13.夕日に浮かぶ光景は

 地面にまるで屍のように倒れ伏している男たちはぴくりとも動かない。パンパンと埃を払いながら、ルーベは呆れた口調でもう彼の声が届いていないであろう男たちに言った。
「弱いもの苛めって怒るなよ? 自分たちがカノンを襲ったんだからな。自業自得だ。むしろ殺されなかった事に感謝しろ」
 もの言わない男たちに説教しても意味がない、とカノンは心の中で思っていたが、至極真面目に彼が言うので彼女は何も言わず地面に座り込んだまま彼を見つめていた。あまりの出来事に声も出ない。一昔前に使い古されたパターンを眼前で繰り広げられたのはある意味感動ではあるが。
 ひとり一撃で倒していったと言っても過言ではないルーベは一頻り男たちに文句を言った後、くるりと振り返り彼女の元へ駆け寄った。
「大丈夫? カノン。ごめんな、見つけるの遅くなっちまって」
「いいえ、助けてくださってありがとうございました。……手は大丈夫ですか?」
「ん? ああ、全然平気。これぐらいで痛み訴えるほど柔な作りしてねぇし」
 ルーベはカノンに手を差し伸べ、彼女を起こした。彼女の両手を包んでもまだ余る彼の大きな手では確かに、成人男性を三人あっという間に地面に沈めることが出来るだろう。……元々職業軍人が、町のチンピラ如きに手を焼く理由もないであろうが。カノンが地面に座ってしまった為付いた砂をはたいていると、ルーべの来た方にある木作りの箱の陰からこそっとのぞく小さな頭が見えた。
 カノンが不思議に思っていると、その頭がまた動いた。そしてそぉっとこちら側の様子を伺い、きょろきょろと左右を確認した後一人の子供が駆け出してきた。
「カノンちゃんーっ!」
「リルルちゃん!!」
 突進してきた少女を真正面から受け止め、数分振りの再会を二人は喜ぶ。
「大丈夫だったんだね、リルルちゃん!」
「カノンちゃんも無事ーっ」
 カノンがゆっくりとリルルを抱き上げると、彼女も嬉しそうに答えてくれる。それがまた嬉しくて彼女たちは笑みを深めていた。それを見つめていたルーベも、くしゃっとリルルの髪を撫でた。
「リルルがオレのところまで走って伝えてくれたんだよ。カノンが危ないって」
 なっとルーベが言うとリルルは嬉しそうにうなずいた。
「カノンちゃんが助けてくれたから行けたの! だから私おうていでんかの所まで行けたの!」
「ちゃんと礼を言えよ?」
「うん、ありがとう、カノンちゃん」
「いいえ。 リルルちゃんだって私をルーベ様の所まで連れてきてくれたじゃない。リルルちゃんありがとう」
「うん!!」
 ぎゅーっとますます抱きつくカノンを抱きながら、ルーベとカノンは並んで歩いていった。倒れ伏している男たちすら、こんな裏道の奥にはこれないだろう。二人の来た道を遡っていくと、朽ちた木の板に囲まれた広場に出た。そこには子供たちが集まって大きな声を上げながら遊んでいた。
「ルーベ様、ここは?」
「ん? ああ、表立っちゃ結構華やかだけどさ。やっぱり貧民層っつーのはあるわけだ。その辺の子どもたちだよ」
 リルルがカノンをじっと見つめたので、彼女はゆっくりと彼女を地面に降ろした。子供たちの輪の中へ彼女も走って入っていく。それを眩しそうに見めながらルーベは独白のように呟いた。
「民あっての国と王だからな。こいつらの両親にはきちんと感謝してる。だけど生活は一向に良くならない。エルカベル帝国には奴隷制度があったが今はない。けど……その分平民の中で階級が出来ちまったみたいでさ」
 誰に言うこともないルーベの本音を、カノンは彼の傍らに立ちながら彼の本音を聞いてる。
「……もう少しだけでもこいつらがいい生活出来てもいいんじゃないかって思う」
