8.光溢るる場所


「うっわぁ……」
 カノンは思わず感嘆の声を上げた。何度この場所に来ても、色鮮やかな花たちが彼女を迎え入れる。日、一日として花たちは同じ姿をしていないのである。
 今、彼女がいるのは大きな噴水のある庭だった。石畳の上に華奢な靴で、服飾師が彼女の為だけに手がけたドレスは、薄桃色の花の蕾のように幾重にも布を重ねてある。それを身に着けているカノンは外見だけ見つめれば貴族の令嬢以外に見えない。
 栗茶色の髪には、細工の施された髪飾りが付けられている。シレスティア帝国の季節は春。花が咲き始める季節であるのはここも、地球も変わらないらしく、カノンの見知らぬ花々が咲き乱れていた。その天上のような空間に遊ぶ一人の少女の姿は、まるで芸術家の描き出した絵画のようだった。
「お嬢様、一輪いかがですか?」
「あ、ありがとうございます」
 ふわぁと花が咲くように柔かく微笑んだカノンに、庭師は遭遇すれば花を差し出すという習慣が生まれている様であった。この広く美しい場所はカノンがこの屋敷でも心安らぐ場所であり、何かとここに姿を現すのだが、あまり出没して庭園の花を全て切られてしまうという事態に陥ってしまうのではないかとカノンは心配もしたが、花は枯れてもまた新たな息吹を吹き返し、常に多く咲き乱れているのであった。
 常に花が咲き乱れることが可能な状態にしてある、と聞かされたカノンは、魔力の効果にもう必要以上に驚かなくなってきた。カノンがこのシェラルフィールドに飛ばされてから一ヶ月が経過し、ようやく身体が慣れてきたところである。
 最近は、建国史など、国のことについても学ばせてもらっているのだ。養子の話も事なきを得て、カノンは今、シレスティア帝国の貴族としての生活を始めたのだ。カノン・ルイーダ・シェインディア、これがこの世界での彼女の名前である。
 ライザード家と縁の深いシェインディア家が、ルーベの申し出を快諾してくれたのだ。ライザード家と縁が深いということは、勿論、皇帝であるルーベの兄とも交流がある。
 ……情報がそこから漏れる危険性はないものか、と疑問符を浮かべるところであるが、その心配はないようだった。
 シェインディア家の現当主、つまりこの世界でカノンの兄にあたる人物は、どうも現皇帝を快く思っていない節がある。そこに現れた鍵の存在。そして、カノンのほどの美少女であるのなら、文句のつけようもないと、酷く上機嫌であったとルーベは彼女に告げた。
 実際に、挨拶に行った時もカノンは熱烈な歓迎を受けていた。男ばかりの三兄弟らしく、初めての娘だと老夫婦は喜び、妹が出来た、姉が出来たとと三兄弟は目尻を下げた。家族となったのだから、暫くは屋敷に滞在するようにとも言われたが、それを断ったのはルーベだった。
 警備の面で若干の不安がある、と。そういわれてしまえば、相手側もそれ以上のことは言えない。騎士団長の屋敷ほどカノンにとって安全な場所はないということは、誰もが理解できる所である。
 別れを惜しみつつ屋敷を離れて、再びカノンはルーベの屋敷に戻ってきた。何かと不慣れな彼女を、侍女であるルイーゼは甲斐甲斐しく面倒を見てくれている。今だ人を使う、ということになれないカノンであったが、徐々にこの生活に慣れつつあった。

 時間の空いているのをいい事に庭園へ足を運んでいると、一瞬前までとは勝手が違ったのだ。いつもならば、もっと流水の音がはっきりと耳に届くはずであった、小鳥のさえずりが聞こえるはずである、人の気配がいるはず。なのに……今日はまるで違う。この空間にカノン一人、のような感覚に襲われたのだ。
 恐怖ではない。
 カノンの踏み出した先の空間が、陽炎のように揺らめき、欠片が徐々に形作られていく。藍色の外套を目深に被った白色の長い長い髪が覗く不思議な雰囲気を持った者が形作られた。形作られた人型は、唇を笑みに歪めて言った。
