11.花と戯れる獅子


「ルーベ様、申し訳ありません、もう一回言っていただけますか?」
「だから、ちょっと屋敷抜け出そうって。毎日毎日こんなところで礼儀作法や勉強してるだけじゃ息詰まっちまうだろう? カノンこっちの世界に来てからまだ町に行ったことないし」
 舞踏会二日前の朝、突然ルーベが現れて言った言葉に、カノンは心の底から驚いた。そして、その驚きを隠そうともせず、目を丸くして彼を見つめた。そして発言以上に彼の服装に驚いていた。
 普段身につけている騎士団長である証の緋色のマントを外し、代わりに厚手の外套を羽織っていた。その下は上着は詰襟ではあるものの、白で何の装飾もされていない無地の襯衣であり、ズボンは黒一色のである。麻色の腰紐を巻けば、巷を歩いているちょっとした伊達男、という風情を醸し出している。
 これだけ楽な格好で訪れたと言う事は、彼の発言は冗談ではないことは確かであるがカノンとしては悩みどころである。。確かに、馬車で連れられてきた時も、市井の様子を窺うことは出来なかった。城下町がどんな構造になっているのか、どれだけ賑わっているのか、確かに興味はある。あるのだが、しかし、数日後に迫った晩餐会のために、カノンは覚えなければならないことがまだ五万とある。遊んでいる暇はない。
 現に今も。彼は赤い絹の張られた椅子に腰掛け、ミリアディアが残してくれた言葉を書いた紙を読んでいる所だった。勿論それは、今日も行われる作法の勉強の予習であり、復習のものである。
「ですがルーベ様、フィアラート夫人が今日も来てくださいますし!」
「大丈夫だって! カノンは物覚えがいいって、夫人も言ってたし。一日ぐらい休養したって問題ないだろう?」
「……やっぱり駄目です! それにシャーリル様に叱られてしまいますよ? ルーベ様にだってお仕事がおありでしょう?」
「仕事なんて帰ってきてからやりゃぁいいだろ。それに少しは町の事も知らないと不自然に思われるかもしれないし。今日は外で国の勉強ってことで出かけようぜ! オレが案内するからさ」
「ルーベ様が!?」
「下町には良く行くから。色々巡ろうな!」
「で、でも……」
「服はその格好だと目立ちすぎるから……、ルイーゼ、何か適当にカノン服を見繕って、着替えを手伝って」
「……畏まりました」
 畏まらないでくれ、と内心カノンは叫んだが、ルイーゼにとって、ルーベが主人。命令は絶対である。そしてまた、侍女の鏡ともいえる素早い仕事ぶりに、彼女は口を中途半端に開いたまま呆けてしまう。あらかじめ用意されていたのではないかと疑いたくなるほど、短時間で出てきた服は可愛らしいワンピースだった。
 流石に町に今着ているレースや刺繍が品良く施されている、春らしい桃色のドレスを着ていくわけには行かない。極々薄いクリーム色の長袖のワンピース。袖口と裾には控えめにレースが張られており、僅かながら刺繍も施されている。胸元には少しだけフリルがつけられていて、少し気合の入った女の子のお出かけ着といった雰囲気が醸し出されていた。
 何とも可愛らしいそのワンピースを受け取ると、いつもカノンが着替える時に立つ鏡の前にいそいそと足を運んでいた。
「金の心配もしなくていいから。オレ持ってくし。カノンも用心のため少し持っててもらうことになるけどさ」
 もう取り付くしまなしとは恐らくこのことを言うのだろう。もう彼の中で出かけることが決定している。どこで何をするかという図が脳裏で展開されているに違いない。
「…………本当によろしいのですか?」
 もう一度恐る恐るそういうと、ルーベはカノンのお言葉を一蹴してのけた。
「いいっていいって、どうせこの会話だってシャルに筒抜けだろうし。本気で駄目だったら、この時点でオレ吹っ飛ばされてるだろうし。いいじゃん、たまには外の空気吸おうぜ」
「……少々お待ち下さいませ」
 ここまで来ると、もうカノンも反論する気も起きず、今日はルーベと出かけようカノンは心に決めた。ここで反抗した所で、その願いは決して聞き入れられることはないと彼女は確信したのである。
「おう、わかった。扉の前で待ってるから、用意できたら部屋の中入れて」
「わかりました……」
 そういうが早いか、ルーベは早々に部屋から出て行った。その刹那後着ていた服を着替えるべく、脱力しきったカノンはルイーゼの元へと歩み寄っていった。
「悪いんですけど、ミディ夫人がいらしたら……」
