7.世界を震わす狂気


 放たれた光の魔術が消えうせたのを知る人物は、放った本人、見ていた二人、そして当事者だけであるはずだった。だが……。力を持つものなら、力の発動を感じる事が出来る。自分に害がないことを知りながら、力が力に反応し、発生場所を自然と感知する。彼もまた、例外ではなかった。どこかで高位魔術が発動された。魔力の力から、レイターの誰かではない。恐らく神官程度であろうと予測はついた。
 それだけならば、彼は王の御心を騒がせることはしなかっただろう。 しかし、事は緊急を要していたのだ。ありえない、あり得るはずのないことが起こったのだ。起こるはずがないことが、確かに。確かめに行くよりも先に、まず……。そう思い立って、普段ならば小走りもしない絨毯の敷かれた道を進み、普段ならば視覚を楽しませてくれる装飾品を愛でながら進むが、今はそれどころではない。大股で慣れた道を進むと、場内でも一際作りが強固で、そして豪奢な彫刻が施され、不用意に鉱石が埋め込まれている扉の前に跪いて、謁見の許可を請うたのだった。

「……愚弟の通う神殿から発動された魔力が消えた?」
「はい、恐れながら、我が皇帝陛下」
 暗き玉座に座り、己の目の前に跪く男をさして面白くなさげに見ていた男の瞳に、不気味な光が宿った。サンティエ・アルフェルド・リア・ライザード、偉大なる皇祖の血を受け継ぐ今生の、このシレスティア帝国を治める王である。翳りのある金の髪と、決して澄んではいない藍色の瞳は常に満ち足りないと語っている。
 高貴な色と称えられる赤とに金の刺繍の入った豪奢な着物をまとい、精緻の細工の施されている玉座に坐す彼は覇気というものが感じられない。
 しかし、餓えた獣のような瞳の皇帝に臣下たちは常に、その機嫌を損ねぬよう細心の注意を払って彼に接するのである。が、彼は何事にも動じず、動かないのだ。皇祖の産まれ生きた世界は乱世であり、至る所で争いの火種が生まれ、それが急速に燃え広がり、彼はそれを鎮圧する為に剣を抜き、多くの血を流させたと言う。何と羨ましい事か。
 彼はこの安穏とした生活を厭うていた。下々はよりよい生活をとのさばり、これ以上を望み、争いも何もない。流れが何もない淀みきった川のようだ。日、一日を終えて感じるのは真綿で首を絞められたような息苦しさと、全身を覆われる倦怠感である。それは決して充足しているものではない。
 彼は……、そう、退屈に殺されかけていたのだ。
「……それは、皇祖帝に仕えた異世界からの<<鍵>>の仕業か?」
「お答えしかねます。魔力が消失したのは確かですが、その原因はわかりませんが」
 男は頭を垂れたまま、言葉を紡ぐ。確かに強大な魔力が突然消失した、という気配は彼も感じていた。彼こそ、帝国で最も魔力を持つ至高の存在として崇められている皇帝なのだから。
 『わからない』と言うそれもまた彼の本音であるが、その言葉を、皇帝は一蹴するように鼻で笑って続けた。
「この大陸には魔力を持つものしか産まれてこぬはずだ」
「はい」
「魔力と魔力が拮抗し、相殺することはあっても、跡形もなく消えると言うことはないはずだ」
「仰る通りで御座います」
「ならば、そうなのであろう。レイターであるお前はどう見る。それがあの、愚弟に仕える愚かなレイターの仕業とでも申すか?」
「………いえ………」
 玉座に坐す皇帝の前に跪いた男は、帝国内で王族と並ぶ魔力を有する最高位の魔術師に与えられる称号レイターの中の一人である。暗い藍色の外套を頭目深に羽織っているため、表情ははっきりと見えないが、流れ落ちる白髪と、発せられる声からはいまいち正確な年齢が把握出来ない。表情さえ見えないため、彼がどのような感情を今抱いてるかさえも分からない。
 王はそんな事に気にすることなく続けた。
「我はな、退屈でしかたなかったのだ」
「はい」
 虚空を見つめながら皇帝は語った。
「待っていたのだ、わかるか? この怠惰な生に飽き飽きしていた。この緩みきった世界に、何を見出せると言うのだ」
「我が君……」
「かの英雄帝は、玉座を賭けて、叛旗を翻し己が野心の為に剣を振るった。何と羨ましいことよ………」
 それは遥か昔に思いを馳せ、遥か昔の人物を羨む。恨み言の一つ言った所で罪はないだろう、それほどまでに皇祖は恵まれた環境にいたと、彼は思っているのだ。戦乱の世に産まれていれば、国のまとめ甲斐もあっただろう。自らが戦場に赴き、血風逆巻く場所にて剣を振るう事も出来ただろうに。
「……この玉座が欲しくば、お前に譲ってくれよう、弟よ」
「!?」
 突然、信じられない言葉を紡ぎだした皇帝に、レイターである彼らしからぬ声を上げた。あまりの驚きに顔を上げてしまったのだ。白皙の美貌を称えた、まるで女性のような彼の驚愕に彩られた顔を見て、皇帝は再び満足げに微笑んだ。狂気を孕んだ藍色の瞳と、彼の燃ゆる炎のような赤い瞳が交わる。
「ルーベ、この兄の首を落として見せよ」
「滅多なことを!! もしもルーベ様がそのような暴挙に出ようものならこのマハラ、命に代えても我が君をお守りいたします!!」
「……そのような時が来たら、の話であるがな。その前にお前は奴のレイターを止めて見せよ」
 予言めいた言葉を囁きながら、皇帝は愉快そうに笑う。恐らくこの世に生を受けたから初めて、彼は心の底から歓喜の笑いを放ったのだ。……彼の幼い頃から側にいる彼だからこそ、それがどれほどのことかわかる。背筋が凍るほどの恐怖感がレイターの身体を駆け巡る。
「ただし、そう易々と取れると思うな。精々我を楽しませよ。そうすれば……」
 この先の言葉は必要ない。餓えた獣の眠りを覚ましてしまった。しかし、それこそが彼の真の姿であるならば……。レイター・マハラ・ザードと呼ばれる男は純粋な喜びを感じていたのである。
「ヤツが動き易いよう、我も動いてやろう。それがせめての兄心だ。感謝するがいい無能の弟め」
 狂ったように笑い嗤う声は、暗く高い天井にいつまでも響き渡っていた。
「お前も、このような狂王に仕えることなぞせず、新たな時代を作る者の元へ行っても良いのだぞ。誰も止めもせぬし、誰も咎めはせぬ」
 皇帝は愉快気に言った。しかし、男は首を左右に振った。艶やかな白髪が揺れる。そして唇には笑みが浮かんでいた。そして王帝を見る瞳には陶酔以外何物でもない光が宿り、表情はいっそ恍惚としていた。
「何を仰いますか」
 それは乙女が愛しい者へと捧ぐ祝詞のようであった。
「私は、貴方に全てを誓った身。この卑賤の身たる私の身も心も全て貴方の物でございます。貴方がどのような道を歩まれようと、私は貴方と共に」
 純粋な愛を秘めた言葉だった。皇帝はそれに満足気に頷いて見せたが、意地悪く発せられた言葉はそれと真逆の言葉である。
「いいのか、我の進む道の先にあるのは破滅のみ。待ち受けるのは死、であるぞ?」
「生きながら死する我が君の側にあるよりも、死を与えながら生きる貴方のお側に侍らせて頂ける事を私は至高の喜びと感じます」
「愚かな者よ」
 そう言って、皇帝はまた愉快気に笑った。だがそれはあくまでマハラにとって至上の褒め言葉であるだけである。
「人は我を愚かと笑うだろう。人は我を狂王と罵るだろう。多くの民が嘆き、多くの民の命が無意味に散るであろう。それをお前はあえて止めぬと言うのか? マハラ」
「身を挺して、主の愚行をお止めするのは臣下の務めにございます。しかし、我が君は愚かな道を歩まれるどころか、初めて貴方が自ら望んで歩かれる道でございます。誰が貴方の行為を愚行と諌めましょうか」
 マハラは笑った。それはそれは美しい笑顔であった。
「ならば、ともに来い、レイター・マハラ・ザード。我の為に、その命を散らせ」
「光栄至極に存じ上げます」
 再び深く、深く頭を下げた彼に、皇帝は絶対支配者の命令を下したのだった。
「マハラ、ルーベの身辺を探っておけ。そして随時我に伝えよ」
「仰せのままに」
「我も、為すべきことがある。お前も早く行け」
「ご無理はなさらずに、ご自愛を、我が君」
 そういうと、マハラはすっとその身を彼の眼前から退出した。