「初めまして、異世界からの『鍵』よ。まさか『鍵』がこんなに可愛らしいお方とは存じ上げませんでした」
 眼前に現れた人の形をした物はクスクスと笑いながら言葉を紡いだ。
「幻影にて失礼させていただきます、来訪者」
 腕を胸の前に付け、会釈をする。簡略の礼であるが、それは間違いなくカノンの教わった騎士の礼である。じり、とカノンが相手が魔術を使っていることを理解した為、一歩だけ近づくと、彼は一歩逆に下がって見せた。
「ああ、これ以上近づけぬご無礼をお許しくださいませ。これ以上近づけば魔力で映し出したこの幻影が貴女の力に消されてしまう故」
 もう一度会釈をした人物は、おそらく男であろうが、言葉を続けた。……彼はカノンの正体を知っているようだった。
「魔力を持たぬ者、新たなる王の鍵、貴方は我が君を滅ぼす為にこの地へ呼ばれた」
 何か伝承を歌うように男は言った。それは至極嬉しそうに紡ぐのであるが、彼女の背筋には冷たい汗が流れた。ルーベたちに迷惑をかけるやもしれない、と脳裏に不安が駆け巡る。
「何を仰られているのかわかりませんわ、私は、異世界の者ではありません。このシェラルフィールドの人間です」
 咄嗟にそう言った物も、完全に相手は信じていない。フッと鼻で笑うと、小さく首を振った。白い髪が緩やかに揺れるのを、ただカノンは黙って見つめるしかなかった。
「そう仰られても、分かる者には分かるのですよ。下々の者達ではわからないかもしれませんが、私には通用いたしません。私もシャーリルと同じく、レイターである身です」
「……私が、もし本当に異世界から来た『鍵』であるならば、その『鍵』の目の前に現れた貴方は、幻影で私を殺そうと?」
 対魔術ならば、まだ勝算があるかもしれない。魔力を消し去る、ということが出来るカノンにとって、彼から逃げるには魔法を消した一瞬の隙をつくしかない。しかし、上手く魔術を消せる保証もない。あの時は、何かの偶然で消えてしまったのかもしれない。
 不安は尽きないが、一刻も早くこの場から脱し、一刻も早くルーベたちに侵入者のことを伝えなければなない、と彼女は強く強く思っていたが、男は口元に笑みを浮べたまま言った。
「貴女を手にかけるつもりはまだありません、そう身構えないで頂きたい。……そう、私は貴女の姿を見、そしてお礼を申し上げに先に参上したのです」
「……お礼?」
 思わずカノンがいぶかしげるのを構わずに彼は続けた。
「ええ御礼を申し上げに来たのです。これを逃せば恐らく申し上げる事は出来なくなるでしょうから」
 それは争いの始まりを謳っているようだった。これ、を逃せば、恐らく彼らは二度とこう花の舞う、光溢るる場所での邂逅は果たす事はできなかっただろう。
「我が君は喜ばれました。貴女が異世界よりいらしたことを。怠惰な生を打破出来ると。それはそれは……」
 うっとりとした口調で語らう彼は、この世の至福を、確かに紡いでいた。
「貴女のおかげです、我が君に生きる喜びを与えてくださった」
「それは……」
 風が吹きぬけ、木々が揺れ、再び花が舞った。白い髪と栗色の髪がそれぞれ風と花に遊ばれる。視線が交わったのは一瞬。この間に、発せられなかったカノンの言葉を正確に理解した男は言った。
「貴女の存在は不要な争いを生ませるでしょう。しかし、それは貴女のせいではない、『鍵』はきっかけに過ぎなかった。遅かれ早かれ我が君はこの道を進むことをお選びなされたでしょうから」
「……それを貴方は愚行と諌めないんですか?」
 風に打ち消されるほどカノンが小さく呟いた声を、彼は拾い上げ、不思議そうな音を込めて言葉を続けて言った。それは愚問だ、と優しく彼女を諭すように。
「何を勘違いなさっているのですか、来訪者。我が君は何も愚行を行おうとしているのではありません。あの御方の為すことこそ正道なのです。あの御方こそ、この帝国を支配する皇帝陛下であらせられるのですから」