 術があるのに、やらない兄に憤りがある、と暗に彼は言う。ぱしっと手の平に己の拳を打ち付けた。民を愛する事も、王たるものの資質に含まれるとカノンは思う。正義感が強い彼から言わせれば、当然のものだと思っているのだろう。騎士団長であっても、国の政に兄ほどの影響力を発揮できない。
 この状況をどうにか打破できないか、と彼は人知れず悩んでいたのだ、とカノンは直感してしまった。彼女が言葉を発する前に、複数の足音が二人に向かって近づいてきた。
「おうていへいかだー」
「へいかー、こんにちはー!!」
 殺到してきた子供たちの突進を受けながら、ルーベはその子どもたちを受け止めた。そして集まってきた子供たちの頭を撫でてやりながら彼らの名を呼んだ。
「おー、ライラ、フェイ、ダルー、リーダ。元気にしてたか?」
「うん! おうていへいかも元気だね!」
「ちがうよー、おうていでんかだよー」
「えー、うちのお母さんおうていへいかって言ってたよ!」
「うそ! それはおうていでんかのお兄ちゃんのことだよ。それにこうていへいかはこうていへいかなんだよー」
「えー!」
 子供たちの中で『王弟陛下』と『王帝陛下』と『王弟殿下』の三つがごっちゃになっているのだった。それを聞きながら、ルーベは苦笑する。
「まともに言ってたらこれ軽く不敬罪でしょっぴかれるなぁ〜」
「ルーベ様訂正なさらないんですか?」
「まだ早ぇよ。こいつ等が国のこと知るには。そのうち嫌でも知らなきゃいけねーんだし」
 ぐりぐりと子供たちの頭を撫でながら、ルーベは笑った。小難しいことなど、今知る必要のないことだ。子供たちに今必要なことは、笑うことと遊ぶ事。知識など、おいおいついてくる物である。そう瞳でカノンに語ると、手近にいた子供を抱き上げた。
「おうていでんかが王さまになったら、もっといい生活ができるようになるってお母さんもお父さんも言ってたの。いつおうていでんか、王様になるの?」
 抱き上げた子供が大きな瞳でルーベを見つめる。子供にとって親の言った事は嘘さえも真実になる。良い生活がどのようなものかも恐らく正確には理解していないであろう子供が真摯に彼に問うてきた。しかしルーベは苦笑するしか出来ない。
「……オレが王様になったって、何が変わるかわかんねぇぞ?」
「でも、わたし、おうていでんかが王さまになってくれたらいいな。だって楽しそうだもん」
「楽しそう?」
「うん!」
 ルーベの腕に抱かれていたライラが笑って言うと、他の子供たちも口々に叫んだ。
「みんな笑ってられそう」
「お父さん遠くに行かなくてすむって! お母さんが言ってたの」
「そりゃお前の母さんの買いかぶりすぎだよ」
「みんなで夕ご飯食べられる?」
 ポツリとリルルがそういいながら、カノンの服の裾を掴んで呟いた。その声はどこか寂しげで、希望ある未来を思ってか明るい声だった。カノンは屈んで彼女と目を合わせ、そのまま抱き上げた。
「……一緒に食べられてないの?」
「うん、お父さん今遠くにいるの。遠くでお仕事してるんだって」
 きゅっと抱かれたままカノンにしがみついたリルルは彼女に擦り寄った。カノンも幼い頃彼女と同じ年頃の頃、歌手として家を空ける母とカメラマンとして世界を飛び回っている父。小さい頃は施設の家に預けられていた為ひとりでいるという機会はなかったが、今は実家で半一人暮らしをしている彼女は、一人で食事を取る事が多かった。
 幼い頃は家族団らんを憧れた。故にリルルが家族で食事を取りたいと願っている思いを、彼女は痛いほど知ることが出来たのだ。
「遠くってどこかわかる?」
「わかんない。でもとおくだって」
 親は子供に真実を隠すものである。もしかしたら、リルルの父親は労働を強いられ過労で倒れてしまっているのかもしれない。そんな事が脳裏をよぎっていると、ふと子供を抱き上げたまま、思案をめぐらせているルーベがカノンの視界に入った。
「ルーベ様?」
「ん? ……ああ、いやな。ちょっと思い出しただけだ」
