14.遥かなる過去


 歴史は歌った。この世の王を。
 歴史は語った。王たちの偉業を。
 歴史は動いた。それを、王たちが望むが故に。

 人は歴史を顧みる。 
 人は歴史を語り、王を忘れない。
 人は歴史を知り、王を見る。
 
 そして人は、歴史を繰り返す。彼らが用意した歴史を延々と、延々と。それはまるで傀儡のように。それはまるで壊れてしまった自鳴琴のように。それはまるで永久運動装置のように。


 世界が歓喜に震えているように見えた。灰色の雲、地上は屍が埋め尽くし、地面はこれ以上血を吸うことを拒み赤黒い血溜まりを生み出してた。にもかかわらず、だ。なぜそう思ってしまったのだろうか、理由は分からない。ただ、絶望と言う色でしか染まっていない世界は、確かに彼らを受け入れ歓喜していた。
 彼らと言うのは翠玉、青玉、紅玉、黄玉を身にまとった者たちである。その彩度はあまりにも鮮やかで、見ている者の世界を彼らのみに変えてしまうほどの強い輝きがあったという。
 『四玉の王』と歴史は彼らを称する。
 王たちが揃った姿はまるで絵画の世界のようだった。それも、名立たる巨匠が、生涯最高傑作として世に生み出した絵である。そう評してもまだ足らない程彼らは美麗を極めた。ただ何もせずともそこにあるだけで、王としての威厳が漂っている。
 よくよく見れば、彼らはまだ少年と言っても過言ではない年の者たちだった。しかし、まとう雰囲気はその年齢にそぐわない、百戦錬磨の猛将、闘将を遥かに凌いでいた。 
 紅玉の王は、首筋にかかる程度の髪から切れ長の鋭い光を放つ瞳が覗く。彼が身にまとう全て、極上の紅玉の色彩をまとっている少年だった。黄金の少年の髪は黄金よりもなお濃い、日に照らされれば艶やかに輝こう橙色で、瞳は美しい黄玉。彼が黄玉の王と呼ばれる所以であった。紅の少年が鮮烈で強靭なら、この少年は絢爛で峻厳だと言えるだろう。
 背に翠緑玉色の煌めきを放つ髪を揺らし、髪と同じ透明な瞳を細めやんわりとした表情を浮べている少年は翠玉の王。清流のせせらぎのようにさらさらと流れ落ちていく青の髪を持ち、玲瓏とした精悍さを持つ遥か深い母なる海のような瞳を持つ、凛冽とした少年は、青玉の王。紅玉と黄玉の兄たちであり、また彼らは双子の兄弟であった。だが瓜二つというわけでもない。
 弟二人が快濶な戦神の化身なら、兄二人は清廉な美神の寵児だろう。人は恐らく彼らを見たら、魂は歓喜に震え、その双眸から理由も分からず涙を流すだろう。それほどまでに彼らの存在は苛烈を極める。
 そして、圧倒的な強さである。みるみるうちに屍を量産していく。絵的に言えば、決して心弾む物ではなく、恐らく食事前に見せられたらその分の食事は喉を通らないほど衝撃的なものであった。鮮血が噴出し、生首が路傍の石のように転がり、人の命が途切れる音が絶え間なく響き、慈悲という言葉は存在しない。阿鼻叫喚の地獄絵図である。
 だが、苛烈なまでの攻防から視線を反らすことが出来ない。そんな事を思いながら、歴史に名高い『四玉の王』の鑑賞を彼女は続けた。
 しかし………なぜだろうか。
 彼らの映像を目の当たりにしているカノンは言いようのない既視感に襲われていた。この世界にやってきて、まだ大した時間はたっていない。日々学ぶ事ばかり、知らない事の方がまだまだ多い。にも関わらず、四玉の王と称されるこの四人の人物を初めて見たような気がしないのだった。
「どこかで……。見たことがある?」
 まさか、と瞬時にカノンはその想像を打ち消した。世界を二つに分かつた王たち。人とは思えぬ容貌を持ち、演舞を舞うように動き、あまりに綺麗に、そしてあっさりと人を殺していく。今のカノンの瞳に映っているのは完全に異次元の世界。彼女とは一切係わり合いのある世界の情報ではないにもかかわらず。
 彼らは今どこの世界に存在しているのだろうか。あるいは、もうどの世界にも存在しないのかもしれない。四人、というのがひっかかるのだろうか、カノンの通う陽宮高校の側にある日本屈指のマンモス校の生徒会も確か、美形と有名な四人の兄弟がいたのだ。ほとんど係わり合いがないのにも関わらず、四兄弟の顔は記憶の中にしっかりと刻まれており、色あせていない。……雰囲気こそ異なるのに、四人というフレーズで思い出すのは見たこともない彼らぐらいである。
