9.広まる花の音

 彼らはルーベの屋敷内の応接室に通された。ルーベは侍従たちが茶の支度を整え、部屋から退室するように指示をする。彼らは自分たちに課せられた仕事が終わると、また持ち場に戻っていった。
 通された応接室はカノンの部屋に負けぬとも劣らない豪奢さをしめしていた。しかしそれは華美なものではなく、全ての調度品が品良くあしらわれているのである。天井や壁に描かれている絵も、金鍍金が施され、彩色されてある子は毛糸で刺繍した緞子で布張りされてある肘掛け椅子も。 磨ききられ、鏡のように自分の姿を映す黒曜石の机にさえ、繊細な彫刻が刻まれている。
 この屋敷中の部屋一室一室が全てこのような拵えになっている。改めてここはカノンにのっておとぎの国のようなものである。そんなことを思いながら、室内は静寂に満ちていた。誰もが何を言うか悩んでいただろう。
 沈黙を破ったのはルーベだった。溜息混じりに言葉を紡ぐ。
「先にお前たちに説明しておいたほうがいいな。……シャル、他に怪しげな気配はないか?」
「もう平気だ。くそ、僕とした事があんな奴の進入をみすみす見逃してやるなんて」
「向こうだってレイターだ。シャルのせいじゃないって。カノンも無事だったし」
 悔しげにそう呟いたシャーリルに、ルーベはふっと笑って見せた。彼としては皇帝側の、少なくとも味方ではない相手を主の敷地内に進入を許した自分を不甲斐無く感じているのである。もし、それが原因でルーベやカノンに怪我を負わせる事態になってしまえば彼は自分を決して許すことをなかっただろう。
「そんな神経質になるなよ。結果を見れば誰も何もなかった」
「楽観的な結果論だな。でもいい。次はない」
「頼りにしてる」
「ああ」
 これでもう先ほどの会話は終わりである。十人はゆうに座れるであろう重鎮な木造の机に、五人は相対していた。ルーベと、シャーリルと、カノン。その対面に二人の騎士。二人の騎士たちは黙って、三人を見つめていた。そして見知らぬ女性を観察するように見つめざるをえなかった。
 その決して居心地の良くはない視線を感じながら、カノンは顔から笑顔を絶やさなかった。それが例え貼り付けられたものであっても、多少引きつったものであっても。
 貴族の令嬢とはどういうものか、少なくともこの世界の人々の事を、まだ深く彼女は知らないでいたが、この場で不安そうに視線を泳がし、ルーベに媚助けを求めることなどしたくはなかったのだ。彼は助けを求めれば、すぐにその手を取ってくれるだろう。しかし、それをカノンは出来うる限りしたくなかったのだった。
「お前たちには先に話とかないと、後々面倒な事になると思うから言っておく」
「もう充分面倒な事になってたっすよ、さっき」
「それは自業自得でしょう。団長のせいではないですよ?」
 さらりと言ってのける白金色の髪の青年の言葉に、もう一方が顔をしかめて見せた。
「……ほんっと可愛げねぇなお前」
「今年二十二です。もう可愛げも何もないですよ。貴方こそもう三十近いんですからもうそろそろ落ち着いたら如何ですか?」
「ほんっとに可愛くねぇ……」
 げんなりと彼が呟くと、白金色の髪を持つ青年はそれはどうもと笑顔で返した。そして、視線をゆっくりとカノンに向けると先ほどまで邪気すら感じられそうな笑みを浮べていた顔から、凛々しい騎士の顔に戻る。
「お初にお目にかかります。私の名はシオン・ザルク・フェルマータと申します。シレスティア騎士団の第一位階の騎士です。以後お見知りおきを」
「先ほどのご無礼をどうかお許しください。オレ……いえ、私の名はカズマ・ゴウ・ヒューガと申します。同じく、第一位階の騎士です。お見知りおきを」
 二人は椅子に座ったままそういうと、頭を下げた。シレスティア騎士団、それは帝国軍の総称だった。最高位の騎士が第一位階の騎士である。その話はルーベやシャーリルから聞き及んでいた。騎士団長が統率し、その下に第一位階の騎士を初め、第十四位階の騎士が存在している。第一位階の騎士たちは細かく枝分かれした騎士団をまとめ上げる仕事もしていると、習っていた。
 つまり、第一位階の騎士となれば、国でも地位の高い人間である。その彼らに無礼がないようカノンも挨拶しようと思ったのだが、その前に脳裏を掠めた名を思わず口に出してしまったのだ。
「シオン……?」
 その小さな声を聞き取ったシオンはカノンにふわりとした微笑を浮べて見せた。
