12.触れられた怒り

「えーっと……」
 あたりを見回しても、ルーベらしき人影は見られない。見知らぬ人が、見知らぬ衣装で通り過ぎ、会話をしている。言語は日本語であるのに、外国に自分はいる。そんな言いようのない違和感に襲われながら、活気ある街中を少し歩いてみる。
 色々な出店、日本で言う商店街のような道を歩いていく。しかし行けども行けどもルーベはいない。屋敷からここまで歩いてきたので、カノンは道をしっかりと覚えている。時間はかかるだろうが帰れることには帰れるだろうが、ひとりで帰っていいものか。悩みどころである。
 せめてもう少しだけでも探してみようと踵を返すと、辺りをきょろきょろと見回している少女と目があった。少女は、しっかりとした身なりをしている町行く人とは対照的な格好で、異様に目立っていた。薄汚れた簡素な服を身にまとい、肩まで伸びた亜麻色の髪はまともに手入れされている物ではなかった。その子を避けるように人々は通っていく。
 そんな少女に思わず微笑みかけると、少女は小走りでカノンに近づいてきた。人々はやはり少女を避けるように通り、少女は難なくカノンの所までやってくる事が出来た。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」
「……?」
 大体六歳か、七歳ぐらいの子だろうか。カノンの服の端をきゅっと掴んで大きな瞳が上目遣いに彼女を見つめる。
「お姉ちゃん『かのん』ちゃん?」
「………え?」
 愛らしい表情に、思わず頬を緩めていると、少女は自分の名を呼んだ。一瞬の間の後、カノンは間の抜けた表情をしてしまった。なぜ、この子が自分の名を知っているのだろうか、と真剣に思っていると、少女は言葉を続けた。
「お姉ちゃんのお名前『かのん』ちゃんってゆう?」
「……あなたの名前は?」
 カノンが恐る恐るそう問うと、打算も計算もなく少女は開けっぴろげな笑みを浮べて言った。
「リルルっていうの。よろしくね! それでね、お姉ちゃん」
「何? リルルちゃん」
 会話の速度が衰えない少女は、嬉しそうに笑いながらますます服の裾を小さな手で強く握った。そしてカノンが驚く言葉をあたりをきょろきょろと見回した後、そっと紡ぐ。
「おうていでんかがお姉ちゃんのこと探してるの」
「……王弟殿下?」
「うん! おうていでんかが『かのん』ちゃんを探してるの!」
『おうていでんか』という響きの身分を有している人物は、恐らく彼ひとりしかいない。しかし、なぜこの少女がルーベのことを知っているのか、という疑問は拭えない。だが……。
「私を……王弟殿下の所まで連れて行ってくれる?」
 一瞬ルーベと言う名を口にしようと思ったカノンだったが、リルルが頑なに『王弟殿下』と呼ぶので、何となく彼女もそう呼んでみた。するとリルルは嬉しそうに笑って、握っていた服の裾を離して、カノンの手の指をきゅっと握った。
「いっしょに行こう、お姉ちゃん。おうていでんかすっごい心配してるよ」
「じゃあ、お願いするね」
 お互い顔を見合わせるとにっこりと微笑み合うと、人にぶつからないように仲良く並んで歩き始めたのであった。


 表通りとは決して言い難い、賑わった表通りより少しだけ道をはずれ裏道に入ってくると、やはり喧騒とした騒がしさは消え、どちらかというと覇気のない、空気が世界を支配し始めていた。やはり表立ってはきれいなものしか見えないのだろうかとカノンはあたりを見ながら思った。
 学校の世界史の授業で中世あたりの勉強をしていたとき、資料集等で見た当時のイラストなどに近い街並びに多少の驚きを禁じえない。地球の文明より大分遅れた世界を目の当たりにしながら、カノンの手を引き数歩早歩きで先を行くリルルに道を案内されながら、思案をめぐらせていた。だから、前方からやってくるいかにも、という風情の男たちに気が付かなかったのだ。 
「うきゃっ」
 男の中のひとりとリルルがぶつかり、当然、彼女の方が転んでしまった。瞬間リルルはカノンとつないでいた手を離したので、カノンは体制を崩すことはなかったのだが、転んでしまった少女の元に跪き、彼女を地面から抱き起こした、。前を見ていなかったのは双方ともなのだが、ぶつけられたという意識の強い男はギロリと自分より立場の弱い子供をにらみつけた。