 ―――魂が歓喜する。
 押さえようのない感情を、サンティエは感じていた。破滅の道を歩もうとすることへ、奮えが押さえられない。それは罪悪感ではなく、悦びからの震えである。
 もし、本当に『鍵』がこの世に現れたと言うのであれば、どう足掻こうとも遅かれ早かれ、己の退位は逃れられないだろう。
 次の皇帝になるのは、必ずしも弟ではないかもしれないが。己の次、覇者になど、興味はない。楽しむべきは今、である。
 永久運動装置のようなこの生活を疎んでいた。この世界に呪いさえも抱きながら今まで苦痛の生を強要されていた。だが、少なくともそれも今日までである。
 絶望が世界を支配し、四玉の王が己を見捨てても……。

 こんなに気分が高揚しているのは、初めてのことだった。
 恐らく血が、騒ぐという事は、こういうことを言うのであろう。 双眸を閉じ、近い未来に思いを馳せながら彼は思った。
 これが全ての始まりだ、と。今、この時をもって彼は歴史に産声を上げたのだ。彼が自我を持った瞬間である。

「滅ぼせるものなら、滅ぼしてみろ」
 ただし、唯々諾々と滅びはしない。生の限り生きて、生きて、生き尽くし、そして、華々しく散ってくれよう。
「だがな、ルーベ。お前が我を殺すに値しない程度の存在のままならば……」
 百獣の王は小物を狩るときとて、全力で行うという。サンティエは顔を歪めて、切り捨てた。
「貴様の喉を、我が牙で切裂いてくれよう!」
 その後に響くのは獣の咆哮のような笑い声であった。人は王の間に誰も近づけない状況を作ってしまっていた。人はサンティエの歓喜を理解しえないだろう。人は彼の産声に耳を閉ざすだろう。だが、それを喜びと、糧として動くものがいるのだ。
 それこそ歴史を狂わせし者。七百七十七の夜が移ろう前に、四玉の王の加護が消えうせてしまう元凶を作り出した者。生み出したのは『狂気』と言う名の夢魔。それに魅出だされた者は、もう止まらない。
 『鍵』の欲する叫び声と、夢魔に食われた人の必然が重なった時、それは扉が開く時。歴史が繰り返される時、それは人の知らぬ間に。


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