 だが、もう一度カノンはありえない、と心の中でそれを打ち消した。借りにもし四玉の王が地球にいたとしたら、地球はもう既に滅亡しているかもしれない。彼らが地球にいるとしたら、下手をするとここの世界より危ないのではないかとカノンは真剣に思った。
 『四玉の王』、この言葉は彼女をこの世界へと誘ってきた黒衣の男も言っていた。しかし黒衣の男は今見た映像には出てきてない。歴史は彼らの偉業を語るが、それ以上は語ってくれない。機械仕掛けの沃野、飢えた美しき荒野、脳裏を巡る言葉の意味を彼女が知るのは、もうしばらく先のことである。
「……ン……、カノン様!」
「………え?」
「目を開けたまま、居眠りでございますか?」
 言葉とは裏腹に咳払いと共に紡がれた言葉には、怒りの色はない。小さく笑いながらそう注意されると、カノンは顔を若干赤く染めた。
「え、あ、と、すいません」
 自分の思考に深く耽りすぎたカノンが、説明をしてくれていた老神官に注意され、思考を現実に戻す事が出来た。眼前にいる白髪の神官服をまとった老人はカノンがこの世界に来て最初に攻撃をした人物である。名はグレスリィと言う。姓は捨てたと彼は言う。彼は神殿、正確に言えば四玉の王を祭った場所で祭司をしているの人物である。
 国で一、二位を争う知識を持っている。ルーベも幼い頃、この老賢者に教え友と共に請うたと言う。知らないことの多いカノンの勉強に、とたった数日ではあるものの最低限度の知識がなければ、恐らくすでに彼女に感づいている兄王たちの目を欺く事は出来ないだろうという結論に達し、現在に至るのである。口元に髭を蓄えたグレスリィは優しげな笑みを浮べてカノンを見つめた。
「少しお疲れになりましたかな?」
「いえ、大丈夫です。とても面白いですから」
 せっかく過去の出来事を映像として映し出すという、カノンには到底信じられないことを成し、なおかつ一般には決して公開されないような貴重な物を見せてもらっているにもかかわらず、意識を逸らしてしまった非は彼女にある。故にそう答えるが、老神官は既に茶の用意にかかっている。彼は負い目があるらしく、カノンが訪れると手厚くもてなしてくれるのだ、と少なくとも彼女はそう思っていた。
「それだけこちらの世界にお慣れになられたということでしょう」
 結構な事です、と目を細めて微笑む老神官の言うとおり、ようやく体も意識もこの世界に慣れてきたように思えていた。ルーベを初め、屋敷の人々は優しいし、異世界の歴史は本当に興味深いものがある。忙しい状態がカノンをこの世界に順応させるために一役買っているのもまた事実である。だからこそ、彼の言っていた『四玉の王』についてのことを知ろうと周りが見えなくなるほど真剣なのだ。
 しかし、そこまで読みきれなかったグレスリィは穏やかに微笑みながら、慣れた手付きで茶を陶器に注いでいった。琥珀色の液体は、どこか地球の紅茶に似た雰囲気を醸し出していた。暖かな湯気と芳しい芳香が室内に広がっていく。それに思わず顔の筋肉が緩んでしまう。こちらの世界の食べ物もおいしいのである。地球と同じような食物もあるが、何だか全く予想もつかない食物が机の上に並ぶことも珍しくない。
 もう少し余裕が出来たら台所、賄所を借りて何か作れたら作ってみようと内心で思える程度には、カノンはこちらの生活に慣れてき始めていたのだった。
「ええ。皆さん良くして下さいますから」
 にっこりと笑って微笑むカノンの仕草は大分貴族の娘らしくなってきた。元々礼儀作法に問題もなく、言葉遣いも決して乱れていない彼女が、貴族世界の礼儀を覚える事は安易なことである。身にまとう簡素なドレスにも『着させられている』から、『着ている』に変わってきつつある。今日彼女が着ているドレスは撫子色の綺麗な色の至って簡単なドレスである。刺繍の施されている繊細なドレスも多く、彼女に宛がわれている部屋に眠っているのだが、普段はなるべく、せめてワンピースのように気軽に着れるような物を愛用しているのである。