「なんだこのガキ」
「汚ねぇガキだな。邪魔だ、転がってんじゃねぇよ」
 地面に立ち、カノンに服の汚れを払われてる間、男の中のひとりが足を振り上げリルルを蹴ろうとした。のだが、リルルは小さな足で彼の脛辺りを強襲し、男は痛みよりも片脚を上げた状態で蹴られた為に体制を崩してしまった。その事実にまた、男は逆上し、他の男たちはその男を馬鹿にしたかのようにニヤニヤと笑っているのだった。
「ちっ、このガキ何しやがる!!」
 馬鹿にされた男のほうが拳を振り上げると、反射的にカノンはリルルを背に庇い男と対峙した。
「……あ、……申し訳ありません」
「謝ればすむ問題じゃねぇだろう」
 いや、すむ問題だろうと心の中で亜音速で突っ込むカノンを他所に男たちは下卑な笑みを浮べながら言う。
「……そうだなぁ、当ったお詫びにいくらか金を置いていってくれるんなら、許してやらないこともねぇな」
「…………」
 何てベタな! と心の底から彼女は思ったが、ここで逆らったりは向ったところで勝てるとは思わない。ましてはこっちは幼い子供までいるのだ。無事に済むなら、無事に済んだほうがいい。
 幸い金なら、万が一の為とルーベから金貨を二枚貰い、それを懐に持っていた。こちらの世界で言えば相当な大金だと聞いたので、それを差し出せば彼らも納得してくれるのだろうかと思ったが、こういう輩は渡せば渡したで付け上がるのが目に見えている。
 異世界から来たからと言って、伝説の巫女やら、騎士やらのような力は一切なく、あるとすれば魔力を消し去るということだけである。それを有効活用できる相手か否か、ぐらいは彼女とて理解が出来る。結論は否である。本当にどうするか、と真剣に思い始めた頃、カノンは自分の後ろに隠れた少女に服を引かれた。そして少女はこっそりと言う。
「逃げちゃおう。裏の道に入っちゃえばあいつ等だってわからないよ」
「………えっと?」
「早く!」
 ぐいっとそのまま手を引かれ、カノンは踵を返したリルルと共に、男たちに背を向けて走り出した。
「あっ、待て! このガキども!!」
 体力に特別な自信もなく、また足の速さとて平均よりも少し速い程度の早さである。男性の速さに勝てるとは到底思えない。そして入り組んだ裏道に入った今、先導してくれる少女を見失っても、二度と屋敷へ帰ることも出来ないだろうと内心ぞっとする的確な想像図が出てきてしまってカノンは足を動かすことに必死だった。考えるよりまずは走ったほうがいい。
 子供の体力は下手な大人よりも有り、慣れた道を進むのであれば、なおさら子供の方が有利である。カノンは必死でその後を追う。やや後ろから男たちの怒声も聞こえてきて、体力が持つことと、無事逃げ切れる事を必死に願いながら、久しぶりの全力疾走を体験していた。一本に結んでいる綺麗な栗色の髪さえも乱れるが、気にしてもいられない。
 複数の足音が街中に響くも、町住んでいるであろう人々は無関心で、窓から様子を伺おうと思う人もいなかった。人々の無関心さを嘆きながら、カノンたちは必死で走っていった。 
「きゃっ!!」
「お姉ちゃん!!」
「捕まえたぜ、このアマっ。手間かけさせやがって!!」
 まさか髪を掴むなどと言う暴挙に出られると思わなかったカノンは思わず悲鳴を上げてしまった。長い髪を一本にまとめ結っていた亜麻色の髪を男の手で掴まれるとそのまま、彼女は男たちのところへ引き寄せられてしまった。
「もう一匹!」
 別の男がリルルに手を伸ばしたのを、彼女は敏感に察知してカノンの瞳を一瞬見つめた後、また駆け出して直ぐに角を曲がって行ってしまったのだ。取り残されたカノンといえば、子供だけでも逃げてくれてよかったと内心ホッとしていた。これであのリルルまで捕まってしまったら目も当てなれない。カノンは今だ髪を掴んでいる男をちらりと見上げてみた。見れば見るほど汚い男である。
 恐らく真っ当な仕事についてない人間なのだろう。まとう雰囲気がそれを物語っていた。いまさら金貨を渡すから見逃してくれ、といった所で見逃してはくれないだろうと冷静に思いながら、この状況をどう打破するか、今度こそカノンは自身の脳細胞を精一杯回転させていた。
「チィッ、チビのほうは逃がしたか」
「いいじゃねぇか、こっちの女だけでも手に入ってよ」