 『何を』思い出したのかとは、この場でカノンは聞けなかった。知らないほうが幸せなこともあるのだから。知りたければ自力で調べても良いし、屋敷に帰ってからルーベに聞いていもいい。重い空気が漂うと、それを敏感に察知した子供がルーベの服の裾を引っ張った。
「ねーねーおうていでんかー。いつ王さまになるのー」
「そうだなぁ。いつだろうなー」
 片手でライラを片手でダルーを持ち上げながら、ルーベはあくまで笑顔を絶やさずに話題をはぐらかそうとしていた。王になる、兄を倒す単純な図式を完成させる事がどれほど難しいことか。……難しい問題である。
「おねーちゃんお名前はー?」
 今度は彼女が思案をめぐらせていると、下から声をかけられた。そういえばリルル以外にはまだ名を名乗っていなかったことを思い出し、彼女は微笑みながら子供たちに名を告げた。
「カノンって言うの。よろしくね」
「私ライラ!」
「僕はフェイ」
「オレダルー」
「あたしリーダ!」
 口々にリルル以外の子供たちが全開の笑顔でカノンを受け入れる。身なりは城下町に住まう人々に比べれれば質素でお世辞にも綺麗とは言い難いが、ルーベが好んでこの場所で、この子供たちと時を過ごす理由は何となくわかったきがする。
「カノンお姉ちゃんおうていでんかのお友達?」
 フェイがそう聞いてくると、カノンは笑顔のまま固まってしまった。
「……そう……なるんでしょうか?」
「いやいや、そこでチビたちにそういったら、親にそう伝わるから。正直に言っておくべきだぞ?」
 思わず真顔でルーベにそう問うと、苦笑したルーベが彼女を諭す。
「お友達じゃないの?」
 きょとんとした顔でそう問われれば、カノンでなくとも一瞬怯むだろう。子供たち相手に嘘を付くのも心苦しいが、ここでこの世界での自分に与えられた身分をしっかり肯定できなければ数日後に行われる晩餐会で失敗する事など目に見えている。彼女は意を決して言葉をつむいだ。
「えー……っと。婚約者かな」
「こんやくしゃー?」
 『婚約者』という単語をまだ知らない子供たちは名頭上に疑問符を浮べていると、ルーベは締りのない笑顔で子供たちに告げる。
「将来、オレとカノンは結婚するんだよ。カノンはオレのお嫁さん」
「えーっ!!!」
 真実を知った子供たちは盛大な悲鳴を上げる。そして口々に非難の声を叫んだ。
「カノンお姉ちゃんとおうていでんかじゃ、お姉ちゃんかわいそー」
「あたし大きくなったらおうていでんかとけっこんしてあげようと思ってたのに!」
「うわぁ、オレ酷い言われよう」
「いいじゃないですか、未来の花嫁を腕に抱けていて」
「カノンそれ本気で言ってるの?」
「はい」
「うーわー……」
 真剣に傷ついたと言うルーベに、ころころと笑いながら言うカノンの言葉にさらに撃沈した。すると彼をさらに落ち込ませる言葉が降ってきたのだった。
「おい、そこの幼児愛好者」
 降ってきた声は男とも女とも付かない澄んだ綺麗な音だった。
「あ〜っ、シャーリル様だぁ!」
「みんな、こんにちは」
 聖母のように微笑んだシャーリルが目の前に現れ、子供たちはルーベのそばから離れ、彼の周りに集まって言った。
「こんにちはーっ!!」
「人聞きの悪い事言うなっつーのに!! それにオレと随分の差だなぁ、オイ、お前等」
 自らの傍らの側から離れていく子供たちの背中を虚しく見ながら、抗議の声を彼は上げるがそれをシャーリルは一蹴する。
「お前この子たちに対等だと思われてるんじゃないか? なまじ精神年齢同じぐらいだから」
「……それだったらオレ大分悲しいんだけど。でもオレちゃんと王弟殿下って呼ばれるぜ?」
「そりゃお前の名前が王弟殿下って認識されてるからだろう? ルーベじゃなくて」
 シャーリルの辛辣な言葉に彼はますます肩を落としてしまった。
「シャーリル様、どうなさったんですか?」
