立っている場所からは見えなかったが、彼が全開の笑顔で微笑んでいるということだけは感じ取れた。ルーベという人物はそういう人物である。それを理解してなお、シャーリルはもう一度己の手の平で机を破壊せんばかりの勢いで叩いた。
「お前ってヤツはーっ!!」
「おわぁっ! 何怒鳴ってんだよ! いきなりなんだよ!」
「おかえりー! じゃないだろうっ。」
 シャーリルはこめかみに指を当てながら、ルーベに言う。
「書類読みながら寝たり、会議中に堂々と寝てる騎士団長何て国の歴史を紐解いてもお前ぐらいだっ!!」
「案外英雄帝だって、会議退屈して寝てたかもしれないじゃねえかよ!」
「じゃあ寝るにしても周囲にばれるような態度で寝るな! 目を開けて寝ろ!!」
「無茶いうな!!」
 彼らの会話はどこかかけあい漫才に近いものがある。
 闘神に愛され、全てを平伏させる力を持ち、自らが新たな王となった偉大なる皇祖に対してそれはあまりにも侮辱であった。少なくとも歴史書に、皇祖帝が書類を読んでいる最中に居眠りをしたり、会議中に堂々と寝てしまっているという事実は記されていない。
「会議で何かあったんですか?」
 恐る恐るカノンが二人に問うと、盛大な溜め息をついたシャーリルが首だけ彼女のほうを向きおいでと手招きをした。カノンは二人のやりとりに硬直してまだ入り口付近で歩みを止めていたのだ。失礼しますと頭を下げて、カノンは静かに中へ入っていく。
 彼女がシャーリルの斜め後ろで止まったあたりで、彼は小さな溜め息と共に言葉を発した。
「全く、あそこで反論しないお前の気が知れない」
「だったらシャルが反論すりゃよかったじゃないか」
「分不相応だろう。お前がいるのに、どうして僕があの場で発言できる?」
「オレは気にしないけどな」
 机の上の書類を、床に下ろして二人の顔がちゃんと見えるようにしているルーベを見ながらシャーリルは天を思わず仰いだ。恐らくは重要書類たちであろう書類はドサドサと床に置かれていく。時に数枚山から落ちるも、ルーベは全く気にしていない様子で、それは後で拾われるのだろうか、いや、拾われるはずもないという二重否定がカノンの脳裏で展開されていく。
 ……ルーベと言う人物はそういう人間である。
「地位と権力に酔いしれている連中は気にするだろう。お前が寝てないで少しでも反論を口にしてくれていたら僕も助け舟出したさ」
「だってホントにいらねーと思ったんだもん」
「だもんとか言うな、いい年した大人が」
 ルーベの楽観思考は聞いている人間の偏頭痛を誘う。カノンが何がなにやらという顔をしていると、シャーリルがすまなさそうな顔をして彼女を見た。
「ごめん、話が逸れたね。簡単に言えば、軍事予算が増えたんだ。それも大幅に」
「……何の前触れもなしにですか?」
「そう。何の前触れもなしに」
「……妙、ですね」
「そう。妙なんだよ」
 カノンが口にする言葉を肯定しながら、ギロリとルーベを睨む。無知なカノンでも妙だな、と思う程度にはおかしいことなのに、減らされて本来一番不信感を抱かなければならない騎士団長は至って平静である。
「これがどこか地方で反乱が起きたとか、ディジー・アレンが叛旗を翻したとか、具体的な害があってあがるならわかるんだけど。何の前触れもなく、いくらでも隠蔽しようがある財が降って来ると疑心暗鬼にもあるさ。普通の人間はね」
 何か含みのあるシャーリルは一端言葉を切ってから、再び言葉を紡いでいく。
「これから先、正直どう転ぶか分からないにしても、誰でも不信感を抱くだろう?」
「そりゃまぁそうだけどな」
「君、それで会話を終わらせるつもり?」
「これ以上何かあるのか?」
 真顔で問い返されたシャーリルは、拳を握り締め彼の頭を強く叩いて見せた。
「……この中に、脳味噌は入ってるか?」
「入ってるって!」
 しかし、さして痛いという素振りさえ見せない騎士団超に、シャーリルは盛大にしたうちをする。
「大嘘な上に非常に腹が立つからから、世の中に詫びて死ぬがいい」
 真顔で答えたルーベに、花が綻ぶような可憐な笑みを浮べてそう言ったシャーリルに、彼は酷いっと指を指して講義するも、彼は一切合切彼の言葉を無視である。一頻り彼がシャーリルに文句を行った後一拍の間。
