3.伝説の少女


「……二十世紀のヒーロー物の設定みたい」
「設定?」
 シャーリルは少し驚いた表情で花音を見つめるが、彼女は今言いかけたそんな馬鹿な、という言葉を飲み込むことで精一杯だった。会話を続かせる余裕などどこにもない。辛うじて、その言葉を発さなかったのは、一重に花音の精神力のせいだろう。しかしこの時点でもう既に、彼女の受けた衝撃は計り知れない。この『異世界召喚物伝説の勇者風味』は、使い尽くされた設定と考えてもさして花音に罪は無いと断言できる。
 まだ幼かった花音はそうやって放映されていた子供向け番組を、喜んでみていた記憶がある。幼い、というのは恐ろしいもので、自分も異世界に召喚されたいと思ったこともあるのを覚えている。しかし、十六歳、高校一年にもなった今、そんな事は決して思わない程度には彼女は成長していた。
 実際に今展開されている状況は、正にそれであるのが皮肉以外の何物でもない。夢見る少女の時代はとうに決別しているのだから。
「……あの……」
「何か?」
「……身体に文字のある宿星のお兄さんを七人集めて聖獣を呼び出せ……って言いますか?」
「は?」
「それとも! いきなり『貴方は巫女です!』とか言って、八人の男の人囲いながら鬼対峙しながら町を巡ったり?」
「……えっと?」
「それともそれともっ! 『伝説の騎士よ!』とか言って、いきなり剣とか弓とか探して……っ!!」
「……とりあえず、落ち着こうか?」
 まくし立てるような勢いでそう叫ぶ花音の肩にそっと手を置いて、肩で息をする彼女を落ち着かせると首を捻ってルーベと老神官のほうを見つめた。
「詳しい話は……屋敷でしないか? ここにいてもどうにもならない」
「ああ、そうだな。でも待てその前に……」
 ルーベは真直ぐに歩き、花音とシャーリルの前まで来るとすっと膝を折り、手を組み、瞳を閉じた。それは神聖な儀式である。彼が真摯に祈る姿は、神話に出てくる青年が神に切に祈りを捧げるような錯覚を人に与えるであろう。唇は僅かな音を発しながら小さく動いているが、シャーリルだけが知る懺悔の言葉は花音に届く事はない。
 水を打ったように静まり返った聖堂の中での短い儀式が終わると、ルーベはさっさと立ち上がった。
「ごめん、待たせた」
「……気にするな。じゃぁ、馬で……よりも、馬車を借りるか」
「そうだな……えっと……」
「花音です。桜木花音と言います」
 どう呼べばいいかと、少し悩んでいる風なルーベを見て、花音はハッとしたように顔をあげ自分の名を告げると、彼らは少しだけ小首を傾げた。
「あー……カノンが姓?」
 ルーベが控えめにそう聞くと、花音はフルフルと首を振って否定した。
「すいません、カノンが名です。サクラギが苗字……姓です」
「カノン・サクラギ? そっか、カノンよろしく。早速だけどオレ達の住んでる場所に帰るから、おいで」
 差し出された手と紡がれた言葉にカノンは思い出す。幼い頃から呼びかけていた声の響きと今手を差し伸ばす男性の声が重なるのを、霞がかった靄のようなものが邪魔をする。気がつけば、もう聞こえない幼い頃から自分を呼んでいた声。その声の主が彼であるかどうかは、定かではないが少なくとも彼らは、敵意のある人間ではないと、こんな状況下で思えるのは余裕だろうか。カノンはゆっくりとその手を取った。
 やっと自分の名を彼に呼ばれた事に安堵している、とはこの時まだ感じる事は出来なかったのだが。