 皇帝陛下、という単語を聞いてしまった彼女の表情が一気に変わる。それの反応に満足した男は、今度は意地悪げに微笑を浮べて旋律を奏でるように続けた。
「もし、それを愚行と言うのなら、お止めになっては如何ですか? そのために貴女はこの世界へ参られた。ルーベ様の『鍵』となるべくして。……よろしければ、お名前を?」
「名を名乗るのならば、先に貴方が名乗るべきでは? まだ勝手のわからない無作法者ではありますが、それぐらいの礼儀はわきまえているつもりです」
 声は震えていないだろうか、と若干気にしつつも、精一杯そう言い返したカノンは、決して彼に気遅れをしている訳ではなかった。その堂々たる態度に敬意を表した彼は、もう一度頭を彼女に下げた。
「これは失礼いたしました。お可愛らしい方。無礼をお許しくださいませ。卑賤の身たる私の名前はマハラ。レイター・マハラ・ザード」
「私の名はカノン・サクラギです。以後お見知りおきを、マハラ様」
 にっこりと笑顔を作るとカノンは、あえて貴族の名を出さず、ドレスの裾を持ち上げると、そのまま頭を下げて侍女に教わった通りに淑女の礼を流れるようにとってみせた。
「光栄至極に存じ上げます、カノン様。……邪魔が入りましたので、これにて失礼させていただきます。ですが、近いうちに、また……」
 そういうとマハラは形作るよりも早く、消えてしまった。それは夢幻と言われたらそうだったのかと言われてしまうような泡沫の出来事。カノンはしばらく呆然と消えた方向を見つめていた。
 しかし、一拍間を置いた次の瞬間ヒュンと音をたてて短剣がカノンの横を掠めていった。赤い花びらが舞い散るのと同時に、綺麗に梳かれた栗色の髪が切裂かれ、ニ、三宙を舞う。短剣はカノンの横を通り抜け、カカッと二本壁にめり込んで言ったのだ。石造りの壁にめり込んだ短刀の威力に先ほどマハラと対峙していた時よりも遥かに強い恐怖に襲われる。
 『魔力が消せる』という可能性があるのであれば、魔力攻撃は回避する事は出来る可能性がある。しかし物理的攻撃を避けろ、剣を取れ、弓を射ろと言われたら完全にカノンは無理である。残された道は死のみ。石のようにその場に硬直していると、石畳を乱暴に踵を鳴らしながら走り来る音がカノンの聴覚に届いてきた。複数音、といっても精々二人ぐらいのその足音は正確にカノンの元まできて止まった。
「くそっ、一匹取り逃がしたか」
 あまりのことに沈黙したまま、カノンは彼らを見つめた。紫色のマントがなびき、それを留めた三日月の留め金が陽射しに反射し光る。彼女の前で立ち止まったのは二人の青年。一人は悔しげに表情を歪めた背が高い、焦げ茶色の髪を後ろに一本に結び、空色の瞳を持つ青年。一人は、白金色の長い髪に、碧眼を持つ青年であった。どちらも腰には長剣を携えており、あたりを警戒していた。だが、白金色の髪を持つ青年は無言でもう一方の彼を見つめている。
「何だ、シオ! その物言いたげな表情は!! 言いたいことがあるならはっきり言え」
「遠慮しておきます。貴方との交友関係を円滑にするために」
「じゃぁ含みのある言い方もするな、何も言わなきゃ丸くすむ問題だって世の中には五万とある」
「わかりました、肝に銘じておきます」
 二人の流れるような会話を真正面で聞きながら、カノンはただ固まっていた。その視線に気がついた茶髪の男のほうが、ゴホンとわざとらしく咳払いをすると、威圧感を持って彼女に向った。
「……で、そこのアンタ。ここは騎士団長であるルーベ様のお屋敷だってことはわかってるよな? ここで何をしている、さっきの奴と何を話していた?」
「急に質問攻めにしたら可哀相ですよ。騎士の礼に反します」
「だからって、さっき皇帝陛下のことで話してただろう、団長の屋敷で! ……団長の命を狙ってる刺客かもしれない!!」
「先走って馬鹿を見るの貴方ですよ? ほら、貴方がみだりに怒鳴るから、固まってしまっているではありませんか」