「わかっております。でも、今日一日ぐらい羽を伸ばしてもフィアラート夫人もお怒りにはならないと思いますよ?」
「そうでしょうか……」
 最近ようやく、侍女たちの仕事がスムーズに行くようにと作業が出来るような動作が自然と取れるようになってきた。
「楽しんでいらしてくださいませ」
 袖を通していた、桃色の綺麗なドレスを脱ぎながらカノンは小さく笑った。


 活気に溢れる町の中、雰囲気的には夏祭りの屋台を人々が取り囲んでいるのに似ている気がした。しかしそれよりも活気があり、商売人たちが声を大にして町行く人々に購買意欲を促す宣伝文句を叫ぶ。行き交う人も多く、子供の笑い声も多い町、こんなに平和な世界に改革は必要ないのではないかとカノンは思った。
 先日出会ったレイター・マハラ・ザードの言っていた言葉を思い出してしまう。『貴女は不要な争いを招く』と、確かに彼は彼女にそう告げた。それがこの平和を切り取った風景を見つめていると本当のことのように思えてならない。平和の芽を摘み、争いの種を撒く者と、言い切れる自信がカノンにはないかったのだ。
 悶々と先日から繰り返される自問自答。ふと、足を止め黙り込み、考えてしまう。『鍵』とは一体なんなのだ、と。少なくとも、争いの火種に自分がなりえるかもしれないと言うことを知ったカノンは、この平和に時を刻んでいる町を自分が壊してしまうのかもしれないと思うと、ぞっとする思いだった。
 マハラの主、ルーベの兄、現国王は一体何を考えているのか。考えれば考えるほど、わからなくなっていく。『鍵』、英雄帝、四玉の王、彼女の脳内で単語が駆け巡る。自然と彼女の表情は暗くなっていった。
「カーノーン! どうした? 人酔いでもしたか?」
 ふと伏していたカノンに、ルーベは声をかけた。急にかけられた声に驚いて、彼女は弾かれたように顔を上げてた。彼には心配をあまりかけたくないのである。
「い、いえ」
「ならいいんだけどさ! ほら」
「あ、ありがとうございます」
「屋敷の飯も美味しいけど、町で売ってるこういうのも美味いんだ! 安い・美味い・量が多いなんて最高だよな」
 ルーベが真夏の太陽を思わせるような笑顔を浮べてカノンに手渡したのは串に刺された肉である。出来立てと主張するように湯気があがっており、また、食欲をそそる美味しそうな匂いが香り、それに満足というように笑うルーベはまるで街中にいる子供と大した差がないように思えた。
 串刺しにされた肉を豪快に食い千切っている姿は、どう考えても英雄帝の生まれ変わりと街中で囁かれる王弟陛下とは思えない。偉大にして尊崇すべき王の血を継ぐものに、どうやって思えようか、とカノンは失礼な事を思うが、決して口にはしない。口にしたところでカノンを咎める者は誰一人いないだろうが。
 手渡された串刺しの肉を持ちながら、美味しそうにルーベが肉を食している姿を見つめていると、店主であろう浅黒い肌の大柄の男性がやはり大きな声でガハハハと豪快に笑った。
「ルーベ様のお連れ様? 可愛らしい子だなー。何だ、とうとう嫁さんを貰うのかい?」
「アハハハハ、やっぱりそう見える?」
 豪快に齧り付いた肉を飲み込んだ後、ルーベはにかっと笑って彼に答えた。肯定もせず、否定もしないルーベの言葉を肯定にとった男は、嬉しそうに笑って今度は手を叩いた。
「そうなったらこのお嬢様は未来の王妃様か! そりゃぁ失礼できねぇなぁ。お嬢様、その肉貸してくだせぇな。食いやすいようにお切りしますよ」
 ずいと差し伸べられた手に、カノンは素直に串刺し肉を彼に託したのだった。正直、ルーベのように齧り付くまねが出来ず、せめて冷めてから少しずつ食べようと思っていたので素直に好意に甘える為に、それを差し出した。
「お願いします」
「ルーベ様と違ってお嬢様は大口開けて肉何て食えねぇもんなぁ」
 渡された肉を手際よく切り、簡易皿の盛りつけをしていく彼の作業を見ていて、美味しそうに肉を頬張り続けるルーベは苦笑しながら言った。
「そーだよな。ごめん、カノン」
「い、いえ! そんな事ないですよ! 謝らないで下さいルーベ様」
 謝られたカノンは恐縮して、ふるふると首を振っている姿は、傍目で見ていても微笑ましい。
「ハハハハ、商売の迷惑だ、イチャつくなら他所でやってくんな、王弟殿下様。はいよ、お嬢様」
「うっわー。酷い言い方だなーそれー。オレ客だぜ?」
 双方とも決して本気で怒っているようには見えないのである。そんなじゃれあいをしていると、男はもう一本肉刺しをルーベに手渡した。