 次の瞬間にはルーベの天真爛漫と称してもさして問題のない表情が一変し、獰猛な肉食獣を思わせるような鋭い眼光を宿した『男』に変貌した。思わず息を飲んでカノンは彼に見入ってしまう。時折見せるルーベのその表情は普段の彼から想像もつかないほど怖い。全てを射殺すような瞳に囚われて動く事すらままならなくなる。普段のルーベが本当の姿なのか、この野獣の瞳を持つルーベが本当のルーベなのか、その辺りはまだ判断がつかない。
「いいじゃねぇか、別に」
 さらりとそう言ったルーベは嫌に挑発的な笑みを浮べてシャーリルを見た。彼もルーベのその視線に真っ向から対峙し、彼の言葉を聞く。
「思惑に乗ってやろうぜ」
「……乗るしかないだろう。決まってしまったことだ」
「何かあったとしても、易々と潰れるほど、オレの騎士団は柔じゃねぇよ」
 だろう? と言ったルーベの過剰とも取れる自信は一体どこから来ているのだろうか。しかし、彼が口にした言葉は全て実現してしまうだろうと、聞いている人間が確信を抱いてしまうほどの力があった。実際にどうにかしてしまうのが、ルーベの力量だ。誰よりも彼を理解し、誰よりも彼の側にいたシャーリルはそれを知っている。
「………わかった」
「ありがと、シャル」
 ニッと微笑んだルーベは、今度はシャーリルの隣にいるカノンの方に視線を向けた。しかしその視線は相手を萎縮させる威圧的なものではなく、どこか優しげな光が宿っているものであった。おかげでカノンもいつの間にか強張っていた肩の力を抜く事が出来た。
「カノン」
 呼ばれたなは何か特別な響きあがあるように感じた。その声は心地よくカノンの中に沈んでいく。
「はい」
「今日の会議でも言われた。お前のこと」
「……はい」
 ただでさえ地位が確立しているルーベの婚約者としてこの世界にいさせてもらっているのだ、それぐらいのことが起こるだろうことは予想済みだったので、さしと驚きはしない。しかし、このことでルーベたちに迷惑をかけてしまうかもしれないということが、カノンにとって一番の心配だった。
「金と権力と地位に魅入られた連中はうるさいのばかりだ。……多分晩餐会でカノンに対する風当たりもきつくなると思う」
「覚悟してます」
「でも、オレが護るから」
 一瞬その言葉の意味が分からず、カノンは呆然と彼を見てしまう。ルーベはそんな彼女の視線を受けながらやさしく微笑んで言葉を続けた。
「何があっても、オレがお前を護るから。だから堂々と胸を張っててくれ」
 それは覚悟を決めた者の言葉だった。もう誰も失いたくない。もう誰も、何も失わない。戦うと決めた。もう何も迷わない。金が減らされた程度の攻撃など、痛くも痒くもない。本当の痛みを知っているからこそ、ルーベは今の状況を鼻で笑っていられるのだ。
 その思いを垣間見たシャーリルはもう何も言わずに彼らを見つめていた。
「信じて、カノンも頑張ってくれるか?」
 先は見えず、決して楽観できない。どうすれば地球に帰れるか何て考える余裕もなくて。だけど今は……。
「勿論です、ルーベ様」
 ルーベのために、出来ることがあれば全力で取り組もうと改めて強く強く思った。どれほど力になれるか、それどこか足手まといになることのほうが多いだろうがそれでもこの人の側にいたいと、名もない思いを胸に秘め、カノンはにっこりと微笑んだ。
「ありがとう、カノン」
 二人は視線を合わせ微笑みあった。この瞬間が全てであるように。

 誰かがどこかで笑った。それは歓喜の声であったかもしれない。それは密かに零れた物であったかもしれない。ただ、声がどこからかした。小さな笑い声は何を意図するものか、誰にも届かなかった声は、何事もなかったように空中に霧散する。
 これから先剣を継ぐ者として、これから先<<鍵>>として、彼らは歩んでいくのだ。期待と決意と祈りと、様々な人の思いが交錯して行く中、誰もがわからないこの先へ。
 遠からぬ未来に知ることになる事象は、まだ誰の脳裏にも描かれていない。一度動いた歴史の歯車に抗う事は、何人たりとも出来はしないのだった。


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