 ルーベやミリアディアはカノンを着飾りたくてしょうがないといった風に、二日に一着は彼女に新しい服を届けるのだが、とても着るカノンの意識と身体が追いつかないのであった。そんな彼らの好意を話すと、グレスリィは満足げに微笑んで陶器をカノンに渡しながら言う。
「それはそれは」
「良くして頂きすぎてかえって恐縮してしまいます」
 一口飲み物を口に含んだ後カノンがそういうと、グレスリィは蓄えた髭を撫でながら笑う。だが、次の瞬間、彼は至極真面目な顔をしてカノンに向き合った。
「今度は皇帝陛下の元でなにやら催し物が施されると聞き及んでおりますが」
「ええ」
「お気をつけ下さりませ。ルーベ様の兄上、皇帝陛下はまるでルーベ様と似ておりませんからな」
「はい」
 真剣に、彼女は頷いた。 
 そう、そうなのである。もう二日後の夜に、王宮で晩餐会が催される。それは、表向きはルーベの婚約者として貴族社会に、王弟殿下の伴侶として紹介されるのである。しかし、王側はもうすでに、カノンが異世界からやってきた人物だと知っている。公にすれば騒ぎになるのは目に見えている。その事態は避けたい所である。
 噂に聞く、まだ直接あったことのないこの世界の統治者は、決してカノンの周りにいる人間に好かれていないのだった。その上、王の側近たちから何か仕掛けられるかもしれないのである。不測の事態はいくらでも想定出来るからこそ、最大限身を守るための知識を付け焼刃でも身につけようとしているのだ。何もないに越した事はないのだが。不安の種は尽きる事がない。
 魔力で力の優劣が決まる世界の中で、一切合切魔力を使えない自分は、非力である。それどころかこれ以上ないぐらい足手まといである。せめて口では負けないぐらいにはなりたいと心の底から思っているカノンだった。
 コンコンと、木造の白い扉を軽快に叩く音が室内に響く。グレスリィはどうぞ、と一拍間を置いてから言う。他の神官の方が来たのか、ぐらいにカノンは思っていたのだがそこに現れたのは意外な人物であった。
「はかどってる?」
「シャーリル様!」
 入ってきたのは、涼しげな笑みを浮べたシャーリルだった。珍しく艶やかな黒髪を一本に束ね、騎士服の上に第一位階の騎士たる証の紫色をまとった姿は、先ほどみた四玉の王を思わせる幻想的な雰囲気を醸し出していた。思わずカノンは彼の姿に身ぼれてしまった。
 そんな彼女に代わり、グレスリィは好々爺の表情を浮かべ彼に声をかけた。
「これはこれは。今日はルーベ様はどうなさったのですか?」
「会議の後だから、アイツはまだ仕事中です。あれで騎士団長ですし、置いて来ました」
 何の会議が行われていたのだろうか、という疑問よりもまず、彼女はシャーリルに魅入ってしまっていた。ばさりと外套をなびかせながら、彼は石造りの床を歩く。高く響く踵の音はどこか旋律に似ていた。そのままカノンの座っている椅子の側までやってくると、彼はスッと手を伸ばす。ふっと柔らかに微笑みを浮べられ瞳を覗き込まれてしまえば、この世界の全ての人間をたらしこめるだろうと、カノンは真剣に思ってしまうぐらいに、彼の笑顔の威力はすさまじかった。
「さぁ、帰ろう。やる事はまだまだたくさんあるからね」
「……はい」
 下手な女性より遥かに白い、新雪のような手にそっと己の手を重ね、カノンはすっと立ち上がった。最初こそ、こう手を差し伸べられても恐る恐るといった風に手を重ねる事しか出来ず、手を握られでもすれば身体を強張らせていた彼女だったが、大分余裕も出来てきた。その姿に満足げに微笑んだシャーリルは、では、と老神官に告げそのまま部屋を出ようとした。
「カノン・ルイーダ・シェインディア」
 しかし、扉を出る刹那前、グレスリィは彼女の名を呼んだ。カノンはゆっくりと、背を向けていた老神官に身体を向けてる。
「貴女に四玉の王のご加護がありますように」
 それは正式な礼だった。そう自分に言ってくれる存在がいることに、彼女は素直に喜んだ。シャーリルを見上げ、それに気付いた彼が彼女から手を離すと、カノンはドレスの裾を軽くつまんで頭を下げた。精一杯の礼を彼女も彼に示したのだった。


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