「客だが営業妨害するような王弟殿下ははとっととけーれ。もう一本つけてやるから」
「しかたねぇな、じゃぁ今日は引いてやろう」
「引いてくれ引いてくれ」
 しっしと犬でも追い払うような手の仕草をする男に、ルーベは舌を出して答えてた。まるで子供である。それ以前に、民を統べる王の血を引く者と、支配される者との関係には到底見えなかった。恐らくこの気安さで、彼を慕う人も多いのだろう。そんな姿を見ると、ほのかに胸のうちが温かくなることを感じた。
「ありがとうございました」
「これでお嬢様もこの店をご贔屓にしてくれることを祈ってるよ!」
 ぺこりと頭を下げたカノンの頭を、彼が伸ばした無骨な手でぐしゃぐしゃと撫でる。乱れた髪を整えながら、もう一度頭を下げると、カノンはルーベの元へ少し早歩きで向った。
「いい奴だろ。柄は悪いけど、腕はいいし、人はいいから。商売繁盛してんだって、あの店」
 もう既に二本目の肉刺しを食べ初めているルーベの横で、歩きながら小さく刻まれた上、爪楊枝な物までついている肉を食べながら彼女は微笑んで答えた。
「はい。美味しいですよ、このお肉」
「カノンの口に合ってよかったよ。次は何食おっか? 気分的に甘い物がいいなぁ。カノンは平気?」
「大好きです!」
 まだ食べるのか、という基本的突っ込みはさておきお祭りで色々な物を食べているような感覚がカノンのはあった。それに最近例えて言うならばフルコース料理を食べてばかりだったので、一般の人々が食するような食べ物を食べたくなっていた所がある。
「屋敷の料理も美味いけど、たまには礼儀も何もなく食えるこういうのもいいだろ?」
 と言って微笑むルーベには本当に感謝以外の感情を抱けない。気を使ってもらってばかりでカノンは彼に何も返せていない事実が、彼女の心を苛むが。ここまで気を使って待遇してもらうほどの事をカノンは何もしていない。なのにルーベは自分に甘すぎる、と彼女は思っていた。
 手に持っている肉をちまこまと食べている間に、ルーベは二本目も完食してしまったらしく、次に食そうと目論む甘い物、の物色に視線は忙しそうに動いていた。そして雑誌のページをめくるっていくように、話しが進む。ルーベは店を冷やかし進みながら、カノンに会話をふっていく。
「シャルと来るとオレばっか食ってるんだぜ? 甘いもんも肉もってか、飯あんま食わないみたいだしな」
「そんな雰囲気ありますよね、シャーリル様」
 ひとつひとつ肉を食べながら、カノンも彼の言葉に相槌を打っていく。
「醸し出す雰囲気と食料量が合ってるのが意外性がないよな」
「大食いのシャーリル様って、私想像が付かないのですが……」
「……確かに! オレ並にシャルが食い始めたらミディ夫人も料理長たちも卒倒しちまうかもしれねーしな」
 明るく笑いあう二人は、傍目で見ると街中に時折見える恋人同士のひとつに数えられるかもしれない。この世界に飛ばされてきて、ようやくカノンが心の底から笑えた瞬間であった。それを感じ取ったのか、ルーベもほっとしたように笑った。
 突然突きつけられた真実に戸惑い、状況を早く受け入れようとすると果、当然身体に力が入ってしまう。一度入ってしまった力を抜くことはなかなか難しく、彼女は常に神経を張り巡らせていた。それが今、呼吸と共に強張っていた何かが出て行く感覚をカノンは感じていた。
 その頃になって、ようやく切ってもらった肉を食べ終わったカノンは、設置されてるであろうゴミ箱があるだろうと思い、あたりを見回してみた。しかし……。
「……え?」
 がやがやと騒がしい町並みは変わらず、行き交う人の多さも変わらない。ただ風景の中に一つ足りない。欠けてしまったのだ。
「……ルーベ様?」
 一般の人よりも頭一つ分は大きい、赤茶けた髪を無造作に一本に結んだルーベの姿が、カノンの視界から完全に消えてしまった。人ごみの中でもはっきりと目立ちそうな彼なのに、一瞬のうちで消えてしまった。何者かに襲われた、と言う可能性よりもこれは純粋にいなくなっただけに思える。
「はぐれた……? これ」
 嫌な真実を、受け入れるために言葉を発したカノンだったが、しばらく脳内が麻痺して、このことの重大さを理解しきる事が出来なかった。


BACKMENUNEXT
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送