「ええ、私の名はシオンと申します。英雄帝がこの国を建国させる時に来た異世界からの来訪者と同じ名を両親から頂きました」
 英雄帝は、異世界から召喚された少年を大変重宝していたらしい。故に英雄帝は、このシレスティア帝国の首都名をフェルシオン、と名付けたという事実はあまりにも有名である。
「フェルシオン……『フェル』は『栄光あれ』と言う意味なんだ」
 ルーベが付け加えるように、意味を彼女に教える。フェルシオン、という言葉の意味は、英雄帝にとっても、この帝国にとっても特別な響きと意味を有している事が彼女にも理解できる。
「両親は英雄帝に力添えをした『鍵』のような人間になれ、と彼の加護がありますように、と私の名を付けてくれた、と聞いております」
「素敵なお名前ですね、フェルマータ卿」
「ありがとうございます。どうぞ気安くシオンと呼んでください、カノン様」
「あ、はい。お言葉に甘えさせていただきます」
 彼の名を褒めたのは、カノンの素直な気持ちだった。子を思う気持ちは世界が違っても同じようである。特別な響きのある名前を、子供につけると言う風習は地球でも決して珍しくはない。親は愛ゆえに子供が幸せになってくれるなら何でもあやかろうとするし、何でもしようとする生き物である。それを感じると暫くあっていない両親の顔がカノンの脳裏で浮かび上がるのであった。
「ありがとうございます。では、よろしければ貴女の名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
 そう問われて、カノンは脳裏に浮かんだ両親を打ち消した。帰る術が今だ分からないならば、今は現状で生きていくしかない。感傷に浸ってる暇もない。
「ご丁寧な挨拶ありがとうございました。名乗るのが遅れてしまい申し訳ありません。私はカノン・ルイーダ・シェインディアと申します。ルーベ様の婚約者です。どうぞお見知りおきください、第一位階の騎士様方」
 貼り付けた笑みではなく、今度は自然に微笑んで自らの名を告げ挨拶が出来た。シオンとカズマはニ三度瞬きをして、カノンを凝視した後、全く同時に同じ言葉を口にした。
「……婚約者?」
 何を言っているんだ、と小首を傾げているカズマを他所に、シオンは何かを思い出したかのように少しだけ目を丸くすると、その思い出した何かを口にする。
「……もしかして、彼女が噂の?」
「噂?」
 今度はルーベが小首を傾げる番だった。
「シェインディア家に養女に入った女性がいるというのは、貴族の間じゃ有名な話ですよ」
 大貴族であるヒューガ家の跡取りであるカズマは、貴族間の情報に長けている。彼の言葉に続くようにシオンも言った。
「そして、なんでも彼女はグレスリィ翁の攻撃を掻き消した、と」
「シオン、お前その話どこから聞いた?」
 ルーベは彼を威圧するような眼光で睨みつけると、彼はわざとらしく肩を竦めて言った。
「いつ、どこで。という質問に対してはお答えしかねます。回答を拒否しているのではなく、わからないのです。気が付いた時にはこの話が耳に入っていましたから」
 彼は真実を口にしているのがルーベにも伝わっている。しかし、彼は解せなかった。シェインディア家にカノンが養女として入ったことは世間に知られていても可笑しくはない。だが、知ることが極々限られた人間にしか許されていない情報が、なぜこうも広がっているのかと彼は思った。
「市井にはまだ広がってないようですがね。騎士団内ではにわかに広がっています。団長が選んだ相手は、異世界から来た『鍵』で、皇帝陛下を打倒する為に、今水面下で準備をしてるって」
「オレも聞いたぜ。本当何すか? 団長」
 最近はカノンが気になりほとんど屋敷で仕事をこなしていたルーベだったので、騎士団でそんな噂が囁かれている事なんて知る由もない。
「この勢いでは騎士内には留まらず、城下町の民達や貴族たちにまで広がるのも時間の問題かと」
「………」
 カノンがこの世界にやってきてから約一ヶ月、その間彼女の存在を見知っているのは屋敷の人間と老神官のみ。そしてその中でもカノンが異世界から召喚された人間である、という事を知るのは三人と、そしてシェインディア家の者のみ。使用人さえも、カノンの経緯は知らされていない。それが出回っているというのは、誰かが彼女の存在を流布しているからだろうと、彼らは結論に達していた。
 断片的な情報は、逆に人間の想像力を刺激する。例えば『神殿で何かがあったらしい』『魔力が消された気配がある』『シェインディア家に養女が入ったらしい』『ルーベの婚約者になるらしい』この四つのばらばらの言葉を繋ぎ合わせることは、いくらでも可能である。