 男のひとりがぐいっとカノンの顎を持ち上げてじろじろと品定めをするような不躾な視線を送る。彼女はこの状況を打破する為に思案をめぐらせている為、さして男の視線を気にしていない。
「……売ればそれ相応の値段になるんじゃねぇか?」
「そうだな。どっかの貴族様の色にでもなりゃぁ、オレたちの小遣いの足しにはなるな」
「ああ」
 下劣な笑みを浮べての視線に、薄っすらとだがようやく危機感を感じ始めたカノンは、どうにかしてこの危機に陥っている状態をルーベでも、シャーリルにでも伝える事はできないかと思案する。
 だが、いくら考えても今の状況ではどうすることも出来なかった。しかし先ほどリルルがいなくなった方角から、足音が近づいてきた。金勘定の話をしている男たちもそれに気が付き、カノンの髪をまだ掴んだままでその方向を見た。
 髪を引かれた痛みに顔を歪ませていると、耳に馴染んでいる声が辺りに響いた。
「……てめぇらっ! カノンに何やってやがるっ」
「!?」
 雷鳴のような怒声を発したのはルーベだった。怒り以外の感情が表情から抜け落ちた顔で、視線だけで人を殺せる程の威圧感を持ってそこに立っていた。睨みつけられている男たちもその怒気に当てられじりじりと何も言わず後ずさりしてしまう。圧倒的強者の迫力の前に、彼らはしょせん支配される弱者である。対峙した時点で彼らに勝ち目はないのだ。
 黒紅色の瞳は毒々しい光を孕み輝き、それは殺意に満ちている。
「ル、ルーベ様……」
「今すぐカノンから手ぇ離しやがれ。そうすれば命だけは助けてやる」
「は!? 何寝ぼけた事言ってやがんだ!!」
 気圧され、これ以上ないほどの恐怖に駆られながら、弱者は強者に声高に叫ぶ。それはルーベにも、カノンにも見て取れた。彼らが腕を振るうと、当然、髪を掴まれている彼女まで衝撃が及び、再びそれに伴う痛みを感じる。
 この時、カノンの存在を思い出した男たちが、瞬時に目を合わせ頷きあい、、髪を掴んでいた男の大きな手が彼女の細い首を握った。喉を圧迫され、呼吸がつまったカノンは眉間に皺を寄せる。。
「う、動くんじゃねえ!! この女がどうなっても構わないっつーのか?!」
 その瞬間彼の表情から怒りがすっと零れ落ち、憐憫の眼差しで持って彼らを見据えた。
「この女の首をへし折ることぐらい出来るんだからな! この女を無事に帰して欲しかったら……っ!!」
「丸焼けになるか? 全身の骨を粉砕させて欲しいか? それぐらいは選ばせてやるよ。どうする?」
 男の言葉は途中で遮られた。ルーベが紡いだ言葉は絶対強者から絶対弱者に対する慈悲の声である。三人の男たちはカノンの首に手をかけた男が一歩下がり、他の男が前にでた。
「ふざけんなっ、やれるもんならやってみやがれっ!!」
 男たちにもそれなりに誇りがあるらしく、恐怖のままにその場を逃げ出すということはしなかった。だが、いち早く逃げた方がいい。多分、亜音速で。と人質になっているというのに酷く冷静に思っていた。例え音速で逃げたとしても、だけどルーベは光速で追っていくだろうから彼から逃れることは無理だろうが。
 そんな事を人質であるはずのカノンは思っていた。共に過ごした時間は圧倒的に少ないが、今、ルーベは盛大に怒っている。ルーベという人物は自分が『仲間』だと思っている人物が危険に曝されれば、その身を盾にしてもその人を守り抜くだろう。その人が危ないとわかれば、持てる限りの力を救って助けてくれるだろう。
 今時、洋画にもそんな英雄はいない。そう思った次の瞬間、 カノン以外のその場にいる人間の腕に紅蓮の炎が蛇のように巻きつき、彼らの身体をじりじり焦がしていく。人肉を焼く不快な臭いが漂い、カノンは反射的に眉をしかめてしまう。
「うわっちぃ!!」
「てめっ、なめた真似しやがって!」
 男たちはカノンを突き飛ばすと重力の法則に従い、彼女は地面に叩きつけられる。悲鳴は上げないものの、叩きつけられれば痛い。そうカノンが感じていると、ルーベが悪鬼のような表情で男たちを怒鳴りつけた。
「なめてンのはどっちだ、この田舎者!! この大陸と国を統べる皇族と騎士団長の名と顔ぐらいは覚えておけっ!!」
 殺到する男たち三人と対峙しながら、ルーベは鼻で彼らを笑った。


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