0.はじまりの音

 轟音が響き渡る。その中には、人の怒声と悲鳴が入り混じった耳を劈くような声が混じっている。なぜ、どうして? 白き石で作られた、始祖たる四人の王を祭った神殿は傷つき、燃え上がっていた。
「パル!!」
 一人の青年が、剣を片手に熱風と炎の嵐の中を駆けていた。煤でその頬と服は汚れてはいるものの、そのものの纏う雰囲気は、平民離れをしていた。中途半端に伸びた髪をバサリと剣を持っていない手でかきあげ、苛立だしげにもう一度叫んだ。
「パルティータ!!」
 しかし、この神殿の中にはもう誰一人、呼吸をする者は残っていなかった。思わず彼の思考に絶望の影がよぎるが、それを振り払うかのようにくびをよこにふる頭を振る。彼女が死ねば、恐らく自分はどこにいても必ずわかると言う根拠の無い確証だけが彼の身体を突き動かしているといっても過言ではない。
 足元に倒れ伏しているのは、神官衣を纏った老若男女、そして、粗野な服を纏った野盗たち。
「ルーベ!」
 脳裏で声が聞こえた。それは聞きなれた声であり、ルーベと呼ばれた青年が恐らくこの世で最も信頼している人物の声だった。
「シャル!? 何かわかったのか?」
 脳裏の声に、大気を震わす声で答える青年。脳裏に語りかける人物は正確に彼の声を聞き取り、彼の望む答えを渡す。
「神殿の裏の崖だ、そこに彼女はいる!」
「崖!?」
 嫌な予感がした。そう思った次の瞬間彼は緋色の煤で汚れた外套を翻し、自らの身体の限界を引き出し脳裏の声の主の情報の場所へと走った。間にあってくれ、と切に願いながら。
 丁重に弔わなければならないはずの倒れ伏している者たちに目もくれず、彼は走った。今は亡き、このシェラルフィールドを造りし四玉の王へ祈りながら、彼はわき目も振らずに走って行った。
 元は神殿があったこの場所には、彼の友人である巫女が日々国の繁栄を祈っていたのだ。緩やかに波打つ金色の髪と、蒼色の瞳を称え甘く微笑む四歳年下の女性。彼女はこの炎に塗れた神殿の残骸の中には居なかった。まだ生きているならば、この神殿を襲った野盗の連中から逃げているはずである。
 時々ルーベの赤茶けた髪を見つけた野盗が、己の剣を振りかざし彼を殺そうと試みるも、殺戮の禍神と化したルーベを殺す事など到底出来ない。出来て精々足止め程度である。その足止めの時間すら、今のルーベには惜しいものであった。
「どいつもこいつも、邪魔すんじゃねぇっ!!!」
 怒れる獅子の咆哮が、崩れ落ちる寸前の神殿に響き渡り、周囲に居た人間を全て自らが引き起こした紅蓮の炎に飲み込まれ、死した物は躯が焼かれ世界へ還り、生ける者は生きながら全身を焼かれるという稀有な体験をしながらこの世とのかかわりを断絶した。
 それでも、回りまわる歯車は、一度回り始めてしまった物は決して止まる事は無い。