 色鮮やかに染め上げられた『話題』を石のように、民衆と言う名の湖面に投げ込めば、の水面に波紋が広がっていくのだ。それが現状を物語っている。
「もし、それが真実なら、お前達はどうする?」
 試すようにルーベが言う。それは思いのほか真剣みを帯びていて、その人を威圧する鋭い眼光に二人は気圧されもしたが、小さな呼吸を繰り返してからゆっくりと言葉を紡いだ。
「決まってるでしょう、私たち膝を付き、忠誠を誓ったお方はルーベ様だけ。貴方が進まれる道が正道でなくなったときはこの身を賭して諌める覚悟はありますがね」
「そーですよ。それに団長の行動にいちいち驚いてたら、それこそ戦場に足を運ぶよりも多く心臓止まってる回数多くなっちまいますよ」
 そういって笑う彼らは真にルーベに忠誠を誓っている、と言うことが初対面であるカノンにも伝わってきていた。先ほど狂気の笑みを浮べて見せたマハラが皇帝に対する異常な忠誠心とは全く違うものである。それに安堵したカノンは体の力を若干抜くことが出来た。
「カノンは普通の女だ、と言っても多分お前等信じないだろうしな」
「シェインディア家がわざわざ養女に迎えるような女性で、ザード卿がわざわざ来るようなお方を、常人と思え、とは団長も無理難題を我等に振りかけなさる」
「………」
 改めてカノンは自分が名乗っている姓の重さを噛み締めた。シェインディア家は皇祖の正妻として迎えられた家柄である。姉が皇祖の正妻となり、妹がその家督を継ぎ今直大貴族としての道を歩んでいる名家なのだ。突然そこの養女となったカノンを、誰が普通の娘と認識できるだろうか。無言で答えないルーベにシオンは視線を向ける。
「その反応は、噂が真実である、と解釈してもよろしんですね」
「その通りだ」
 それに答えたのはルーベでもカノンでもない、シャーリルだった。全員の視線が彼に集まる。
「君だって気付いているだろう? シオ。彼女に、魔力がないことを」
「違和感は。けれどシェラルフィールドに魔力を持たない者は存在しないはず」
「しない存在が今、僕等の目の前にいるじゃないか。それが来訪者だ」
 一瞬沈黙が降り積もる。確かに、魔力があるものが『鍵』ではない。魔力を持たない異世界からの来訪者が『鍵』なのだ。探らなければ分からない違和感、しかし少しでもそれを感じてしまったらもう気にせざる得ない。そして認めるしかないだろう、彼女の存在を。
「……オレには分からんがな」
 小さく、ポツリとカズマが言った。
「それは貴方に魔力の量が少ないからでしょう」
「悪かったなっ」
「君の場合しょうがないだろう? 君の遠き血を辿れば旧帝国が滅びかけた時、かの幼帝を助けたと言われる将軍の血を引いているのだから」
「そうですよ。幼帝を助け、その身を散らした大将軍もまた、異世界からやってきた、と聞きましたが?」
「その通り。オレの先祖は旧帝国の危機を救い、旧帝国を滅ぼす役を担ったんだ。誉あることだ」
 出された茶を口に含みながら、カズマは答えた。この帝国の流れる歴史の中に、度々カノンのように異世界から新たなる王の『鍵』となるべく召喚されてしまった人物がいるらしい。それが誰かは今問うべきではない、ということぐらいカノンもわかっていたので口には出さない。カズマが言ったそれは、ひとりいじけているのではなく、場の空気を緩和させる為に発せられた言葉であったことも同時に理解できたからである。
「で、彼女の正体が分かった所で、売られた喧嘩をお買いになりますか? 団長」
 満面の笑みでそう聞くシオンには、恐らく答えがあるはずだ。それを愚問と知りつつ、あえて彼はルーベに問うた。
「……それももう知ってるのか?」
「当然でしょう。当日の護衛とて我等の仕事のひとつなのですよ? そのことで今日は参りました」
「そうか……」
 眉間に皺さえ寄せそうな勢いでルーベは盛大な溜め息をついた。そして机の上に手を組んでおくと、そのまま隣に座るカノンを申し訳なさ気に見つめた。
「カノン、急な話で悪いんだけど」
 言いよどんだルーベから発せられた言葉。それはカノンにとって決して絶望的なものではなかった。これぐらいのことで右往左往するほど、彼女の精神は繊細なものではなかった。


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