 ガクッと肩を落としたルーベにこれ以上肩を落とさせないように、カノンはシャーリルに声をかけると、彼も本題を思い出したとばかりに片手で子供の頭を優しく撫でながら言った。
「もうそろそろ夕餉の時分だっていうのにいつまでほっつき歩いてるつもりだ。大体な、ディアを放っておくなんてお前何様?」
「ってかオレ騎士団長で皇帝の弟だから身分的にはそれ相応かと思うんですが、その辺如何でしょう?」
 片手を上げて、まるで教師が生徒に質問をするかのような仕草をしたルーベだったが、教師役のシャーリルは至って冷めた反応を示しているのであった。つまり、彼の言ったことは無視である。
「君にあげたいって、今日はいくつか装飾品を持ってきているんだ。夕食の後にでも見てやってくれるかな?」
 シャーリルは目が覚めるような美しい笑みをカノンに向けながら言った。
「え! はい!! 私こそいつもディア様に良くして頂いているのに、今日は夫人をお待たせするような事をしてしまって!!」
 シャーリルはミリアディアの夫である。ミリアディアに世話をしてもらっていると言うのにも関わらず、カノンは今日の作法の習い事をさぼってしまったのだ。言い訳のしようもない。しかし、シャーリルはふんわりと笑うと首を軽く振った。美しい黒髪が揺れる。
「ああ、その心配はしなくていいよ。彼女が家を出る前に、僕が連絡を入れておいたから。ただ、夕餉には勝手に招待させてもらったけどね。いいだろう? ルーベ」
「ああ、問題ない」
「君が気に病む必要何もないから。ここに来たのだってこいつが引っ張り出してきただけだし」
「……まあ否定はしない」
 憮然とした表情でそうルーベが言うのも無視して、シャーリルは言葉を続けた。
「彼女も君と話せて喜んでるし、これからも仲良くしてやってくれると嬉しいな」
「はい! 喜んで!!」
 ミリアディアの夫公認の仲となったカノンは、嬉しそうに微笑んでいた。仲良くしていただいているのはコチラの方なのに、フィアラート夫妻はこれ以上ないぐらいカノンに優しい。思わず両手を組んでシャーリルを見上げてしまうと、ルーベは面白くなさそうに二人を見つめていた。
「………なんでチビたちといい、カノンといい、こうシャルに対する態度なんか三割増しでキラキラしてんの?」
「顔の差じゃないか?」
「ルーベ様だって美形ですよ!」
 今さら遅いっ、とルーベはわざとらしく泣きまねをしながら沈んでいると、シャーリルの容赦ない冷たい視線が彼を射抜く。
「まぁ、そんなことどうでもいいけど。帰るよ」
「えー、もうシャーリル様も帰っちゃうのー?」
「うん、また今度ゆっくり遊びに来るからね」
「うん! 絶対、約束だからね! ゆびきり!」
 シャーリルと指切りを指切りを交わす順番待ちをしている子供たちを見つめて微笑むルーベの表情は暖かなものであった。夕陽に照らされてながら自分の目に映るその光景は、カノンの網膜に焼きついた。言葉では言えない様な表情で。見ているこちらが胸を締め付けられるような雰囲気を彼は醸し出していた。
 ……なぜだろうか。泣きたくなる。そんなことをカノンが思っていると、シャーリルとルーベが、もう既に並んでいた。
「カノンこっちおいで」
 ルーベはちょいちょいと手招きをしてカノンを呼ぶ。当然カノンに逆らう理由はない。そこへ行くとルーベはおもむろに彼女の肩を引き寄せて抱いた。
「え!?」
「ちょっとごめんな?」
「いい? じゃぁ行くよ」
 そのまま夕暮れ時に吹く涼やかな風と同じように、彼らはその場から姿を消したのだった。別れを惜しむ子供たちの声がカノンの耳にも届いたが、彼らの姿を視認するよりも早く、あたりの景色は変わっていたのだった。


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