 ほら、と白金色の青年がカノンの前に立った。やや後ろを向いて碧玉色の穏やかな瞳を彼女に向けて、『大丈夫です』と暗に告げる。一体何が起こっているのかわからず、ただ立ち尽くしていると、直ぐ上、と言っても屋敷の二階部分の窓が開け放たれた。
 そこから顔を覗かせたのは、他でもないルーベだった。彼女とルーベの瞳が交わると、ようやく彼女は肺に酸素を送り込む作業が出来たように思えた。全身を覆っていた緊張感から解放されるのを感じた。ルーベが上からカノンを安心させるように微笑むと、そのままバッと身を翻し地上に降りてきた。
 ……現代の建物でいうところの四階部分から、舞い降りるように降りてきたルーベは軽やかに地面に着地した。焦げ茶色の髪を持つ青年の後ろに舞い降り、そのまま振り返り二人を、三人を見つめた。
「団長! 庭に怪しい奴が!!」
 焦げ茶色の髪を持つ青年がバッとカノンを指差しながらルーベに言うと、彼はそのまま彼の胸倉を掴みあげた。彼の足は地面についておらず、呼吸すらままならない状態に一気に追いやられた青年はまともな反抗も出来ずにただされるがままである。
「カズマ、シオン、てめぇらカノン相手に何やってやがる?」
「は?」
「何やってたんだって聞いてやってるんだ。弁解をオレが許している間に吐きやがれ」
 ギリっと締め付けが強くなり、ルーベの眼光に宿る怒りの炎は激しさを増す。目をあわせただけで殺されるのではないかという殺気を放ちながら、彼はカズマと呼ばれた青年の弁解を待った。が、締め付けのせいではっきりと言葉を発する事も出来ないでいるのである。
「団長」
「何だ? シオン」
 言葉を発せないカズマの代わりに、白金色の髪を持つ青年が、一歩前に進み出て膝をルーベにおった。
「レイター・マハラ・ザード殿が先ほどここで彼女と話しておりました」
「……マハラが?」
「はい、皇帝陛下に忠誠を誓った彼がここにいるのは不信と思い、カズマが短剣を投げつけた所、彼は消え彼女がその場に残りました。もしや皇帝陛下から差し向けられた刺客ではないかと思い、現在に至ります」
 頭を垂れたまま、シオン、と呼ばれた青年は動じることなく肯定の反応を示して見せた。しばし沈黙の後、シオンに向けていた視線をカズマに戻し、そして問う。
「……本当か、カズマ」
 彼は命の為、首を縦に振るしかない。
「カノン」
「はい!」
「……怪我は……なさそうだな」
「はい、ただ短剣を投げられて驚いていただけです」
 ルーベはカノンの言葉を聞くと、少しだけほっとしたような表情になった。自然と、カズマの胸倉を掴んだ手の強さも緩まっている。
「あんまり馬鹿なことをやっているんじゃない。頭に血が上りすぎだぞ」
「……シャル」
「ほら、彼女も驚いているだけだって。大丈夫だから、ね、カノン?」
「はい。ルーベ様、ご心配をおかけしてしまって申し訳ありません」
 彼同様、二階の窓から天使のように舞い降りてきたシャーリルの助言と、カノンの言葉に、しばし思案したルーベはパッと手を離し、カズマを地面に落とした。
「……次はないと思え」
 その一言で、彼は解放されたのだ。頼まれたって二度とやるものか、と、彼は心の中で誓っていたのである。
「ほら見たことですか。先ほどのあれは、騎士の礼どころか、紳士的とも口が裂けてもいえない行為でしたよ」
「……怒鳴りつけただけだろう。そこまで大げさに言うなよな」
 締められていた首をさすり、軽く咳き込みながら、彼はカノンのほうを向いてルーベに聞いた。
「団長、この方は?」
 ここで生きていくのであれば、この地のことを知っていなければならない。そして、それ以上に人間関係も大切なのである。シャーリルの軽く肩を叩かれて、ふと視線を上げるとルーベの瞳が大丈夫だ、と語る。
 少なくとも、先ほどマハラと名乗った男より、彼らはルーベに信頼されているらしい。


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