 普段ならばその身を震えさせるほどの冷たさをもって吹きぬける風も、今宵は熱を含み彼女の頬を撫でた。男達の背後で燃え盛る炎の音は遥か遠くに感じ、今この場の静けさを強調する。断崖絶壁に女が一人、男が四人。女は無表情に男達を観察していた。
 粗野な服を着て、頭からすっぽりと覆われた布で表情こそ見えないが、剣の使い方とその統率された動きは決して野盗ではないことが、素人の彼女から見ても分かってしまう。そして、彼らの背後にいる人物さえも、何をせずとも彼女はわかってしまった。
 四玉の王を祭る神殿を汚した野盗の目的も、すべて。所詮、真実は凡庸なものである。彼女は思わず浅く笑った。
 じりじりと男達は彼女との間合いをつめる。彼女はもう、一歩でも後ろに下がれば、奈落の底に落ちることになり、二度と昇ってくることは出来ないだろう。眼前には刀を携え嬲り殺そうと目論む男達、後方には奈落。二者択一というには、あまりにも簡単な二つの道が彼女には用意されており、また答えはすでに彼女の中で決まっていた。
 彼女は妖艶に微笑んで男達を見据えた。
「時は繰り返す 神代の時は歴史を刻んだ」
 突如として言葉を発した女に、気でも触れたのではないかと男達は一瞬困惑の表情を布の下で浮かべ、歩みを止めた。しかし、女の言葉は止まらない。
「滅びを歩もうとする愚かな王を廃し、再びこの地に繁栄を。まだ、時を繰り返すには早すぎる故」
 まるで操られているかのように口唇を動かす女の不気味さに、男達は本能的な恐怖すら感じてしまった。男の中の一人が、咄嗟に剣を振り上げ彼女を一閃しようとしたが、スッと彼女が手を上げたその瞬間、剣を頭上に翳した男はピクリとも動かなくなる。
「少しは黙って聞いていなさい。今生での最後の言葉を。貴方達は移ろい行く世界の再生者となるものの手によって消える。それまで静かにお待ちなさい」
 彼女はこの神殿に使える巫女である。神殿に使える者は大抵並々ならぬ魔力を有しているのだ。当然彼女も例外ではない。自らの力を持って、彼の動きを制した。ならば全ての敵を制すれば……否、誰もが力を持つこのシェラルフィールドの世界の住人を、しかも五人の男ともなれば、いくら相当の魔力を有している彼女とて不可能だ。
 万が一、それを可能とする者がいるならば、彼の親友であるレイターぐらいであろう。
 ふと、彼女の視線が上に行くと宙に浮いている人物と目が合った。まるでその人物の居る空間だけ、別次元のように、長い長い髪が風になびくことはなく、彼のまとう裾の長い黒衣が風邪に遊ばれることはなく、ただ真直ぐに地上を見下ろしている人物と彼女は目があったような気がした。
 この時、彼女は小さく微笑んだ。
 歴史の動く瞬間を見れたことを、四玉の王に感謝しながら。歴史を動かすものと共に過ごせたことを、心の底から喜びながら。彼女はそっと瞳を閉じた。

「鍵は目覚められた」

 黒衣の者の唇と、女の唇が同じ速度で同じ言葉を同じ高さで紡いだ。彼女は満足だった。課された使命は今をもって終わった。後はすべて彼に任せればいい。口元に笑みを浮べた黒衣の人物は次に彼女が瞬きをした時には、もう姿を消していた。
「開かれた扉を、もう閉ざす事は出来ない。後は繰り返す時の中で、貴方が……」
 彼女が最期に見たものは、轟々と燃え盛る神殿の方から必死に駆けてくる青年の姿だった。空までも焼き焦がす程の炎のせいか、彼の髪は赤く染まり、瞳は闇のせいか漆黒に見えた。それは偉大なる皇祖の姿に酷似していた。
「ルーベ様、新たなる覇王となるお方………どうか………」
 言葉は最期まで紡がれる事はなかった。



「……また?」
 空に雲ひとつない日だった。つい昨日まで降っていた雨が止み、空は汚れが洗い流され青々とした美しい色が広がっていた。今は世間一般では夏休み。しかし彼女は学校に行かなければならなかった。
 来る学園祭に向けての準備の為である。
 その行く道の途中、彼女は振り返った。しかし背後には誰も居ない。気のせいと、流してしまうにはあまりにもはっきりと聞こえてしまった声が彼女の中で何度も何度も繰り返される。

 おいで

 そう自分を呼ぶ声。その声にはまるで誰かが手を差し伸べているような、そんな不思議な雰囲気があった。
 
 早く、おいで
 ここまで、待ってるから

 どこへ? と疑問を持ってしまう彼女には何の罪は無い。学校へ行かなければならないのに、なぜか彼女は行くべき場所が学校ではないと思ってしまったのだ。
 彼が呼んでいる、と。
 行かなければならない、と。
 しかし、それがどこなのか、なぜなのか、全く分からなかった。
 幼い頃から聞こえていた幻聴。これは一体なんなのか、人に相談する訳にも行かず十六年ともに合った声。しかし、今聞こえる声はいつも聞いていた声より強く、近い。
 憮然とした表情で、改めて前を向きなおし、気のせいだと強く自分に言い聞かせていた所に、すべての空間から隔絶されているかのような黒衣の者が視界に入った。黒衣の者は、至極嬉しそうに、その唇に笑みを浮べていった。

「時は繰り返す 鍵は目覚めた」


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