 数刻後、数名の騎士と従者が馬車を率いてやってきた。ルーベに促されるままにカノンはそれに乗ったが、男たちが彼女を見て、一瞬目を丸くしたことに彼女はしっかりと気がついていた。制服に驚いているのか、自分の存在自身に驚いているのか定かではないが、目の前にいる二人は紳士的なので、難なく馬車に乗る事が出来た。
 そもそも、カノンは馬車というものを初めて見た四人乗りの箱型二頭曳き座馭式、といったところだろう。内装は、決して豪奢なものではないにせよ、緻密に彫られた彫り物や、窓の辺りに品良く飾られている宝飾品の類がカノンの目には眩しかった。彼女の目には広い馬車だと映ったのだが、この馬車を見て不満げに「狭いな」とルーベは不満げに呟いていた。
 そんなことを呟いた主に対して、シャーリルが「急に用意したんだ、こんなものだろう」とたしなめているのを聞いてしまった、カノンはまたふらりと足元が揺らぐのを感じたのだった。
 舗装されていない道を進めば、ある程度の振動は室内にいる人間に伝わっていく。揺れる馬車の中で、ルーベとシャーリルが隣に座り、カノンが一人でその対面に座るという事になった。皮の張られた座席は程よい硬さと張りがあり、自宅のソファよりも座り心地がいいかもしれないとカノンは感じていた。
 馬車の中で彼らが落ち着いた頃、ルーベは口を開いた。
「改めて、オレの名前はルーベ。ルーベ・フィルディロット・ライザード。シレスティア帝国の王の弟。で、帝国騎士団の団長。こっちがオレのレイターのレイター・シャーリル・フィアラート。レイターっていうのはこの世界に四人居る、魔術師の精鋭のことを言うんだよ。シャルはその中でも一番強いって評判の腕前なんだ。って言っても……」
 いきなりじゃ、わからないよな、とルーベは苦笑する。確かに、今すぐに理解しろと言われると中々厳しいものではあるが、ルーベとシャーリルの身分が高いことは理解できた。
 これから自分の生活と、命の保障をしてくれる人間たちを目の前に、ますますカノンは緊張を強いられる。この人間に見放されたらまずこの世界で彼女は生きていけない。
「そんなに緊張しないで平気だって。何もとって食おうとしてるわけじゃないんだから」
 彼は少しだけ困ったように眉間に皺を寄せて笑ってみせた。そして、何から説明していけばいいかと悩んでいる風に唇を動かした。
「何から説明すりゃいいか悩む所だな、何が聞きたい?」
「……えっと…」
 何から、と言われても何から聞けばいいのか小首を傾げてしまう。聞きたいことはたくさんあった。まずは、この世界のことである。
「何が聞きたいって突然聞かれても、何から聞いていいのかすぐ言えるわけないだろう?」
 カノンが言いよどんでいるのを見かねたシャーリルが、肘でルーベの腕を突っついた。やれやれと溜息をついた彼は、カノンを安心させるように柔らかな笑みを浮かべて言葉を紡いだ。
「まず、この世界はシェラルフィールドと呼ばれている。この世界に生まれてくる人間は、魔力を持って生まれてくるんだ。例外はなく、万民がね。だから、魔力を全く持っていないという君のような存在はいないんだ」
「そう、なんですか?」
「それがどれだけ重大な事か、多分分からないと思うけど」
 苦笑しながら彼は言った。確かに、『魔力を全く持っていない』のが普通の世界で過ごしていたのだ。『魔力のある人間』の方が、カノンにとっては珍しい。それ以上に信じられない存在なのである。
 しかし、現実にその存在が眼前に現れてしまっている今、その認識を改めなければならない。『ここは魔術を使えるのが当たり前』な世界であり、自分は『異端者』であることを。言われた事を全て一度で理解する事は出来ないが、カノンは必死で彼らの言葉を記憶していく。
「そして、この帝国には、伝説と言う名の事実があってね。それは国史に残っている。魔力を持たず魔力を消す力を持つ君はその事実に描かれた人物そのものなんだよ」
 それは黒衣の人物にも言われた言葉であった。同胞の呼び声に答えろと、拒絶は許されないと、自分が『鍵』であるが故に、と。そしてさっきまで居た場所での彼らの言葉、次の王は眼前に立つ男である、と。
「その……次の王へと導く『鍵』が私、という事ですか?」
 恐る恐るそう口にすると、シャーリルは春の陽光のように柔らかく微笑んで答える。
「飲み込みが早くて助かるよ。君の言った通り、と思ってくれて構わない。でもだからって今すぐ何をする、と言うわけでもないんだけどね。表向きまだこの国は平和だから」
「ああ、みだりに争いなんて起こしたくないしな。でも、カノンはオレに必要だよ。何となく、直感で」
 真顔でそう言ったルーベに、呆れ顔の彼は溜め息交じりで言う。
「……お前の直感は当るから嫌だな。まぁ……その『何か』が起こるまで、僕たちの元で過ごしてもらいたいんだけど……どこか行く宛はないよね?」
 この世界に身寄りがあったほうが怖いと切実に思ったカノンであるが、それを思うだけに留め、深々と頭を下げた。
「はい。本当に今は、右も左もわからない状態ですから……。よ、よろしくお願いいたします。その……いきなりこう戦えって言われても無理ですが」
 実際問題十六年間、民主主義法治国家日本で、戦争を概念上でしか知らず、のんびりと学園生活を送っていた一女子高校生にいきなり剣を持たせて戦わせようという暴挙に出ようとすれば、申し訳ないが勘弁してくれと頭も下げるものである。しかし、先方にそういう意志は無いようなので一安心だった。しかし、ただで身をおかせてもらうにはあまりにも申し訳ない。
 話に聞くところによると、目の前で語らう二人の身分は相当高い。そんな方々と生活を共にするのであれば、なおさら何もしないわけにはいくまいと、カノンは真剣に思ったのだ。
「あの、下働きでもなんでもさせてもらいます。雇っていただくという形で……。あのっ、最初はお役に立てないかもしれませんが!!」
 日本での生活では、法律上高校生になるまでアルバイトをさせてくれるような店は少なく、その上通い始めたばかりの高校生活のこともあり、カノンはアルバイト経験がなかった。だが、働かざるもの食うべからずという古きよき日本のことわざに従い、彼女はそれを実行すべく進言したのだが、返ってきた反応は是という答えではなかった。カノンの言葉を制止して、シャーリルが言う。
「……何か勘違いしてると思うから言うけど、僕たちは君に屋敷の何かをさせようとか思っていないからね?」
「え?」
「英雄帝の頃より伝えられた異世界からの来訪者に、そんなことさせたら、オレが皇祖帝に呪われるかもしれないしなぁ」
「え?」
 決死の覚悟で言った言葉はこうもあっさりと否定されてしまい、カノンは戸惑うばかりである。
「あくまで君は客人であり、今後状況が変われば、また違う名に変わるかもしれないが、君に危害を与えるつもりは無いし、ましてや下働きをさせるつもりはないということを覚えておいて」
「はあ……、でも……」
「気にするなって。大丈夫、何も心配ないからさ」
 優しく微笑まれてそういわれてしまえば、所詮居候させてもらう身に反論は許されず、これ以上何も言うことは出来ず黙ってしまうしかない。

「にしても、異世界の服って珍しいな。どーいう作りになってるんだ?」
「僕たちの世界と、全く異なる世界の文化で作られているものなんだから当然だろう」
 彼らが今身につけている衣服は白い襟のついた装束の上に、深い緑色の上着を羽織っている。下に穿いているものは、足の露出する面が大きい履物であり、履物は皮製のものである。
 しかし物自体は決して簡素なものではない。カノンもまた彼女のいた世界ではそれ相応の身分だったんだろうと彼らは勝手に推測する。それは勿論彼らがブレザーという物を、制服という定められた衣服を知らないからのことである。日本にいればこの程度の服装は何ら珍しいものでもない。
「ああ、あと当面隠しておくつもりではいるけど、君の正体が町に広がったら、町の人間が君を見て拝んだりし始めるかもしれないけど、あまり気にしないでね」
「………は?」
 あまりのことに、カノンは上手い反応が返せず鳩が豆鉄砲を食らったような表情をしてしまった。それも無理はないという表情を浮べながらシャーリルは言葉を続ける。
「この英雄帝に仕えた伝説の少年、異世界からの来訪者、王となるものへの『鍵』、名称は色々あるんだけど、とにかくこの話を知らない帝国人はいないと考えて」
「そ、そんなに有名な話なんですか?」
 カノンが恐る恐る聞くと、彼らは重々しく首を縦に振った。
「子供の頃からお伽噺を聞かされるように語り継がれているからね。その少年の残していった物が数点保存もされているし。夢物語ではなく現実に起こった史実として人々はそれを知り、そして信じている。ああ、墓標もある。いつか見に行って見る?」
「だから、カノンの正体知ったら多分何かご利益があると勘違いしだす人とかいると思うし、気は悪くしないで欲しい。心の底から心酔しているだけで、悪意は無いから」
 獰猛で狡猾な悪意より、純然な善意や好意のほうが、時に恐ろしいのではないかと真剣に思っているカノンに、さらにルーベは追い討ちをかけた。
「カノンだったらさしずめ『伝説の少女』って所か?」
 その言葉に、今度こそ眩暈を起こして倒れかけた時、一枚板を隔てた外から、馬車を操作していた従者の声が響き渡った。

「――――開門! 騎士団長ルーベ・フィルディロット・ライザード様が戻られた! 開門、開門!!」
 先頭を走っていた騎士たちが、馬上から壮麗な門に向かって声を張り上げた。それに合わせる様にゆっくりではあるが確実に扉は開かれていっているようだ。一瞬と待った馬車の中で三人は降りる手筈を整えていた。
「その格好で降りたら流石に目立ちすぎるから……」
 ルーベはシャーリルを視線で促した。すると彼は当然のようにどこからか藍色の布を取り出しカノンの前に差し出した。
「神殿で外套借りてきたから、降りる前にこれを被って」
「はい……」
 シャーリルから藍色の外套を手渡され羽織ながら、もうどうにでもなれ、と半自暴自棄のようなカノンは現実逃避を引き起こそうとする脳味噌を叱咤し、再びゆっくりと動き始めた馬車の振動を身体に受けつつ、次に起こるべき事象に備えたのだった。


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